議論の土台となる”正確な”情報がほしい

標準

おくればせながらではあるけれども、この5月頭で国内の原発が全て止まっている。
それがらみで少し書いておく。

(思いつき+私情吐露的な駄文なので、健全な皆様にはスルー推奨)



各論あるとおもうが、まずこういう状況を作れた、ということは脱原発・原発推進双方ともに評価すべきではないか、と個人的には思う。

なぜなら、これまでであればこういった状況は、本質的な議論もせずに「ありえない」の一言で、真摯な検討も努力もなしに一笑に付されていたことであろうから。

そこを越えて、まずこういう状況を作れたということ自体が、社会としての一つの財産だと思う。


その上で、この夏の電力不足が心配される状況というのは、確かに一理ある話なのは間違いないわけで。


ただこのことに関して、個人的にここまでずっと引っかかっていたのは、よく言われる

「現場がどれだけ大変な思いをしてるのかわかってんのか!」

というのが、その声のデカさに反して肝心の「現場」から具体的な”大変”が全然聴こえてこないな、と感じていたこと。

もちろんこういうご時勢なので、公の場で、大声で言うにははばかりがあったかもしれない。
だとしても事の重大さに反して、ニュースや報道でもほんとうの「当事者」からの声がこれまであまり聞こえなさすぎではなかったか?
(ここまでで”声がでかい”のは、たいてい直接的な関連性の低い、具体的な現場を知らない「経済屋」などの外野が多い感じ)

そういう意味でこのまとめは貴重だったなあ。


夏場の電力ピーク時の数時間、製造業は節電のために稼働を止められるのか?現場の人に聞いてみた。
(もちろんこれも、発言者が現場のどのレベルの立ち位置かで信憑性は若干変わってくるとは思う)


読んで見た感じから、比較的信頼できる内容だと思うし、そういう意味から目を通しておくべき良いまとめかと思う。

ここにあるように、現実は確かに重い。

自分も前の現場は運用保守だったわけで、いちおう曲がりなりにも「当事者」として大規模停電の現場は数回だけだが経験したことがある。

そういうこと抜きにして、確かに完全に電源を落とされるとにっちもさっちもいかない、というのは具体的な手順を脳裏にたどれば想像はつく。

影響がまったくないなんて言わない。

だが、しかし―なのである。

だがしかし、「だから原発さっさと再稼働しろ!経済音痴どもが!」と言われても、そう簡単に肯んずるわけにもいかんのも、正直なところなのよなあ。

確かに上記まとめのように、実際そういう状況がほんとうに発生してしまった場合の影響は大きいだろうと思う。

しかし現時点での問題は、そういった状況(激甚な被害が出る停電)が発生し得るとアナウンスするに至った、その判断材料の「詳細」が十分に出ていないように見えるし、その出し方も後手後手で、あきらかにまずい。

こういうことを繰り返すから、どんどん冷静な議論のための土台が失われていく。

単純ではないのはわかっているが、とにかく影響を受ける企業の規模やその具体的な対策とその負荷(コスト等)がどのレベルのものかというのも、ちゃんと数字を伴ったものが意外なほど報道ほかに出てこない。

そんななかで、こんなモンもぽろっと出てくる。

大阪府市エネルギー戦略会議 電力不足を5%まで軽減の可能性


もちろん、これもあれやこれや必死で検討して出てきた数値ではあるんだろう。

けどタイミング悪すぎるよなあ。

あんだけつっぱってたのに、この期に及んでこんなモンを出してくるというのは。

さらにいうと、先日実家に戻ってたときの新聞にこんなモンもあった。
(毎日新聞)



こういう、土台となるべき数字や情報がはっきりしない、出てるのかもしれないが恣意的と取られかねない後手後手の下手な出し方で、信憑性が著しく乏しく感じられる。

そんな状態だから当然再稼動/稼動阻止の、本当の意味で建設的な議論には程遠く、現状は双方がドグマ的に自説を自慰的に開陳していっているようにしか、自分にはみえない。

こんなんじゃ、社会としての適正解を得るのは程遠いよな、と暗澹とした気持ちになる。




それを踏まえた上で、あえて自分もすこし恣意的に意見を開陳してみるのならば、やっぱりこの夏はできるだけ動かさない方向で乗り切る”経験”を社会全体で手に入れられないものか、と思っている。

上述のような厳しい状況を、頭の隅に置いた上でだ。

ようするに、もうちょっとあがけないのかな、という。
あがく前に”なにがなんでも再稼動ありき”で話進めすぎでね?経済屋や自称”保守”の皆様方は?と。

燃料費のコストが〜コストが〜と念仏のように唱える方もいらっしゃるんだが、リスクプレミアム乗っけられてぼったくられてるのは、その程度のネゴしかできない政治家をこれまで自分たちが選んできたツケでしょ。
(この点、もちろん自分も無罪などというつもりはない)

おまけにその大枠を作ってきたのは、これまでの原発政策の推進派ー自民党だったわけで。

そこを棚にあげられて経済合理性がわからんのか、低脳どもが、とおっしゃられましても、リスクヘッジ失敗してる(エネルギー源の分散調達の構築―ひいてはエネルギー安全保障政策の構築に結果的に失敗した)この現実を招いているのはあなた方ですやん、とも言いたくなりますわな。

そこに目をつぶって―目先の(短期の)「コスト」とか、経済合理性を説かれても(事故以前ならいざ知らず)、「まだ懲りずに現実に起こってしまっている失敗を踏襲するの?」とは聞かざるを得ない。

おまけに、いまだ崩落すれば再臨界して東日本全域はおろか北半球まで蒸し焼きにできそうな4号機の燃料プールそのままでっせ?

なぜここまで状況が来ているのに、新しい状況を作っていこう、という発想にならないんだろう?


もちろん、上記まとめのように個別の現場を微分すれば、かなりキツイのは事実でしょう。
景気も良くない、それ以前からの原油高傾向(これはなんとなく政治的なものっぽいが)、いろいろあるとおもう。

しかし、原発を恒常的に再稼働させたとしても、今回と同じ状況が発生するリスクそのものというのは、まったく減ってない。
近ごろの世界的な地震の頻度のことを考えれば、むしろ増えてるわけで。

よしんばそれを無視したとしても、国内原子力政策の要にして、その稼働が必須のハズのもんじゅサマがあのザマなわけでしょ?

つまり核燃料サイクルという政策の「要」が既に絵空事のファンタジー。
である以上、処理できない排泄物で狭い国土をさらに狭くすること確定ですやん。
(コストをいうなら”動かない”もんじゅのランニングコストも考えてほしいな)

経済性を理由にする積極推進派の皆さんは、そこをどう考えているのだろう?

もちろん、これまでのサンクコストは無視できない。
けれど一度事故が起こったとき、たった数箇所でこれだけの社会的・経済的被害(それは心理的なものが主因とはいえ)が出ている。
そのコストを考えるとこれ以上の”積極的推進”は到底割に合わんとおもうけどな。


もちろん、これは肝心の放射線の影響を最小限に見積もった話。


これでほんとうに放射線による健康被害が具体的に出てきたら、もっと面倒な話になるの確実でしょ。
(そしてその本当の答えは、まだ誰も確実なこといえない状況だよね?数年単位で影響が見えてくる話なわけだから)

そのリスクを知った上でまだ「いや、けど原発動かさないと。経済沈むよ、沈むよ、みんな不幸になるよ、不幸になるよ」とうのは正直、”目先の経済効率”というクスリに手を出した麻薬患者の言葉のようにしか思えない。

そのクスリを体から抜こうとするか否かの選択だと思うんだけど、これは。

確かに火力、石炭発電の老朽化なども厳しい側面があるのも事実でしょう。
また原発運用での死傷者の数を、旧来の火力・石炭発電のそれと比較して、どや顔で開陳される方もいらっしゃいますが、火力発電は死者は出ても、事故が起きて狭い国土に下手すると何百年も立ち入りできない土地が増えるなんちゅう心配は少なくともないですよ?

短期的な経済的な厳しさ、という点には同意するが、これも繰り返しになるが「エネルギー源の分散調達の構築に失敗している」結果ともいえるよな。

関西電力が叩かれ気味なのは正直同情はしなくもないが、やはり”目先の経済効率”というクスリにだまされて、原子力発電の比率を間違えた―ほんとうの意味での”経済効率”を見失った、あるいは”原子力事故なんて起きない!”という丁半博打に負けたわけですよね。

それはやっぱり張った目が裏目に出たなら、自分のリスクヘッジが失敗したということなわけで、自分のケツは自分で拭かざるを得ないよな。


で、文句だけいいぱなしでもアレなので、消極的な対案。(苦笑)

この夏までに新規大規模発電所の増設、なんちゅうのはおそらく厳しいだろうし、現実的ではないだろう。
ただ、夏の猛暑を凌ぐため、ということなら、なぜここでこそ太陽光発電の話が出てこないのかな、と。


やれメガソーラは利権だ、補助金狙いの孫正義うぜえ、というだけが太陽光発電の話題ではないでしょうにw


残念ながら、現時点での再生可能エネルギーのエネルギー効率というのは、大規模な社会の主電源設備としてリプレイスすることはかなわない。

しかしこういった夏場だけ、一般家庭の冷房などによるピークを凌ぐために副次的に利用する、という発想はありじゃないのか?暑いときこそが発電に好適なわけでしょ?
さんざん「発電できるのは昼間の日光照ってる時間だけ!恒常的な電源にはならねえんだよ!」と仰ってたわけでしょ?

まさにその適応例じゃないですかw

メガソーラーなんかでなくていいんだよ、その代わり各家庭レベルでつける、クーラーを設置するようなノリでつけられないのかな?
薄く・広く―一箇所大規模じゃなくていい、小さなものを薄く薄く、広く広く分散する。

そこに補助金とかある程度出せば、雇用や景気対策にもなって一石二鳥かと思うんだが。
もちろん発電効率などの問題もあるとは思うし、既存の業者の中には筋の悪いのも少なくない、とも聞く。

しかし”各家庭で節電を”というレベルが対策として出されている現状なら、それを代替する程度の効果はあるんじゃないかとおもうし、こういう公共投資は少しは経済浮揚効果もあるんじゃない?

こういったシーンで(補助金絡みとはいえ)利益が出せる、という認識が広まると、参入業者の増加による適切な自然淘汰も期待できると思うんだが。

それともそういう”ちいさな”話は、億兆単位のあぶく銭を扱う経済屋様の皆様や、”天下国家”を憂う国士様には、自分たちが愚弄されたように映るのだろうか?
もしこの揶揄でカチンと来るようなら、原発推進派=マッチョイズムというどこかの話は本当かもね。
(自分がこういう方々にいちばん違和感を感じるのは、命の話の前に銭金の話をするのが、冷静だとかかっこいいかのように思ってるかのように”見える”とこだわな―両者は密接に関わっているが、僅差とはいえ、そのレイヤー上下には厳密・峻厳な区別があるとおもうぞ?)

とまあ恣意的にだらだらと思いつきだけで書いてみたが、一番まずいのはやはり建設的な議論をするための土台となる”正確な”情報の少なさだよなあ。

そういうもんが出尽くして、ちゃんと議論できた上で、廃炉前提に急場をしのぐために数基だけ動かす、というのならまだ納得もいくが、そういうモンも出さず、議論もせずに、脅しのよう”停電”をちらつかせるのは、やはり下衆いなあ、と個人的には思う。

反原発派の皆様が”ロジカルな話”に聞く耳持たない傾向があるのは認めるにやぶさかではないが、かといって”ロジカルな話”が万能だと思ってる推進派の皆様も、人間が感情の生き物であるという”ロジック”を忘れてる点で、語るに落ちとる、と個人的には思ってる。

そしてこんな事の本質と関係のない話を、この期に及んでまだせざるを得んか?というのが正直一番情けない。

少なくとも、両派問わずいま声高に叫んでるひとたちのなかに、真の”知識階級”も”健全な大衆”もいないのかもね。

ワタシ?そら事この期に及んでこんなもんをだらだら書いていること自体、愚民である以外のなにものでもないじゃないですか。





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