おくればせながらではあるけれども、この5月頭で国内の原発が全て止まっている。
それがらみで少し書いておく。
(思いつき+私情吐露的な駄文なので、健全な皆様にはスルー推奨)
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地味ぃ~によろしくないねぇ。
もちろん反対派の反証も聞いてから判断すべきだとは思うが、物理的な危険性というのは、ここで言われていることに大きな間違いはないだろう。
こんな状態で「再稼動は絶対必要だ」「値上げは権利だ」とかよく言うな・・・。
(おまけにこんなモンあるのに「消費税増税が私の政権の使命」とか言ってる首相とか・・・)
個人的にはエネルギー効率云々に文句言うつもりはないが、こういった事故での甚大さ+廃棄物の処理が今の人類にとっては手に余ると思う―よって今後原発の利用には基本的に反対。
(人の全く住まないところあるんだから埋めりゃいいじゃん、というのは放射性廃棄物のタイムスケールからするとある種の詭弁だと思う)
経済的な利益を言う人がいるが、正直割に合わないと思う。
もう一年、まだ一年なんだな・・・。
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絶対読んでおくべき一冊。
エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う (NHK出版新書 356)
震災による原発事故以降、エネルギー問題は論争喧しいが、その論争の質といえば原発推進派も脱原発派も、自分の知っていることだけを根拠に、双方恣意的にいいたいことをぶちまけてるだけの感が強い。
そうなってしまう理由は、この問題の全体を俯瞰できるだけの知識もないのに、それぞれ変な使命感―イデオロギーといってもよい―をもって、ある種の宗教論争になってしまっているからだ。
特に原発推進派のそれは、なまじ反・脱原発派に比べていわゆるインテリゲンチャと呼ばれる人が多いからか、それ以外の人たちを見下すばかりか、皮肉る・嘲る態度の人たちが多い印象で、「日本の知識階級層というのはこんなに品性が(知性がではない)低いのか」とがっかりした。
確かに反原発派の人たちは、理屈よりイメージ、正確な数値より思い込みを元に論を展開する、いわゆるエコ原理主義的な人種が多いので、最初は丁寧に説明していても、いっこうにロジカルな話が出来ないそれらの人たちにイラつくのもわからなくはない。
しかし、それを引き受けて、相手のおびえ・恐れている気持ちにシンパシーをもちつつ、粘りづよく論理をもって説くのが、真の知識階級という層のノーブレスオブリージュではないのか?
そういう意味では、特にtwitterにおける原発論争というのはそのあたりの真贋見極めるためのバカ発見器でもあったといえるかもしれない。
しかし、そんな不毛な論争は見ていても、なにも建設的なものをもたらしてくれるものではない。
正直うんざりしていた。
そこで見つけたのが本書だ。
本当はどうなのか?
本書は、その議論をするために必要な基礎知識が、新書というサイズに非常にバランスよく収められている良書だと思う。
いま、このエネルギー問題に関心を持っている人は、必ず読んでおくべき一冊。
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公論を語るとき、論者の信憑性を計る一つの物差しは自らの不利益を享受してでも、成すべきことは成す人かどうか、というのはいってもいいと思う。
あとは自分で見て判断してください。
自分は、こういう方こそが”専門家”だと思う。
法律を破ることになっても、自分の専門性に殉じたということだろう。
正しく知り、正しく認識できている”専門家”だからこそ「正しく怒る」ことが出来るのだ。
そして世の中で”正しく知る”ことの出来る物事の範囲というのはもの凄く少ない。
それを自覚したとき、すくなくともそこには謙虚さが生まれるはずである。
巷間にあふれる、自説のヒステリックで恣意的な開陳など、意見でも怒りでもなんでもない―。