専門家とはこういう人のことを言うのではないのか?

標準

公論を語るとき、論者の信憑性を計る一つの物差しは自らの不利益を享受してでも、成すべきことは成す人かどうか、というのはいってもいいと思う。

あとは自分で見て判断してください。

自分は、こういう方こそが”専門家”だと思う。
法律を破ることになっても、自分の専門性に殉じたということだろう。

正しく知り、正しく認識できている”専門家”だからこそ「正しく怒る」ことが出来るのだ。

そして世の中で”正しく知る”ことの出来る物事の範囲というのはもの凄く少ない。
それを自覚したとき、すくなくともそこには謙虚さが生まれるはずである。

巷間にあふれる、自説のヒステリックで恣意的な開陳など、意見でも怒りでもなんでもない―。

コメントを残す