初音ミク マジカルミライ2015@日本武道館(2015/09/05)

標準

いまこの2015年という時点では全盛時の勢いは落ちてきたものの、世間的な認知度としては「あたりまえ」になりつつあるミクさんはじめとするボカロ文化であるが、そういった「認知」の度合いからもその本質的なところは時間とともに変わっていっているんだろう。正直自分の中のこの界隈に対する熱量というのも往時に比べればだいぶ落ちているのも事実。

で、そんな時に「ミクさん、ついに日本武道館!」というニュースが入ってきたのは今年の春先ごろだったか。
いちおう2007年からのブームを最初からリアルタイムで(一視聴者とはいえ)見ていた者としては、これもある種「一つの到達点(区切り)」と思い、チケット申し込み⇒今月5日、日本武道館まで観に行ってきましたよ、と。
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自分が申し込んだのは9/5(土)夜からの回のライブ。今回は前回見に行った2013年の時と同様にライブだけではなく展示もあるとのことなので、午後3時過ぎに現着、同時開催の企画展@科学技術館を見ようと思った。

しかしやっぱりまだ人気は衰えずなのか、それとも武道館というメモリアルな場所だからか、九段の城門をくぐる前後からすごい人。企画展の列は同じようにライブの前に見ようと言う人と、午前のライブ終わった後見ようと言う人達で長蛇の列。企画展のチケット自体は翌日入場も可能だが所用もあることだし、ということで並ぶの嫌いな人間が久々に並ぶ。

そして久々にこの手の列に並んでみて思うが、日本人訓練され過ぎwたいして警備員いないのに自発的に列が出来てますよ、オマケに自動的につづら折りてw
そんな待機列の暇つぶしに周りの人を眺めていると、客層は老若男女意外なほど幅広い、そして外国のお客様もかなり見かける。彫の深い外人の兄ちゃんがミクさんの法被来てただのドルオタと化しているのはなかなかシュールであったw

しかしこの長蛇の列、実際けっこう長かったのでほんとにライブ始まるまでに入って見れるんのかいな?と思ったがなんとか16時過ぎごろ入館。

※ちなみに今回はスマホによる電子チケットにしたが、電子チケットの割にすごくアナクロ。なにか機器使って「ピッ!」とやるのかなと思ってたら、ダウンロードしたチケットページを人力でスワイプですよ。電子チケットの意味ね~w

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で、そんな苦労して並んだ企画展ですがが、正直すごいがっかり。
これは会場となっていた九段の科学技術館の内装の古さという事もあると思うんだが、全体がまるで「地方物産展」のノリ。

科学技術館という伝統ある会場でやるからには、もうすこし社会的なテクノロジーの観点からの展示があってもよかったし―というかむしろ「あるべき」だったのではと思うのだが、そういったものはあまりなく、ただただ会場の古さとボロさが目立って非常に「安い」感じ。

それにもまして嫌な感じだったのは、前回みた2013に比べて「創作」という要素が、その場の雰囲気の中にほぼ感じられなかったこと。

もちろんそういった創作関連の展示も少ないながらあるにはあるが、積極的にプッシュされていないし、ユーザビリティもお粗末。それよりも関連企業による「消費」で埋め尽くされていて、むしろそちらの方が主目的のような感じが強くして、個人的にはすごーくイヤな感じ。

もちろんフィギュアやグッズはイベントならではの楽しみなので、それ自体はいいと思うし否定もしない。自分もねんぷちのダヨーさんあればほしかったし。(SoldOutでした)だが、そういう消費だけがミクさんの代名詞ではなかったはず―というかむしろその真逆がミクさん中心とするボカロ文化の強さだったわけで。
考えてみれば、そういったこのムーブメントの「核」となる色が薄まったこのタイミングだからこその「武道館」だったのかなーと、その場の景色を見て強く思った。これはこの後のライブを見てより確信を深めることになるのだが―。

ということでそんな企画展をけっこう複雑な気分で後にする。
そんなところに売店でライブ前に腹ごしらえをと思ってサンドイッチ買ったら売店のババアが釣り銭ガメやがってさらにやな気分(怒)。
しかし文字通り背に腹は代えられぬwサンドイッチもぐもぐ。
そうこうしていると武道館のほうも開場時間となる。ここでは比較的並ばずに入場できた。
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なんだかんだいっても久々の武道館。なのでちょっと気分は持ち直すw

加えて今回は右手側面の階段席だが、かなり前のほうなのでステージを十分目視できる距離。
ここでも客層観察してたんだが、ほんといろいろな人達がいて女性や家族連れ、意外と高齢な方もいるし外国人もいる。
毎回こういうちょっとオタク寄りのイベントの客層見てると思うんだが、案外こういう人たちが日本社会のサイレントマジョリティなのかもな~などと。
(いえ、単なる野生の勘なのですがw)

そうこうしているうちに開演時間。
今回は前座もないのでイントロとなる導入部分の音楽から即スタート!

しかし前回も書いたと思うが、ミクさんのライブはサイリウムが毎回ほんとすごい。終演後のツイートでオタ芸とかオタ文化うざいとは書いたが、これに関してはきれいなのでOKだw、もちろん自分は死んでも振りませんが(苦笑)。

肝心のステージはTellYourWorldに始まり、序盤はスピードのある曲で押し切る感じ。比較的新し目の曲が多いのかあまり自分は知らない曲多し。
またこの勢いのある導入パート部分は本年度の新規構成?なのか前回みた2013の時と違い衣装替えなども一切無し、とにかくガシガシ進んでいく感じで観客をけむに巻くと言ってもいいようなぐらいの勢い。

しかしなぜそういう演出なのか?というのにはひとつ自分なりの推論があって。

それは今回のステージの「ライブ感の無さ」をなんとかするための演出だったのではないかと。

なにしろ今回はディラッドボードに投影されるミクさんを目視で見れたにもかかわらず(ボードへのサイリウムの写り込みで余計そう感じたのかもしれないが)ライブ感というか、いわゆる「生」感があまりにもなくて、よくいえばライブビューイング、悪くいえばビデオ上映会のような印象を受けたのだ。

で、そうなってしまった理由はおそらく「武道館」であるということにある。

武道館はご存知のように円形、よってステージ自体に縦の奥行きはとりづらいんだがこういったCGの投射やバンドとの絡みの演出をしようとするのなら、ステージ全体の「縦の奥行き」というのはある種必須なのだが、武道館の今回のような席構成だとその奥行きがとれない。

実は武道館は客席数を変更して、そのあたりを調整可能だったかと思うんだがそういったこともしていない、なぜか?

これはさっきのサイリウムの話にもつながってくるんだが、それはおそらく今回のライブのビデオ発売が決まっていて、あまりアリーナ席を減らすわけにはいかなかったのだろう。つまりこのあたりの席数の埋まり具合でカメラに映るサイリウムの数が決まる=ライブの客数の満杯感が画的にはある意味必須(盛り上がっているのを見せるため)⇒結果、アリーナ席をつぶしてまでステージの奥行きを作ることはせず、そういった「ライブ要素」のほうをあきらめたのだろう。

そういう状況なのでバンドとの絡みといった演出とれないことに加え、バンドだけに限っても、ステージ中央にディラッドボード配置のため左右が完全に分断されブース状になってしまっていて左右のメンバーだけの絡みすら取れない。これが「ライブ感の無さ」という事に関してはけっこう致命的だったのかも。

それを挽回するためか、おそらくSEGA技術陣によると思われるCGは頭おかしいレベルで動き回るのだが、そのきびきび感が却って違和感をより増す結果になるという皮肉。
このあたり関係者の努力があちらこちらで空回りしているように感じてすごく残念。

上述のようなライブ感の無さから考えると、これ、世間が想像する悪い意味でのバーチャルアイドルのライブのイメージそのものだよなあと、また企画展見た時とある意味同系統の嫌な気分に。

そして今回はいつにも増して他ボカロの登場も少ないというか割り切った構成。

リンレンだけが曲の絡みから比較的ミク以外では登場多い方であったが、ルカは引っ張るだけ引っ張ってサブボーカル的に1曲登場+ソロ一曲だけという。
そういう意味では最初からあきらめのついている大人組みのカイメイのほうが演出的には恵まれてたのかも。
(MEIKOユーザーとしてはNostalgic聴けたのは良かったが、あの曲はDTM音源としてのMEIKO姐さんの美味しいところ全部削ってる曲でもあるので若干複雑w)
そして驚きなのは、このあたりまでほとんどウリの衣装替えがなかったこと―このあたりやはり予算の問題なんだろうか?

※以下は2013からだが、上記の「絡み」にも関連するがボカロだけで「ライブ感」を引きだした完成度の高い演出だと思う。(今回も演奏された)

でようやく2013のときベースと思われるパートに入ってから衣装替え連発!

加えて今回は定番曲のオンパレードだったので、それでなんとか「ライブステージ」としても盛り返してきたような感じ。
いざこういうシチュエーションにまで持ってこれると、これまでユーザーたちの厳しい目によって選ばれてきた名曲ばかりなのでほんとつよい。
『ロミオとシンデレラ』『ワールドイズマイン』『glow』、『odds&ends』などはやはり盛り上がる。
セットリストは以下にファミ通COMからのものを貼っておくが、おおよそ自分の見た回もほぼこの通りだったように思う。

※あわせてネットに上がっている2013バージョンから何曲か貼っておく。

引用元
(http://www.famitsu.com/news/201509/05087842.html)

<セットリスト>
「Tell Your World」livetune
「ラズベリー*モンスター」HoneyWorks
「はじめまして地球人さん」ピノキオピー
「独りんぼエンヴィー」koyori(電ポルP)
「恋愛裁判」40mP
「聖槍爆裂ボーイ」れるりり
「ロストワンの号哭」Neru
「リモコン」じーざす (ワンダフル☆オポチュニティ!)
「Nostalogic」yuukiss
「スノーマン」halyosy
「エンヴィキャットウォーク」トーマ
「深海少女」ゆうゆ
「Sweet Devil」八王子P
「二次元ドリームフィーバー」PolyphonicBranch
「キャットフード」doriko
「アンハッピーリフレイン」wowaka

「ロミオとシンデレラ」doriko
「glow」keeno

「愛Dee」Mitchie M
「Just Be Friends」Dixie Flatline
「shake it!」emon
「Packaged」livetune
「ワールドイズマイン」ryo(supercell)
「ODDS&ENDS」ryo(supercell)

<アンコール>
「Hand in Hand」livetune

「39」sasakure.UK×DECO*27

<Wアンコール>
「ハジメテノオト」malo

※上記の「深海少女」のあたりから2013の時と同様の演出が見られ始めた。

で、結局ダブルアンコールやって終演だったわけだが、区切りの意味で見に来て、ほんとうにある種の区切りを感じてしまうとは・・・正直なところけっこう複雑。

それはどういう事かというと、ミクさんはこれまで「創造性」のシンボルというかUGMとかCGMといった創作文化におけるシンボルというか、依り代的な性格をもったキャラクターだと自分はとらえているのだが、今回その「創作」のにおいがまったく消え去っていて、完全に「消費」の対象とだけなってしまっていたように感じたのだ。

前回の2013年見た時も既にその気配は少しありはしたのだが、ここまで露骨ではなかった。

逆にいうと、ある意味そういう一般に「消費される」存在になったことの象徴としての「武道館」だったのかもしれない。自分の知っていた創造性のシンボルとしてのミクさんではなく、ただのバーチャルアイドルというか、ほんと日本的な意味での消費される「アイドル」というかね。

※「アイドル的」という事でいえばこれなどもモロそれな演出なのだが(これも2013から)、この時はライブのオープニングかつ他の曲で「バンド」的な演出があったため、さほど気にならなかった。単体の「ライブ映像」として見ると非常に完成度が高いのは事実なのだが。

日本武道館という日本音楽史ではけっこう重要な意味を持つ場所でライブを行った、というのは実はこの辺り(「消費」される対象となること)と表裏一体というか、ある種のバーターの関係になっているのかもしれんなあ。

なによりもあの物産展のような企画展でみた膨大な数のお客さんの多くは、とてもじゃないがミクさん本来のDTM音源としての機能を使ってなにかを作っているような人たちには見えない。これはバカにしていうのではなくて、そういう良くも悪くも「普通」な人達があの場あの時の主な客層だったという事だろう。

しかしミクさんの最大の武器はこういった「観客動員数」にあるのではなく、その尽きぬ「創造性」の泉とでもいうべきものにあったはずで―。
そしてあの日あの場所からはそういったこれまでの「空気」とは明らかに違う空気で満たされていた。

そういった認識を区切りの、しかも日本の音楽史における由緒ある場所でもある日本武道館でのライブにてこういった感じたというのは、繰り返しとなるがけっこう複雑なものがあったなあ。

ただ、その創造性の泉は完全に枯れ果てたわけではないし、同じあの日、あの場所以外のどこかでは、それがどんなにささやかではあってもミクさんによってなにかしらかの音がこの世に具現化しているだろうことは間違いないのだ。

そういう意味では一度これまでの流れはパーっと跡形もなくはじけ散ってしまって一からまたやり直せばいいのかな、と逆にポジティブにあきらめもついた。
そんなことを考えながらライブラストのほうを見ているとダブルアンコールの最後の曲はこの曲でした

名は自ずとその体を表すではないが、どんなに外側がオタ芸やアイドル的なものを求めていても彼女のその本質は変わらないということだろう。

最初に込められたものが、一見行き先見失ってを混乱しているかのように見えるムーブメントに対して痛烈な答えを返していたのかもしれない。
それを思うとちょっといい意味で出来過ぎた物語をみせられてしまったようで、お恥ずかしながらこのアンコールの曲を聞きながら少し目がしらが熱くなった。

どんな時でも、どこにいても、たぶん歌を歌わせたい誰かがいて、そこに彼女がいるかぎり、こんな我々の勝手な思惑とは別に、彼女は彼女のその本質を全うする。
それだけはまず間違いのない、彼女のゆるぎない核心―それをこの大ラスの曲の歌詞でまざまざと見せつけられて、なにも悲観することはないんだな、と。
例え悪い意味での「バーチャルアイドル」と化してしまっても、そのステージを見た中から僅かでもその彼女の「本質」に目を向ける子たちが出てくればいいわけだ。
そしてそれはおそらくこの第一期のムーブメントと違った形で、我々の思いもよらぬ意外な形で姿を現してくれるのではないか。
そう思うとなにも悲観することはない―それは彼女の名前に込められた意味に最初から内包されている本質であろうから。


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「マジカルミライ2015」OFFICIAL ALBUM
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※付記1
ライブ時、自分の客席の近くに小学校4年ぐらいの女の子連れたご家族連れがいらっしゃったのだが、お子さんにせがまれて見に来たのかな、と思って見ていたんだが0しかしどもうお子様はあまりノッテない。まあ側面からなので写してるの丸わかりで興ざめっちゃ興ざめ、子供は正直である。
しかしそれでけではなくよく考えたらミクさんも既に芸歴八年、昔の曲が多ければそりゃ小学生の彼女からすれば下手するとものごころついてない頃の曲よなw」
お母様が一番ノリノリだったのがほほえましかった、実はお母様が観に行きたかったのかもしれないw

※付記2
悪い意味で世間が考える「バーチャルアイドル」化が進行しているのか、完全に「消費される」ための存在になったからか、このライブの後日、今度は「ツアー」をやる旨発表された。このあたり良しにつけ悪しきにつけ、どういった展開がされていくのか気になるところではある。それ次第ではひょっとすると本稿で書いたようなことは実は単なる杞憂に終わる可能性もわずかながら残っているような気がしないでもない。動向だけは追っかけておきたいとは思う。

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