ここまでいくつか経済関係―おもにリフレ派と呼ばれるほうの本を読んできて、このブログでも紹介してきたが、その総まとめ的に読める一冊だった。
日本人はなぜ貧乏になったか? [単行本(ソフトカバー)]
村上 尚己 (著)
本書の帯にはこうある。
・「右肩上がりの成長はもう望めない」
・「人口が減っているから停滞は仕方がない」
・「一人当たりのGDPで見れば日本人はまだ豊か」
全部、ウソです。と。
その是非は、ぜひご自身で読んでみて確認して頂きたいと思うが、本書は、こういった巷間に流布されている漠然とした言い回しの一つ一つに、適宜数値=グラフを使って反論している。
基本的にものすごくシンプルな文章、かつ上記のようにグラフをうまく使って説明しているので、なにかこう格闘技の試合で派手な動きをしない地味目の選手が、てきぱきと確実に関節技を決めていくようなある種の爽快さがある。
自分は元々そんなに数字に強い人間ではないし、時として気分とか人情というものに流されてしまうような部分も持っているという自覚がある。
なので、なるべくいろいろな本を読んでことの是非は判断しようと心がけているつもり。
(頭も良くないという自覚もあるので)
で、ここ数年の経済的な不況に関しての本をいくつか読んできたんだが、やはり結論の一つとして、ここまでの不況の原因は日銀をはじめとする官僚組織によるオペレーションミス、それに尽きるといわざるを得ないと思う。
特に世界各国の金融緩和に対しての、相対的な円の規模のコントロールに失敗した、というのはもう言い逃れようのない原因の一つといってよい。
本書は、これまで読んできた本のなかで語られていたそれら要旨を、結果的に非常にシンプルな形でまとめてくれているような印象だった。
景気に関心がある、いや、一社会人として昨今の経済の状態とその原因を最低限知っておきたい、という方は是非手に取っておくべき一冊だろう。
上記のように非常にシンプルな文体で、必要最低限な言葉でロジカルに書かれている本なので、非常に読みやすい本であることは保証する。
そして、本書を読んでいていちばん疑問に思うのは(本書の内容からは離れるのだが)
なぜ日銀はこういったこの国を内部から破壊するようなことを、悪びれもなく、延々と、それも堂々とやれるのか?その内的動機はいったいどういうところにあるのだろう?という点。
もうそのことが、気になって気になって仕方がない。
(というかここを解明して歯止めをかけないと、いずれ別の官僚組織によって同じことが起きるのではないか)
先日退任を表明した白川日銀総裁は経済理論の論者としては、海外からも評価の高い人物だったという話もある。
ではなぜ、そんな優秀な人物が、ここまで実際の経済の破壊をともなうオペレーションを堂々と取ってしまうのか?
これはもう、思うに日本独特の「組織内部の空気=所属人物にとっての絶対正義」という内的動機が働いているとしか、自分には考えつかない。
(もしそうでないとすると、こういった内部破壊をともなう各種の団体―日銀を筆頭に各種反日マスコミ、最近だとJASRACもそうか―はまるで悪の秘密結社ショッカーとかと同類だわ、冗談抜きで)
日本にはいわゆる一神教のような「絶対正義」というものがない。
だからこそ、東北の震災のときのような秩序だった行動が出来る反面、周りの」「空気」=倫理の基準となり、それに逆らうことが至難のわざとなる。
加えてそれを補完するような、「責任」の所在をあいまいにする文化と、それ故に一度でも「失敗」(組織の論理からの逸脱)を行うと、文字通りその組織内では「抹殺」される―そういう文化が、社会の各層で、広く根深くはびこっているように思う。
そして、いくら学業が優秀な人物でも、いちどその組織内部の空気に絡め取られると、社会的な正義は組織内の正義の二の次になる―そういうことなのだろうか。
考えれば原子力発電も、そういったなし崩しの中で―いろいろな問題をクリアにしないまま―なし崩しで推進していって、いまあんなひどいことになっているわけだ。
本書を読んで、結果的にいちばんそのことを―責任の所在のあやふやさ、そういった「空気」が支配する文化―そういったことを痛感させられた。
ここをクリアにしないと、いくら「論理的に考えた結論だからこうです」といっても、その論理的に考えたはずの人間自身が、自己の所属組織の「空気」に捻じ曲げられて、いくらでも非・論理的なことをしでかすわけだ。
そのことを、そろそろ自分たちは真剣に考えなければならないのではないか。
そうでないと、’98年の消費税増税の頃からずっとつづく3万人前後/年の自殺者=50万人弱の犠牲者も浮かばれないのではないか?
あと、本書のあとがきは個人的に感銘を受けた。
こういう、ある種の使命感をもつに至るにはいろいろあったんだろうな、と思う。
ほぼ自分と同年齢の方のようなので、余計にそう感じた。