昨年末に出ていたらしいのだが、ばたばたしていて気付かなかった、不覚!
(アクセス解析のキーワードで気付いた始末、サーセンw)
『リーチマン(2) (モーニング KC)』
前巻をレビューしたときにも触れたが、本巻では東日本大震災でのエピソードが一部含まれており、そのエピソードだけで埋まるわけではないが、本巻全体をなんとなく貫くような通奏低音として響いている。
本作品を個人的に一番買っている理由は―おそらくそういうことを狙って描いているのではないと思うのだが―いまこの2010年代初頭という時代の、ひとつの”空気”、というかいまという時代を、作者とその嫁という小さくもリアルな視点から、結果的に切り取っているであろう部分。
おそらくご本人がモデルであろう、大男の主人公。
その生活を・こころのざわめきを描いている―ということなんだろうと思うが、これを数年後、数十年後に読み返したとすると、自分とは直接関係のない描写であっても、そのときの自分の気分を思い出すのではないか―そんな気がする。
特に本巻で描かれている、首都圏に住んでいる人間ならあの時経験したであろう―直接の当事者ではなく、傍観者である―にもかかわらず、どこか自分中の延長線としてつながる、東北での地震。
その独特の空気が、結果的にビビッドに捉えられているように思う。
これは著者が、大上段に振りかぶって地震のことを描こうなどととは微塵も思わず、あくまでも自分の生活の中で起きた、友人を失ったということ―そのことと丁寧に向き合ったからこそ、かもし出された空気感だろう。
だから震災のことに限らない。
なにげない、彼らの日々の生活のなかに接するもの、その視点。
本作の最大の武器はこの空気感ではないだろうか。
亡くなった友人の部屋、その机の前に立ち尽くす大男の彼。
そのコントラストに、なぜかほろりと、泣けた。
※2022/06 標題の表記を統一、リンク切れを修正