極限に思いを馳せれば見えてくるものものあるのではないか―。
そう思い、歴史に学ぶべく。
いわずとしれたナチスドイツの悪名高き”絶滅収容所”アウシュビッツ。
そこに若くして妻と二人の子供とともに収容された心理学者の手による一冊。
(そして結局生き延びたのは彼一人だけであり妻や子供の死も彼は最後まで知らなかった・・・)
本書がすばらしいのは、心理学者という”専門家”としての視線をもちつつ生還した著者の、その”専門家”ゆえの分析の明晰さの部分も、もちろんある。
しかし本書の―その真のすばらしさというのは、その冷徹な視線を越えてなお、なにかに祈らざるを得ない魂の叫び、極限の状況におかれたが故の人間というものから発せられる”なにか”が行間からにじみ出ざるを得ないところだろう。
そのため本書は非常に論理的な文体で書かれているにもかかわらず、ある種の文学作品を思わせる。
極限の中で人の尊厳というものがいかに損なわれるものなのか?
翻って緩やかで一見平穏に見える日々の生活の中でこそ緩やかに腐食していくものはないのか?
そういう思いが読中何度もよぎった。
ここには善も悪も―そのある種の極限がここにはあった。
人がこの世に作り出した地獄において―その極限さ故に―人はその卑しさも尊さもすべてをさらけ出すこととなった―。
本書はその極限の記録である。
冷静な―故に感動的なひとつの記録である。
注)ただし本書は前後におそらく著者とは異なる執筆者によると思われる解説や出版者の序なる文章が含まれているが、これらは事実関係の把握という視点以外では読み飛ばされることをお勧めする。
この記事に触発されて読みました。
読めてほんとによかったです、ありがとうございます。感じていた仮説が、アウシュビッツまで行っても、これだけ極限の状態におかれてもやはり証明されうるのだ、という気がしました。
やはり本当の自由はそこにしかないのだということが。
コメントありがとうございます。
自分もまだ一読しただけなんですが、なんちゅうかこういう極限においても人は人であることをやめれないんだな、良くも悪くも・・・そう思いました。それは希望と同時に失望でもあり失望と同時に希望でもあるというか。
まだまだ読めば見えてくるものというのがある一冊だと思います。
紹介したのがお役に立ったのであればちょびっと光栄です(笑)。
けど”感じていた仮説”て~!?
激しく気になる~(笑)。