ずいぶん前に買っていたんだが、読むモードになかなかなれなくて、ようやく読了。
リーダーの値打ち~日本ではなぜバカだけが出世するのか?/山本一郎
著名アルファ・ブロガーの一人である”切り込み隊長”こと山本一郎氏の著書。
表題にあるように「どうしてこんな馬鹿な人が組織のリーダになっているのだろう?」というこ点と、「私たちはこんなに頑張っているのに、なぜ成果に結びつかないのだろう?」というこの二点を柱に、会社組織ということのみならず、これから先の日本の社会の在り方全般を論じている。
結論から先に言うと、非常に素晴らしい一冊だと思う。
「バカが~」云々の骨子の部分はご自身でも書いておられるように、いわゆるピーターの法則ということかと思う。
が、それよりも本書全体を通じて重要だな、と感じたのは、いまの日本の世の中は、企業体も個人も「自分がどう生きていきたいのか?」ということに対する主体性を無くしてしまっているのではないか?ということ。
それがそういう風に去勢されてきたのか、自ずとそのように萎縮していったのかはわからないが、総じて(語感が悪いかもしれないが)いい意味での「欲望」の欠落とでもいうか。
「どうしたい」「こういうことをしたい」ではなく、自己保身のみが自己目的化してしまっているというのは常々感じていて、それなのに「成長戦略を!」とかいっても自家撞着もはなはだしいわけで。
しかしそういった矛盾を、皆が「厳しい経済状況」「不景気」という言葉の下で、まともに考えなくなっているということだろう。
これは自分もいま失職中で、次の仕事を探そうとしている最中だが、実はその過程でいやというほど自覚させられた。
「自分はどう生きていきたいのだろう?」
そういった自分の人生に対する目的(ビジョン)もなく、自分の満足する仕事なんぞ探せるはずもない。
ただ、自分のようにこういった機会がなく、なんとなく生活できている会社生活を日々過ごしている人は、おそらくふとそう思う瞬間があっても、そのまま現状維持を続けるんじゃないだろうか。(これまでの自分がまさにそうだったし)
本書とは順序が逆だが、これを会社組織まで敷衍していくと、その「どう生きていくのか?」というのが会社にとっては「経営理念」であり、いわゆる会社としてのビジョンだが、それが決定的に欠落しているのが、現状の景気停滞の大きな一因の一つではないか。
当然、そういった「ビジョン」を抱くということは、それにあわせた取捨選択をおこなう、ということでもある。
それが経営判断だし、リソースの選択と集中ということだろう。
当然それには痛みも伴うし、排除される側からすれば死活問題なので、それ相当の反発もでる。
だからこそ、逆説的ではあるがそこにはそういった反発を越えていくだけの”信念”=ビジョンが必要だし、それがなくては思い切った舵などきれない。
結果、日本的な”無難な落とし所”へ落とすという状態に陥り、さらに競争力が落ちていく。(※)
逆に言うと、’60~’70年代の高度経済成長という時代も、”しっかり働いて経済を成長させる”という物語(ビジョン)が社会全体で共有されていたからこそ、あれだけの成長を成し遂げられた。
そういった社会の方向性を明示することができれば、日本の社会はまだまだそれを実現していくだけの潜在能力を失っていない、とも本書にはある。同意である。
本書を読む前から、漠然と”理念”ということはもっと大切なんじゃないか、そういうことを綺麗ごとと軽視している管理職が多すぎるんじゃないかと思っていたが、そこを理論的に補強して頂いた感じ。感謝である。
上記つらつらと書いてきたのはあくまでも個人的な所見であるが、本書はそういった思考を展開できるだけの内容が書かれており、実は表題から想像してしまうような矮小な内容だけの本ではない。
ある種、投資会社運営という著者の立場から見た、具体例を伴った日本社会論ともいえると思う。
(※)
自分も文楽の件など疑問に思うことも多い橋下市長だが、この視点でいくと彼は明確なビジョナリストではあると思う。
(そのビジョンへの賛否は別として)
反発する人は多いが、そのほとんどが感情論である以上、このままでは彼には勝てないだろうな。
本当は彼のそれに対抗できる”信念”の持ち主が居てはじめて健全な政策論争になるんだろうが。
またすこし本題からは離れるが、自分が前の仕事先を辞めようと思ったのも(勤務体制がむちゃくちゃだったということもあるが)、管理者側から「どういうビジョンを持って自分たちをこの現場に投入しているのか?」という質問に対する答えを、全く得られなかったのも一つの理由。
何度かしつこく聞いてみて
「自分個人にじゃなくていいんですよ、メール一本でいいから現場の人間にこういう方針でやってる、というのを飛ばせないんですか?」
と聞いてみたが無しのつぶて。
要するに兵隊を戦場へ降下させても「戦線維持してね?( ・ω≦) テヘペロ」だけで、方向性に関するバックアップなにもなし。
これが長きに渡って現場を維持している戦場ならまだしも、新たに拡大した戦場だったわけだからなあ。
なのでこの時点で
「あ、あかん、この人ら多分そういうビジョンとか目的の全体共有の重要性を軽視してるか、わかってはらへんわ」
(というかたかが派遣、単なる”商材”扱いだった可能性のほうが高いですがなw)
という結論が出たので、そういう上官の下で流れ弾に当たって死ぬのは不本意だったので、辞めようと。
実はこれも大きな理由の一つでした。
自分の判断が正しかったのかは正直わかりませんが、世話になった―一宿一飯の義理があるところと揉めずにおくには、自分が引くしかないですわね。
(逆に言うと、揉めてまで自分の望む結果が得られるとも思えないし、そこまでしようという思いいれも消えてたということでもあります)