月極めレンタルで。
ディック原作、スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演という割には”ちょっとした佳作”に収まっている一本。
2054年、未来予知と個人情報の管理により、ワシントンDCでは劇的に犯罪を減らすことに成功していた。その未来予知システムを使った捜査局の主任ジョンは、ある日その未来予知システムの中に、自身が殺人を犯す姿を捉えてしまう。
なんとか逃げ出すも、自分の元同僚たちに追われるジョンは、システムの開発者の示唆により予知システムのコアである「プリコグ」の一人、アガサを連れ出す。アガサの記憶、そして亡くした息子への想いを絡め、事件は意外な人物へとジムを導いてゆく。
いや、ハリウッドシステムの映画としてよくできていて、決して退屈な映画ではないんですよ。
未来社会のデザインもなんとなくかっちょいいし。
しかしなんでこの面子で、この程度の作品に終わっているかというと、「超管理社会」と「未来予知」という、本来ならそれだけで、それぞれご飯三杯ぐらいいけそうなネタが上手くかみ合ってなかったからだろう。
作品のタイトルからしても、字面だけから想像すると「超管理社会」的な側面からのそれかと思いきやそうでない。
またビッグブラザーやgooglezon的な管理社会の網目からどう脱出するか、というのをシナリオ的に期待するも、シナリオのギミックとしてあきらかにウェイトが割かれているのは「未来予知」のほう。
これなら、なにもこんなガチガチの近未来管理社会を舞台にせずとも、現代劇でよかったわけで。
(もちろん、結果的にシナリオ導線としては管理社会へのアンチテーゼとして、システムを守ろうとした人物がシステムに裁かれ、システム自体も自壊するわけだが)
まあディックの原作がそういうものだとしたら、仕方のないことですが。
そういうことを考えると、逆によくそれらの相反した要素をうまくまとめて、なんとか落としどころを作った良い脚本、ともいえるのかもしれない。
ただ、作品としてはあくまで佳作。
個人的には、よく評論などで見聞きする、ディック作品における「聖少女」的な存在がはっきりわかる一本だったので、そこは面白かったかな。
(ブレランだとレイチェルさんもそれなんだろうが、なんせショーン・ヤングだからなあ;)