先日、角川bookwalkerのキャッシュバックキャンペーンがあって、その際に同じ著者の『ママゴト』を読んで、そのあまりの素晴らしさにこちらも購入。
以前から名前は存じ上げていた方だが、こういう方向へ幅を広げておられたとは・・・。大傑作である。
『相羽奈美の犬(全) (ビームコミックス) 』
両親の不仲をはじめ、すべてにおいて自分の生きる意味を失っていた少年は、ある日レコード屋で見かけた美少女・相羽奈美という存在を知る。自身が負け犬でくだらない存在と自覚している彼の唯一の生きがいは、彼女を消極的にストーキングすること。ある日、日課のストーキング午後の部(笑)を始めようとしていると、彼女が本物のストーカーにつけられているのを見つける。彼女に知らせようとした彼だが車にはねられてしまう。宙を舞う意識の中で最期を自覚した彼は神様に祈る「神様お願いです、僕が死んだら犬にしてください」犬になれたら彼女の眼をまっすぐから見つめてみたい・・・。「じゃあ犬にしてやろう」突然現れた黒い犬の意識体?によって、宙を待っていたはずの彼の体は犬になっていた・・・。
―あなたの涙を舐めるため、僕は人間を辞めました。―
(書籍帯のコピーより)
松田洋子氏の作品は、人間の持っているいやな面・醜悪な面を情け容赦なくグサリとえぐり取るのが非類もなく見事なのだが、それが最終的に後味の悪い読後感につながらないのは、やはりその醜さ・醜悪さへのまなざしの先に人間の持つ「哀しさ」まで見て取っているからだろう。
また氏の作品は上記のようなシリアスな描写の中にあっても、それ故の皮肉や笑いがところどころにちりばめてあって、けっして重いだけにならない―どころかその観察眼の鋭さゆえに大爆笑せざるを得なかったりもする。
基本的に自分は、人のコンプレックスや弱みをあげつらうようなギャグや自意識過剰な故に空回りするといったタイプのギャグが大嫌いなのだが(見ててつらくなってくるので)、この方の作品では、そういった嫌悪感を感じない。それは上記のような作者の深いまなざしということもあると思うのだが、基本、登場人物たちがその自分自身の「痛さ」に気づいており、しかしそれでも生きていかざるを得ない、というある種の救われなさを背負っているからだろう。
比較するのは適当ではないかもしれないし、自分の好みという点だけなので貶めて言うつもりはないのだが、東村アキコ氏の作品などとは表層的には似てる印象を受けるが、ある意味真逆のベクトルを持っていると思う。
(東村氏の作品の登場人物は松田氏の作品のように切羽詰まってのそれではなく、リア充が退屈しのぎに性質の悪い悪ふざけをしているように自分は見えてしまう)
主人公は言うまでもなく、本作各話に登場する登場人物たちもみな切羽詰まっている。
それを自分に甘い、自分勝手な弱さと取ることもできようが、最終的に彼らが主人公オンの牙によって犬の姿に変わった時、とても悲しい目をしているのはなぜだろう。
自分はそこに、やはり作者の人間というものの救いようのなさへの深い愛情を見るような気がする。
こういった人間への深い視点、というのは実は西原理恵子氏の作品にも見られるのだが(作品の中にあるある種の空気感というのも共通する部分があるように思う)、りえぞお先生がギャグで押し切って照れ隠ししているのに対し、松田氏の作品はそれよりも一歩だけ踏み込んで感動も与えてくれる、そんな感じだろうか。
自分は犬派か猫派か、というと圧倒的に猫派なのだが、これを読んであらためてあの犬のじっとこちらを待っているような目がつらくなるので苦手なんだな、とあらためて気づいた(苦笑)。
(ちなみに本作ではその「犬の表情」の描写に関して圧巻である)
昔から犬派の人はさびしがり屋の人が多い、と漠然と思っていたが、ある意味そういった裏切らない、自分をずっと見つめてくれる視線を、絶対的に必要とするひとが多いからなのかもしれない。
松浦理英子氏の『犬身』でもそうだったが、犬というのは我が身を省みず献身してくれる、その”象徴”なんだろう。
本作では、最終的にそういった献身が主人公たちを救うことになる。
面白おかしく、皮肉も効いているが泣ける―ある種の慈愛に満ち溢れた名作だと思う。
※あと偶然にも狗神まわりの作品を続けて読むことになったのはなんの偶然かw調べてみると松田氏は広島出身。前回取り上げた『狗神』の坂東眞砂子氏は高知出身。おまけに松浦理英子氏も愛媛出身だwやはり西日本~四国・中国地方の地域性が強くモノを言うということなんだろうか。