ホテル・ルワンダ

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昨年帰省中に実家のBSにてみたので、レビューしとく。

ホテル・ルワンダ

1994年のルワンダ虐殺が舞台の一作。欧米資本のオテル・デ・ミル・コリン(4つ星ホテル)の支配人であったポールは、フツ族とツチ族の間に燃え広がった憎悪の中で、厳しい選択を迫られる。

最初は家族を守ることだけを考えていたポールは、近隣や、各所から逃げ込んでくる避難民を受け入れるうち、徐々に覚悟を決め、避難民たちを「ゲスト」として民兵たちの虐殺から守ろうと奮闘する。

いやー、えぐい映画。

描写自体はグロテスクでもなんでもないが、逆に断片的に見せられる事後の映像が、却って人間の狂気に火が付いたときの恐ろしさを教えてくれる。

もちろん、その憎悪の燃えひろがる下地、というのは、それまでの歴史の経緯の中にあって、そこに貧困や格差によって火がつくということなんだろうが、こういった理屈のない、感情レベルの暗い炎の燃えひろがりというのは止めようがない。

この映画は事実を下敷きにしているようだが、wikiなどを見ると、実際に数十万~百万人強が虐殺され、生き残った女性なども組織的に強姦されるなど、凄惨を極めたようだ。

これだけの虐殺が引き起こされたのは、前述のように経済の悪化に伴う貧富の差、社会的格差の拡大などが引きがねではあるが、そこにやはり「民族問題」という理屈では解決できない、感情的に根深いものが横たわっている。

しかし、調べてみてひっくり返るのが、このフツ族とツチ族という区別も、実は欧米が入植・侵略してきた際に、彼らが適当に決めたものである、というのがなんともいえない気持ちにさせる。(そして作中にもあるが、その”欧米”は自国民だけを非難させるだけでさっさと撤収してしまう・・・)

しかし、最初はそういう些細な理由で作られた”区別”あっても、年月が経てば、その理不尽な”気分”の根拠は定着し、それが人を分け、分けるが故に自分と異なるものへの憎悪を掻き立てる。

昨今我が国の中を見ても、ネットの一部を飛び出して、韓国系の文化や韓国人そのものに対するヘイトスピーチ的なものが、現実の中であらわれつつあるが(これらが経済的理由によってごり押しされている、というそれなりの根拠があるとはいえ)ちょっと気をつけておかないと、こういったところで火種は蒔かれるのかもしれん。

幸い、日本人は基本的に恨みや憎しみを長く持ち続けるのが苦手な民族だと思うので、このレベルのことは傾向的におきづらい・・・と信じたいが、このルワンダ紛争、100万人近くが殺されるのにたった3ヶ月ちょっとしかかかってないのよね・・・。

特にここ十数年くらいの若い人や経済的弱者に対する扱いを見ていると、下地はどんどん敷き詰められつつはあるぞ?

こういうことを避ける知恵としても、ノーブリスト・オブリージュはあると思うんだが、そんな自負とか誇り持ってる人間は、この新自由経済の世の中の中では出世しとらんわな。

この紛争を描いたものとして『ジェノサイドの丘―ルワンダ虐殺の隠された真実』という本があって、以前から読みたいな、とは思っているんだが、上下巻で高価なハードカバーなのでいまだ未読。
チャンスがあれば、ちゃんと読んでみたいと思う。

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