【レビュー】『聲の形 1巻』大今良時

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先行する雛型ともいうべき読切り作品が一部で話題になっていた作品。
読切り作品から連載へ、という形になったとは聞いていたので、第1巻発売を期に読んでみた。

『聲の形(1) (少年マガジンコミックス)』




一人の少年と聾啞の少女が出会うところから始まる物語だが、この第1巻はそのふたりの話よりも、その背景となる学校の描写が丁寧に描かれている。これはある種、いまの日本の世の中の典型的な縮図にも見える。

本巻はこのあたりの描写が非常に秀逸で、このクソっぷりが読んでいて思わず反吐を吐きたくなるようで、(変な言い方だが)大変素晴らしい。よくぞ描いてくれたと思う。

本書で描かれているこの緩慢な地獄というのは、経験のある方ならおわかりだろう。
そして、それを生み出しているものがなんなのか、ということも。

要はいまの日本の社会というのは、すべて「ごまかし」で廻っている。

もちろん、大人になればすべて白黒つけられるわけでもなく、グレーな着地点がある、ということがわかるのも事実だ。
しかし、このいまの世の中の大半のそれは、本書で繰り返し出てくる「仕方ない」という言葉に代表される、本来当事者であるはずの我々の、小さくてささやかな怠惰と保身の積み重ね―そのエクスキューズに過ぎない。

常に”本気”であれ、というわけではない。しかし”本気”になるべきものを持たない、見せるべき時に”本気”を見せられない、というのは、それはやはりまごうことなき怠惰であり怯懦だ。

本来それをまっとうすべき時にまっとうできることが、大人の条件だったかと思うが、いまはそれすらも忘れさられ、無かったことにされてしまった。

なぜなら、本気というのは有無を言わさない=つまり後先なしに、ということでもある。

そんな恐ろしいことは、虚栄心に近い自己肯定感しか持ち得ない人々にとっては、とうてい耐えられるものではない―そういうことだろう。
だからこそ、そういう目を逸らしていた、みたくない”本当の現実”を見せつける存在は、許せないわけだ。

そしてそういう存在は、結果、贄の羊にされる。

この点、カリカチュアライズされてはいるが本作で描かれている一連の描写は、見事なまでにいまの日本の世の中の縮図だろう。それは一見善人に見えるキャラクターを含め、作中に出てくる大人全員の普通かつクズっぷりからもよくわかる。

もちろんこういった小さな怠惰や怯懦の積み重ねは、人一倍、本稿筆者にも当てはまる―それ故の救いようのない胸糞の悪さだ、自己嫌悪故の。

こういった身も蓋もないテーマを、ある種少年マンガの王道的な絵柄で作品化したというのは、それだけで一つの偉業だろう。

あとは、この物語がどういったところへ着地するのか?そこを注目して待ちたいと思う。

静かに口コミ的に話題になっていただけあって、一読に値する問題作である。







※2022/06 標題の表記を統一、リンク切れを修正

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