TSUTAYAの年末年始50円レンタルにて。
名前は聞いたことはあったが未見、しかしMMD杯の出品作品等で良く元ネタにされていることに加え、一部では「傑作」との評価もあるようなので気になってはいたのでこの機会に見てみた。
結論・・・・・アカン、これつらいヤツや!?(泣)
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近未来のイタリア。現政府と対立する共和国派によるテロに対抗するため、回復の見込みのない少女たちを機械化することによって戦闘員とする「社会福祉公社」と呼ばれる対テロ組織があった。兄から勧誘を受けたジョゼは最初の任務として自身が担当官として担当する義体の少女に”ヘンリエッタ”と名前をつけるのだが―。
「美少女」「身体改造」「銃」「担当官の命令は絶対」という世間が想像するキモいオタクが好みそうなキーワードが役満で勢ぞろいであるし、その設定部分も意外とガバガバだったりもする。
原作(コミック)がそういう設定である以上、そこからは逃れられていないのだが、それらを敢えて無視するならば、一部の層がいう「傑作」というのも分からなくはない。「傑作」はいいすぎにしても間違いなく見ごたえのある「佳作」「良作」といってよいと思う。
上記のように事故や先天的な病気等で先のない少女たちが機械の身体(義体)へと改造され、専任の担当官への忠誠を条件付けと呼ばれる処理で焼きつけられ、戦闘兵器として対テロ戦の最前線で運用される、そういう舞台の話である―常識的な一般人ならばこう単語の羅列を見ただけでダメな感じ満載と受け取るのが正しいし、それは間違ってはいない。ならばなぜまがりなりにも「傑作」との評価が一部であるのか?
要はこの作品、そういったディティールの部分こそ現代の男性オタク層にとってはあざといまでの見え見えの釣り針感満載ではあるが、実は作品としての実態は非常に古典的で、人間でない葛藤を抱えつつ人々の中で生きる手塚治虫の『鉄腕アトム』や、ピノキオを本歌取りした石森章太郎の『人造人間キカイダー』といったあの系譜の作品の変形―そう人のようで人ならざるもの―そしていつか壊れてしまう(消えてしまう)命であるというセンチメンタリズム―そこをこのアニメ版はタイトルからは想像もつかない静かな画面運びと、抜群の選曲センスで表現したからそういう評価が出たのだろう。新しいところがあるといえば、そういった「銃」や「美少女」というものを先人たちが(時代の流れもあって)ぶち込むのをためらっていたものをなんの禁忌もなくぶち込んでいることくらいだろう。
(それすらも先行するさまざまなコミック作品やエロに近い場所でのゲーム作品等ではとっくの昔に存在していたような気がする)
なのでもっと言ってしまえば「GUNSLINGER GIRL」とあるが、そのガンアクションは本題ではなく(アニメーションとしての描写は素晴らしいが)、先の見えない(長く生きられない)けなげな女の子たちの、その宿命を受け入れつつのけなげさや葛藤の部分こそが本作品の核心だろう。
これは実は岡田斗司夫氏だったかがまどマギに関しての論評でいっていたかと思うのだが、要はこういう作品は「自分たちはとてもそこまでバカ(純真)になれないことを自覚しつつ、その作中人物たちの純真さを愛でるところにカタルシスがある」的な作品の系譜ということだろう。そういってしまうと身もフタもないが、その部分については自覚的である必要はあると思う。もっと単純にいえば「難病少女モノ」―その変形といえるかもしれない。
そういったことを踏まえたうえでみると、やはり演出がうまく、その作中の雰囲気の見せ方は見事だと思う。
アニメというとガチャガチャした感じのものをどうしても思い浮かべる方が多いともうが、こういう静かにもかかわらずちゃんと20分前後の尺をだれさせずに見せるのは見事だ。やはりこのあたりの品の良さというのは演出の力ならではだろう―この作中の”空気感”とでも言うべきものは一見の価値はあるといえる。
(個人的には数年前に友人が貸してくれた『灰羽連盟』のあの空気感にも近いように感じた)
で、このアニメシリーズとしてのGUNSLINGER GIRLは原作のかなり前半の一部分のみを淡々と消化して終わるのだが、最終話前後のプロットの組み立てが見事で、上にいろいろごちゃごちゃ書いたことを踏まえたうえでも、ある種の普遍性を持った物語としての部分をちゃんと見せている。このあたり感情移入してみられるならばかなり切なくも美しいエンディングだ。
原作は15巻ほどで完結、アニメーションとしても第二期が制作されたそうだが、第二期はこの第一期の評価が高すぎて正直なところあまり評価されていない模様。原作は原作で本アニメーションシリーズでの登場人物たちの結末が描かれているようなので、機会があれば読んでみたいとは思う。
まあほんでこの作品、いちばんどういう話なのかというのを端的に説明すると、FSSにおける騎士とファティマの関係なんだな。ある意味ファティマたちと違って本作の少女たちは自らがむしろ積極的に銃弾飛び交う舞台に飛び込み血を流す存在であるところからよりその本質が良くわかるというか。「兵器」ってこういうことよねというね。
(本作の最終話はまさにFSS第9巻のあのエピソードそのものだと思う)
だから逆にいうとFSS内のエピソードで「ファティマに依存しない騎士が最もうまくファティマを使いこなせるし、ファティマへの負担も少ない」というのがあったが、その部分の意味が本作を観ると非常によくわかる。
そういう意味では冒頭、本作のヒロインであるヘンリエッタをえらぶ主人公ジョゼの(世間的に見れば)いい人っぷりというのが、自分の場合は見ていて「あー、それじゃあかんやろ。それだと今後女の子のほうがつらくなっていくし、自分も救われなくなるぞ」と思って見てました。そしたら後半で別チームとはいえある意味それを証明するようなエピソードがががが!?(泣)。
ということで見て損のないシリーズだったし、なによりもその静かな演出と音楽が素晴らしかった。少し所用もあったのでながら見的にみてた部分もあったんだが、なにかこうラジオドラマのような静けさもあって不思議な感じではあった。(良く見てみると制作マッドハウスなのね、そりゃ上品なわけだわ)
万人にお勧めするわけではないが、すこし静かでリリカルな(けどダウナーな:苦笑)作品を見たいという方にはオススメの一本である。オープニング曲のシューゲイザー的な雰囲気が作中本編でも最後まで一貫して持続している。
あとFSSの読者の方は見ておいて損はないだろう。上記にも書いたが、騎士とファティマの関係というのは本質的に本作で描かれているものと同質だ。
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