【レビュー】『聲の形 7巻』大今 良時

標準

昨年末に出ていたのだが、どうにもレビューする気が進まずここまで。
しかし最終巻という事なのでほっぽり出すわけにもいかず形だけレビューしておく。

『聲の形(7) (講談社コミックス)』





本作はいわゆる「このマンガが凄い」とか「いま読んでおくべき作品」的に取り上げられることが多い作品となったが、個人的にはまずあんまり読んでいて楽しい作品ではない、という事は最後まで相変わらずであった。

それは出てくる登場人物たちが基本的に(もの凄く陳腐な言い方となるが)愛情に飢えている、故に変形した自己愛の塊というか、そういったものを濃厚に持っている人物ばかりで、ほぼまともな人物が出てこない。そしてそういう登場人物が、なぜそういう自己形成をしていったのかというところが、個人的にはあまり必然性をもって感じられなかった、というところに自分にとっての本作のとっつきにくさがあったのだろうか。

とにかく読んでて痛々しいシチュエーションのオンパレードで、彼らがそういったところで踊っていることでなにか救いとか未来とかがあるのだろうか?と問うた時に、すくなくともこの作中の舞台の中にはないだろうな、というのが自分の印象。

登場人物たちは若いが故に、その若さなりの理想主義で仲間との絆をどうにか回復させようとする(それは欠落した自己愛を埋めるための他者を必要とするから故でもあるのだが)、そしてそれは彼らの葛藤の末になんとか形をなしたように見えなくもない。

ただ根本的にそれが全く変わらないだろうなと思うのは、最後のほうで主人公とヒロインの親たちが片親の女親同士の変な連帯感の描写があること。

いわば、大人たちはこれまでと全く変わらず(彼らも自己愛の欠落故に)子供たちをある種の”理由”として生きていくだろうことが透けて見える。ここでどっと疲れた。
これが同じ立場のある種の友人?関係を得て子供たちへの依存が軽減するかというと、とてもそういう描写には見えなかった。それどころか彼女らは、互いのうっ憤を愚痴り合うという形でそれを知らぬ間にこじらせ、強化していくんじゃないかという気すらしないでもない。

要は主人公たちのあがきによる自己成長は描かれているが、その根底となるところは全くなにひとつ変わっていないと言えばよいだろうか。

それをなにかいい話のようにまとめてしまい、ちゃんちゃん、と締めくくっているように自分には読めて、結局最後までなにひとつシンパシーを感じることのない物語ではあった。

しかし、この作者の方はこういう人があまり見たくない部分を露悪的に吐露させ、それをわかるように描写する、という点においては素晴らしかった、ということだけ言っておく。
ただ、問題はそれによってなにを訴え、伝えたいか、というところがやはり自分には浅く感じたし、自分は登場人物たちほど自己肯定感・自己愛に飢餓を覚えていないのでシンパシーの抱きようもなかった。

もちろん、作中の人物たちと似たような年齢の読者には響くところはあろう。

しかしここに書かれている物語がある種の年齢や世代を越えて伝わる、なにか普遍的なものを含んでいるか、と問われればそれは残念ながらNoだと自分には思える。

あまり否定的なことで記事は書きたくないのだが、これが今のところ本作に対する正直な感想である。

痛々しさが三度の飯よりも好物、という方にはオススメできるかもしれない。







※2022/06 標題の表記を統一、リンク切れを修正

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