今度はツンデレ人形浄瑠璃なお嬢さんですか・・・どこまで谷風グルーピー増やすんだ?(笑)
『シドニアの騎士(11) (アフタヌーンKC)』
イザナの義肢を通した感覚増幅装置の実験は、惑星セブンで全滅した非武装主義者たちの生き残り・市ヶ谷テルルを偶然にも発見する。船員名簿に名前のない彼女は、人工生命研究者である市谷博士に作られた人工生命体だった。「人でないから助けないのか」と珍しく感情をあらわにするつむぎを見かねて、谷風たちは非ヘイグス粒子搭載機(十五式)でテルルの救出に向かう。そのメンバーには「一五式の操縦ならまだまだ現役に負けてないわよ」となんとヒ山さんも。しかし非武装主義者に作られたテルルはとんでもないお騒がせツンデレロボット少女だった。そして大シュガフ船が恒星を挟んでシドニアと正反対にあるいま、上層部は精鋭を割いて、恒星にあるものを運搬する作戦を実施しようとしていた。
もうなんちゅうか、ある意味”フリークス・ハーレム・ラブコメ”マンガ、とでもいうべき新たなジャンル開拓してるのかもしれん(泣笑)。
当初のシリアスさが今後も襲ってくる可能性は100パーセントに近いのだが、ここ数巻の非常にゆったりとした空気感はそれはそれで、非常にいい感じではあるのだ。
しかし正直キャラが増えすぎでない?(苦笑)
まあ描いてるご本人が飽きないためにはこういうことも必要かと思うんだが、この作品は良くも悪くも、巻が変わるごとに雰囲気・・・というか物語の展開上の空気感がガラッと変わる印象がある。
前巻などで盛り合っていたエピソードや登場人物の描写が続くのかと思いきや、すこーん!と別の方向のエピソードが膨らんでその次の巻を埋めるとかが結構多い。
ある意味アドリブ的に展開しているのかもしれない。
これはこれで面白いし、飽きないんだが、こう初期の数巻にあったような大きな物語ならではの持つ、うねりというか質量的なものが薄くはなっているよなー・・・とは思う。
物語の設定上、そういったものが要所要所で顔をのぞかせることは不可避ではあると思うんだが、その辺りの配分をどう取って行くのか?
以前のレビューでも書いたが、こういうゆるい展開が好ましくはあれど、そうするとどんどん登場人物たちへの愛着が増していくのよなあ・・・。
そうすると、今後避けられないシリアス展開のときに、彼ら・彼女らがどんな目にあわされるのかを考えると―この緩やかな空気が続けば続くほど―少し身構えてしまう。
これだけの巻数のなかで、けっこう長く登場し続けているキャラたちが増えているので、この緩やかさとは反対に、漠然とした不安というか心配が増えてゆくのですよ・・・。
みんないい子たちなので、できるだけ最後まで無事でありますように・・・。