8末のミクさんのライブの物販―ご本人のブースにて購入。
実際の歌声を聴く前に買ってみたわけだが、大当たり!かなりの傑作アルバムだぞ!?これ。
2012年6月発売のソロ名義での6thアルバム、一般的な”シンガーソングライター”という言葉の響きから受ける”言葉や世界観重視”的な狭い枠におさまらず、言葉遊び的なフレーズをはじめ、躍動するリズム感抒情的な弦のアレンジなど、バリエーション豊かなサウンドに、どこか本人の等身大の姿から投影される言葉が乗る、透明感と色彩にあふれた一枚。全10曲。
VOCALOID『MEIKO』の中の人(音源のベースとなった)拝郷メイコさん、最新アルバム。
自分がメイン音源にMEIKOを使っていることもあって、チャンスがあれば”ご本人”の歌も聞いてみたいな、とは思ってはいた。
しかし、これがなかなか意外と機会がない。
一つは昨今の音楽市場の縮小ということもあると思うが、ご本人自体がメジャーのレーベルから離れて、個人メインで活動されているということもあったようだ。
(当然露出や広告は少なくなる―こちらの張ってるアンテナに引っかかってくる確率も落ちる)
ヤマハ関連でデビュー+シンガーソングライターというのは、ある意味その系統においては正統派の出自だと思うが、いまの時代においては逆にそういうジャンルでの正統派というのは、いちばん正当な評価がされにくい”才能”でもあると思う。
”旬”ではないーもっとひどい言葉で言うのなら”時代遅れ”と捉えられかねないからだ。
(事実、こういった系統をこのむ界隈にはそういういった傾向を色濃く持っている人が多いのも事実だと思う―これはここに限らずプログレなんかもそうだと思う ※1)
そんな感じだったんだが、クリプトンのVOCALOID公式チャンネル(39ch)でようやく1曲ちゃんと聴く機会があって。
で、これを見て「これはやっぱりいちどちゃんと聞いておかんといかんな」と。
(それはこの「リビング」で、言葉と歌での世界の構築もそうだが、やはりちゃんとしたまっとうな”歌手”である、ということをその”声”を聴いて確信したから)
そのタイミングで8月末の初音さんのライブにオープニングアクトに出るらしい、というのが聞こえてきたので、一つはそれもあって8月末のライブは行く気になった。
基本的に自分は音楽は、文字通り”音が楽しい”やつのほうが好き。
そら中高生のころはくっらーい内省的な歌詞だけが売りのうだうだ歌う系のそれに心動かされたこともありますよ?けど、基本的に性格が陽性なせいか、辛気臭いだけで”音”が面白くないヤツはさすがにもうよう聴かん(苦笑)。
しかし、一つ間違えるとこの”シンガーソングライター”の看板を掲げてらっしゃる方は、そういう地雷である確率もけっこう高かったりするのだ。
(それそのものは否定しないし、そういうものを必要とされている方が一定数いらっしゃる、というのは否定しない―ただ、それは自分にとっては必要のないものなので)
正直、当日物販のコーナーも他のミクさん系の物販のそれと違って(コンサート自体開演前ということもあって)ガラガラだった。
物販の女性スタッフの方々もなんとなく場違いなところに連れてこられてるかのように、不安そうにされていたように見えたのは気のせいか(苦笑)。
しかしそのスタッフの方々が並べているモノ(CD)には自信がある・・・というか中身に対して”信頼している”感が感じられたので、その場で「一番新しいアルバムはどれですか?」とお聞きして、このアルバムを買った。
そう、けっきょくここまでで、ちゃんと聴いたのは上の「リビング」だけだったのだ。
で、オープニングアクトでの生ライブである。
いやー、これが素晴らしかった。
演奏されたのは3曲だけだったかと思う、それもアコギでの弾き語り―なんだが、その分生での歌の技量というのがはっきりとわかる。
だてにさすらいガンマンよろしくギター一本であちらこちらで歌いまくってるわけじゃないな、と。
そしてすごくいろいろ考えさせられたのが曲間のMCだ。
当日でもちらとツイートしたと思うが、そういう正当派の”歌手”である立場と、そういう”純粋”な意味での”歌”や”音楽”とは違う要素で盛り上がっている(ように見える)このVOCALOID界隈、そしてある意味その渦中に深く関わっている自分、ということでかなり葛藤があったんだろうな、というのが読み取れた。
(念のために一筆しておくと、ご本人自体はそういったことを直接・具体的には一切述べておられないので誤解のないように)
これは、すごくわかるな、と。
音楽に”不惜身命”ではないが、純粋に、また自分の中で大切なものである、というウェイトが重ければ重い方ほど、その葛藤は大きいだろう。
それを強く感じたのは、このMCで拝郷さんは「私はシンガーソングライターなので」と、”シンガーソングライター”という言葉を繰り返しおっしゃっていた。
それを聞いて自分が真っ先に思い浮かんだのは井上雄彦氏の『バガボンド』に出てくる「天下無双」という言葉と一緒だな、ということ。
ご存知の方も多いかと思うが、作中その言葉にこだわり、それを目指して文字通り血の海の中を溺れるようにして進む武蔵に、剣豪・柳生石舟斎はいうのである―
「それはただの言葉じゃよ」
と。ただ、そういったこだわりに身を固くしているだけではなく、そこから自分を解き放とうとしてらっしゃるんだな、と感じたのはこのときはじめて聞いた『rio』という傷ついたライオンの歌。
公式サイトのインタビュー記事などでは『オズの魔法使い』がモチーフだろう的なことが書いてあって(それももちろんその通り)だと思うが、個人的に、この時この場で聞いたこの『rio』はどうしてもVOCALOID MEIKOと、その中の人である拝郷さんの葛藤を歌った歌のように感じられて仕方なかった。これはもちろん前述のようなMCの流れに続いて歌われたからでもある。
(とくにこの曲の前のMCの内容は、それを強く示唆する内容だったと自分は感じた)
そしてその中にはこうあるのである。
もうすぐここに3人と一匹の旅人が通り過ぎよう
君も一緒にお行きなさい
そしたら 君は君の意味を知るよ
たしかにオズなんだろうけど・・・ねえ?
(そしてこの歌はラストフレーズがすごく慈愛に満ち溢れていて素晴らしいのだ)
この曲がさっき買ったアルバムに入っていればいいな、と思ったらちゃんと入っていた、ラッキー!
で、終演後、さきほどの物販の方のお話だと、コンサート終了後本人サイン会とかしますんでー、的におっしゃってたので覗いてみると、先ほどとはうって変わって長蛇の列だよ!?
いやまあ、あの生歌聴いたら、音楽好きな連中は並びに行くでしょう。
(これだけの人が並んでるなら、自分は行かなくても大丈夫だな、と思いここは安心して後にする)
そして、数日後にちょっと落ち着いてからアルバム全体を通してゆっくり聴くと、これがすごくいいアルバムで。
まず、非常にサウンドがカラフルであること。
シンガーソングライター、かつ個人事務所での活動ということもあってか、お見かけするのはギター一本弾き語りのスタイルが多いようだが、本作はそういうスタイルでなく、バンドスタイル―というか普通にポップアルバムのサウンドメイキングである。
もちろんその核には、アコースティックギターがあるのだが、それにとどまらずカラフルな弦のアレンジや、ソロでずっとやってこられたからであろう言葉とリズムのギミックなど非常に表情豊かだ。
とくにこの言葉遊び的なものは、ソロなのでそういったところで膨らまそう、という感じではなく、単純にそういった部分を楽しんで作っているように聴こえるところがよい。
そしてそこに乗る言葉の喜怒哀楽に合わせて、サウンドは色とりどりに変化しているし、その言葉自体は、背伸びするわけでもなく非常に等身大だ―しかもそれが地に足がつきつつも、辛気臭くないのがいい。
で、実は前述のライブを見た直後は、素晴らしさと同時に、これまでの葛藤―バガボンド的な”我執”はすぐ消えるかな?かなりわだかまりはあったようだしな・・・と感じてた。
くわえて終演後、あんだけお客並んだら、また違う方向へいっちゃわない?とか勝手に心配してた(笑)。
しかしこのアルバム全体を聞いて、そんなことは勝手な杞憂だったな、と、余計な心配は吹っ飛んだ。
そういう葛藤をちゃんと感じつつ、それでもあたしはもっと自由なはず、痛みを引き受けながら転がり続けていく―そういった覚悟をもった歌詞を書ける方なのだ。
そんな覚悟を持って、こういう素晴らしい作品を世に送り出しているなら―その結果はどうあれ―その音は必ずどこかにいるはずの誰かに届くだろう。
あとはどれだけこの歌詞にあるように”自分”というところから自由になれるのか―そこが勝負だと思う。
そして一つ覚えておいてほしいのは、拝郷さんが関わってらっしゃるVOCALOID界隈というのは、基本そういった覚悟と志を持った人たちにとっての最大の味方であるということ。
そこはぜひ忘れずにいてほしいと思う。
この界隈のファンは基本的に自分たちを利用するのでなく純粋に楽しませようとしてくれる人に対しては、必ず仁義を切る―恩を返そうとするのだ、だからこの界隈はここまでポジティブに回っているのだと自分は思う。
いずれにせよ、自分にとっては久々に”当たり”のアルバムだった。
VOCALOID云々を抜きにして、興味をもたれた方はぜひ一度聴いてみてほしいと思う。
そんな素敵なアルバムだった。
※1:一時期に一世を風靡して、特定の”型”や”様式”が色濃く存在するジャンルは、得てしてそういう進化の袋小路に落ち込みやすいようである。