ソフトバンクが地上波放送終了などで空いた、プラチナバンド(900Mhz帯)を取得したそうな。
入札、といいながらこの結果に「出来レースだ」と憤慨している方もいらっしゃる模様。
確かにそうとも言えなくもないように感じる。
ただ公平性、というか競争促進の意味では良かったのではないか。
まず第一にいえることが、これでソフトバンクはハンデがなくなった―と同時に、これまでの言い訳の理由を失った、ということでもある。
実際の900Mhz帯を使ったサービスは夏ごろかららしいので、この前後でどうなるかは一つの見もの。
獲得前からそれにあわせて、設備投資も先行で行っていたとのことなので、そんなにひどい結果にはならないとは思うけれども。
それより最近無様に思うのは、ここまで他のキャリアの通信環境を諸手を挙げて持ち上げてた方々の挙動ですわな。
別にソフトバンクの肩を持つつもりはさらさらない。
事実、自分も興味が合って実測したことがあったが、渋谷・青山界隈などはめちゃくちゃひどい通信状況だった。
けど他のキャリアもスマホサービス本格化と前後して、深刻なトラブル多発でこけまくりですやん。
「ソフトバンクはクソ」
「NTTの通信や回線保守は素晴らしい」
そうでもなかったっちゅーことですよね。
それはそれでいい。
自分は別に携帯通信ウォッチャーでも業界人でもないし。
けど、あんだけ罵詈雑言並べといて、自分らの言説を総括せずにだんまり決め込んだ連中というのは無様の極みだとは言わざるをえんのよ。なぜかというと、
結局彼らのやってたことは、フェアネスさを被った私情の吐露でしかなかったということでしょう。
私情の吐露はいいのよ、むしろ正直にどんどん吐露する人には好感が持てる。
「孫正義うさんくせー」
「孫正義大嫌い」
それのほうが正直でいいと思う。
一番始末が悪いのは、公平な批評の皮を被って私情を吐露するということ。
コレはかっこ悪さの極みだよな―自分も小学校の頃こういうことやった経験があるからいうんだけれども。
けど、コレ―気付いたあとの気分は最悪だったよ。
まあ、普通は自分の中のこういう側面に気がつけば、自己嫌悪に陥るのが普通。
それでもまだ吠えるのは、自分の安いプライドをまだ守ろうとしてるからか。
あ、そういう意味では、まだ総括せずに沈黙しているというのは可愛げがある、ということなのかな。
どちらにせよ、真贋は夏ごろよりはっきり見えてくるでしょう。
さあ、これでヘタ打ってくれるとそれはそれで面白いんだがな、ソフトバンク(ぇ
ネガティブさを伴う批判てむづかしいね。
”怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”
極論すればコレだと思う。
公平性の皮を被って私情を吐露する快感―それって、それだけ大きいんだと思うよ。
そういった”怪物”を御するのは、自分の中の”それ”が大きい人であればあるほど、並大抵でないと思う。
そこから自由になるには、やはり他人じゃなくて自分を省みることしかないんだよな。
人様のことをどうこう言う前に、まず自分のことをやってみろ、と。
自分のやれない規模のことには、せめて”慎み”を持って批判しろ、と。
そういう意味では例の”薩摩の教え”というのは素晴らしいと思う。
「薩摩の教え」男の順序
一、何かに挑戦し、成功した人
二、何かに挑戦し、失敗した人
三、自分では挑戦していないが、
挑戦する人を手助けした人
四、何もしない人
五、何もしないが、他人の批判だけをする人
※実は本エントリは3/1に書き上げていて、思うところがあって公開にはしていなかった。
ただ、ネットの掲示板などを見ると、孫氏の東日本大震災への100億円寄付の件について、「実際に寄付したのか」と粘着されて寄付先を公開したことでまた物議をかもしているようだ。
某巨大掲示板のスレッドを眺めてみると、ちょっと正直暗澹とした。
いつから日本人はこんなに下種な物言いをする人間が増えたんだろう?
繰り返しになるが、孫正義という人物は胡散臭い部分を持ち合わせている人物である。
そのことを否定はしない。
ただ、そういったことを抜きにして私財を(ポーズにせよ)投げ打っているわけだ。
被災地にとっては、罵詈雑言を投げている有象無象の連中よりもはるかに彼の拠出する現金のほうがありがたいだろう。
ましてや帰化している人間に「(元)韓国人だからお前なんかに国を思って欲しくない」等というに及んでは、発言者はレイシストであることを自身で表明しているわけで。
いやーいつから日本人てこんなに品下がったのか。
こんな人間に正直国士様気取って欲しくないな。
曲がりなりにも前の戦争で(それこそポーズかもしれないが部分的には本気だっただろう)八紘一宇をぶち上げてそれまでの白人植民地主義とガチで戦争したご先祖様に申し訳が立たんわ。
正直、自分も昨今のK-POP等の金にあかしたやり方は不愉快だ。
心の傷を考えろ、といいながらその傷ついたという人たちをカードに使う韓国のやり方も嫌いだ。
けどだからこそ、こういうレイシズム的なものいいから身奇麗であるよう、人一倍気をつけんといかんのではないかね?日本人は。
逆にこういう声が声高に聞こえてきたり、ある程度教養を持っているであろう人間がぽろっとこういった発言の尻馬に乗っかったりするのは、それだけ日本の国力が本当に斜陽に入っているということなんだろう。
それは街を歩いていても実感する。
接客のレベルも、電化製品などの部分的なところにも、これまであった細かな「心遣い」的なものが摩滅しているように感じることが多い。
他人の素行を批判している暇があるのなら、まず自身の人生に誠実であれ。
少なくとも、自分の日常に不満があるくせにそれに甘んじながら、誰かに罵詈雑言投げつけるよりも、そこから抜け出すのが先だろう。
それができないからといって、批評という皮をかぶって他人に噛み付いて溜飲下げるなんぞは、下の下だわ。
もうちっと自分に誇りと自負を持ってくれ、頼むから―。
”名こそ惜しめ”よ、日本人なら。