性器主義から離れたセクシュアリティ

標準

『親指Pの修行時代』が世間的には著名と思われる松浦理英子のエッセイ集。
個人的には『親指P』で知りはしたものの、一番の衝撃を受けたのはそのデビュー作『葬儀の日』。

「天才というのは本当にいるんだ」

そう思って以来、愛読の作家の一人。

ポケット・フェティッシュ (白水Uブックス―エッセイの小径)





世間的な代表作はやはり上記の親指Pの修業時代になると思うが、氏のそこにいたるまでの作品も一貫してセクシュアリティが通奏低音のようにテーマとして存在している。

そこには他のエッセイでもふれらているが性器主義から離れたセクシュアリティとでもいうものへの真摯で誠実な思考のプロセスがあり、それはその文言から世間が想像するようなポルノグラフィのそれではなく、また上野千鶴子などに代表されるガチガチのフェミニズム的な立ち位置からのそれでもない、世間に流布するステレオタイプな物語としてのセクシュアリティ―性器主義・・・もっとありていに言えば男根主義か―への疑問が誠実な思考のうえに述べられている。

本書はエッセイという形態もあってか、そういった著者の本質的なものの考え方がよりストレートに現れており非常に興味深い一冊である。

確かに世間からはこういう考え方は異端視されることも多いと思うが、本書に書かれている考察というのはいまの身も蓋もない―いってみればそこになんの情緒も美もない性に対する捉え方への異議申し立てのように思えるので、基本諸手を挙げて賛成する(笑)。

ただこうは書いたが基本エッセイなので文章としても読みやすいので非常に面白い一冊である。

こういう視点は女性ならでは・・・と書こうと思ったがやはりこの方独自の視点なのかもしれない。
なんせ昨今は従来なら中高年の男性そのものとしかいえなかったような男根主義的思考をする女性も増えているように思う。

まあ日本は昔からエロには寛容な文化があったにせよ、昨今のマスメディアにのるそれがあまりにもグロテスクなように思うのは自分だけか。

もしそんな疑問を同じくもたれる方があれば、本書を一読してみることをオススメする。
そこには一見意外に思えるが、実は本来あるべきはずであったものが自然と見えてくるかもしれない。




で、これ探してる途中に落札しちゃった『犬身』と『裏ヴァージョン』も手元にあるんだが、よんでるじーかーんーがー(T▽T)



※こういう性差を越えて行き来するセクシュアリティというのは大原まり子作品にもけっこう根底にあって、この二人の対談本出てるんだけど、絶版ーほんでヤフオクとかamazonでもちょっと買えないお値段なのよね~。お二方のファンとしてはなんとも残念無念 orz

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