遅ればせながらレビュー。
ようやく完結。
あの寂しい表情・・・本作は全ガンダムシリーズを通して、いちばんシャア・アズナブルというキャラクターの慟哭を描いた唯一の作品となった。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN (23) めぐりあい宇宙編』
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式ガイドブック (3)』
本放送を見たのが確か小学校低学年のころ。
当時はこんなリアルなロボットものはなくて、事実大して話題にもなっていなかった。
それでも途中からとはいえ、子供心に面白いと思って見続け、最終回はちゃんとリアルタイムでみてたのよな。
さすがに年月の流れはいかんともしがたく、傑作である劇場版3部作も、これまでの経緯を知らないまったくの新しい視聴者からすると、厳しい点が多々あり。
そういう意味でリメイクは、ある意味待ち望まれていたが、当時の作画監督であり、漫画家としても作劇の鍛錬をされてきた安彦氏による本作は、そのリメイクへ一本びしっと背骨を通した事になるだろう。
そしてその真の主役として描かれたのは、白いモビルスーツを駆る連邦のエースパイロットではなく・・・。
何度かこれまでも取り上げてきたが、本最終巻でも、一部オリジナルと構成が変わっている。
その点賛否両論はあるだろうが、ロジックの破綻を避ける+本バージョンならではの世界観を通すためには必要最低限の変更だと、自分は肯定的に評価する。
そしてその変更によって最も描かれたのが、ジオンの忘れ形見、シャア・アズナブルその人の物語であった。
冒頭にも書いたが、全ガンダムシリーズを通して、ここまでシャアという人物の本音が吐露されたことはなかった。
本巻ラスト―その悲しいまでの無防備さ。
そこに深い哀しみを感じざるを得ない。
(そして、それをここまで吐露させなかった故に、富野監督での構成では彼は”逆襲”まで行かざるを得ないのだろう)
その心情をここまで吐露してしまった以上、インタビューにあるようにシャアは・・・。
そして本作からは、当然Zも逆襲も・・・。
ある意味本作中のシャアと同じく、オリジナルスタッフであった安彦氏が、ファーストと言う原点を以って”ガンダム”にとどめをさした、といえるのかもしれない。
と、いいつつアニメ化されるとのことですが(苦笑)、問題はまさに本巻に収録された前後のエピソードの変更がどう表現されるか。
それぐらい旧劇場版三作目のエンディングまわりは、演出、音楽、ドラマの盛り上がりのシンクロが素晴らしい。
”シャアの物語”としての本作であったわけだが、その新解釈で従来のそれを越えて、新たなスタンダードを作りうるのか?
単純にアニメーション作品としてのできならば、ガンダムUCというある意味成功作が出ているので、ハードルが高い事は認識しつつも、期待はできるだろう。
あとは作品そのものの持つ意味づけがどうなるのか・・・そこか。
上記で安彦氏がとどめをさしたと書いたが、だがエピソードガイドの方では、セイラを主役とした番外編の一部が乗っちゃっており、この先発売のガンダムエースで続編掲載とのこと。
このあたりの商売のまずさが最近の角川には目立つんだが、なりふり構ってられないということなんだろうかなあ?
(ちょっと正直見苦しい)
安彦版「ジャーナリスト」カイ・シデンは良くも悪くもファーストでのあの”軟弱モノ”なカイでした(苦笑)。
なにはともあれ、無事の完結、祝着至極でございます。
ただし上述のように、本作の作品としての位置づけは、アニメ版の出来がどうなるか?
そこによって変わってくると思う。
まだ付き合わざるを得ないわけですね・・・orz
※2022/06 標題の表記を統一、リンク切れを修正
ガンダムについて聞いてみたいこととかあるため、こちらでコメントします。
まず最初に聞きたいのはズバリどのガンダムまで見ていましたでしょうか?
ウロ覚えで申し訳ないのですが、これまでの記事から比較的新しいUCはご覧になっていなさそうなため気になりました。
もう一つはガンダム系のゲームやスパロボはプレイされたことはありますかね?
というのもガンプラはお作りとのことですが、同じく「MS・MAを所持してる気分になれる」媒体である、
これらに触れたことはあるのかなと思い、こちらも気になりました。
ガンダムについてはお察しの通り逆襲までで一区切りつけていますね。
UCは見たいと思っていますが、EP7公開直前ぐらいでまとめてみようかなと。
ゲーム系は全く手を出したことがありません(笑)。なぜかというと、自分の場合は書いて頂いているような所有感よりも、「もし実際あったらどうなるか」的な思考を楽しむ部分が大きいようです。Zとか絶対変形時の質量モーメントで機体四散するよな、みたいな。(これは自分が永野ファンだからというのもあるかもしれません)
MS、MAは後世のファンや公式が後付けで整合性をもたせようと頑張っていますが、どうなんでしょう。
実はそういうところを頑張りすぎて逆に墓穴掘ってるような気も(苦笑)。
そういう意味からもUCは見てみたいと思っています。
あとプラモデルをよく作るのは、どうも自分がメカフェチの気が若干あるからみたいですね(苦笑)。
記事はあげてませんがRGの良い意味での「作ったやつあたまおかしいw」感は大好きです。
お答えできる範囲はお返事させて頂きますので、どうぞお手柔らかに(^^;)
ご返答ありがとうございます。
自分から話題を振っといてなんですが・・・
私もUCはOVAになる前から気にしてましたが、ネタバレを少し見て、読むことができなくなりました。
ご存知かもしれませんが女性キャラたちの扱いが、ですね・・・
私事になりますが、ガンダムといえばSDとかF91のようなヒロイック性の強い作品が原体験のため、
「ガンダムという媒体であのようなことはやり過ぎじゃないか」と思ってしまいました。
ヤンチャン版ウルフガイの記事では、青鹿先生の例のシーンで作品のテーマが読者に伝わらなくなったのではないか、と書きましたが、
あのシーンはある意味ではエロというエンターテイメントになっていたが故に、読者の精神的負担は軽減されたかもしれません。
ただその点福井晴敏という人は、そういうシーンにエンタメ性を入れることなんてせず(多分できない)、ただ残虐に書くため、
読んだら精神的に耐えられる自信がないんですよね・・・
よって気になるんだけど読めない、見れないと悶々としているしだいです。
同じ福井晴敏著の∀はガンダムノベライズでトップクラスのデキだったので、UCも良作とは思うのですが。
余談ですが、最新作のガンダムビルドファイターズで美人で爆乳で主人公の母親という、あまりにも狙いすぎなキャラがいて、当然のごとく「薄い本を厚くする」的な扱いをされてしまっていますw
ただ、上記UCの女性たちや青鹿先生のように本編で悲惨過ぎる目に遭う女性キャラを思うと、こういう扱いはある意味ヒロインとして健全なのかもしれません・・・
>そういうところを頑張りすぎて逆に墓穴掘ってるような気も
これはもう「大人の事情」ってやつじゃないでしょうかw
・やっぱり一年戦争~シャアの反乱あたりの話が商売的にオイシイから、外伝もそこら辺ばかり作る
↓
・その時代に合わせたロボットばかり出しても客を引けないため、どう考えてもオーパーツなトンデモ機体が出てくる(陸戦ガンダム、ゾディアックなど)
↓
・当然ガノタたちはツッコみ、公式も年表を埋めたり整合性を持たせようとする(結果は伴ってないっぽいですがw)
ただ「なんでこの時代にこんな化け物がいるんだよ!」って思いつつ、そんな時代に合わない化け物が生まれた経緯とかを妄想するのも楽しいですからね、
ある意味この手の矛盾は公式が提供してくれるおいしいネタなのかもしれませんw
お手柔らかにとのことですが、今回もながくなってすいません、そしてガンプラのことは子供の頃に触れたっきりで話題の提供もできず、こちらも申し訳ない・・・
>ご存知かもしれませんが女性キャラたちの扱いが、ですね・・・
これは活字版のガンダムの伝統ですね。活字版はどれもけっこうひどい描写多かったと記憶しています。
ある意味これは「宇宙世紀」ものをチョイスする以上、表面的には見えずともついて回ると思いますね。なのでヒロイックなロボットものを、ということであればアナザー?といわれる系統のほうがよいかと思われます。(詳しくないですがw)
>福井晴敏という人は、そういうシーンにエンタメ性を入れることなんてせず(多分できない)、ただ残虐に書くため、
お言葉を返す形になってしまって恐縮なんですが、自分としてはこちらの方が正しいと思います。それだけ真面目に「こういう世界があればこうなるだろう」をやっていると言えるので。
以前別スレで書いて頂いたコメントへの返信で「日本人総ニンフォマニア」的なことを書いたかと思うんですが、それはやはりこういう感じに冷静に考えれば酷い状況に対してイージーにエンターテイメントなエロ=ポルノを求める読者層が当たり前になってしまってるからじゃないかと、危惧しています。(きつい書き方になってしまってごめんなさいね)
エロ自体は構わないんですが、ゾーンニングや作中での整合性を無視して読者に迎合してばかりの風潮、がここのところ話題になっている表現規制の話につながっていると思うので、ここは大事な話と思い書きました。一番まずいのは安易にそういうところへ走る出版・編集サイドだと思うんですけどね。
>ただ「なんでこの時代にこんな化け物がいるんだよ!」って思いつつ、そんな時代に合わない化け物が生まれた経緯とかを妄想するのも楽しいですからね、
そこを比較的うまくやってた『ガンダムセンチネル』が自分的には「ハードSFとしてのガンダム」の最後でしょうか、リアルタイムで掲載誌購読していたのもありますが(笑)。
そういう「そうそう、こういう続編見たかったんだよ!」と当時その界隈で騒いでた層の延長線上にUCはあるように思います。
ただFSSでモーターヘッドの構造をあれだけ見せられると「MS・・・は・・・もう・・ムリよね・・・?」という感じで表層だけぬるく楽しむことにしております(苦笑)。
しかしそのモーターヘッドも昨今えらいことになってまして・・・。
この辺りはFSS未読で今後お読みになるつもりがあるなら、あまりネットで事前に調べられないことをお勧めします。ある意味「衝撃」が半減してしまうのでもったいないw
ただ、自分の読んだ中で「巨大ロボットがいる世界での戦争」をきちっと徹頭徹尾描き切ったのはFSSのリブート5巻相当のあの話だけだと思います。
あれを読んじゃうと、兵器としての巨大ロボット出てくる作品はどれも色あせてしまいますね。
>一番まずいのは安易にそういうところへ走る出版・編集サイドだと思うんですけどね。
こちらもお言葉を返すようでなんですが、確かにエンターテイメントの表現が広がりやり過ぎになったのも事実ですが、表現規制については規制される側より規制する側の方が悪いとしか思えないのですね。
一例を挙げますと、今のように表現が過激になる遥か昔に宮崎勤事件が起きましたが、お上はこれを規制するための「ダシ」に使ったとしか思えませんでした。
あのような残虐な事件を自分の都合のよいように利用するような下衆さ・破廉恥さ・不謹慎さは、安易に性をエンタメ化したり商品化したりする者たちすら上回ると思います。
規制する側の人品がかように卑しければ、仮に日本の漫画・アニメ・ゲームの表現が手塚治虫という偉大な変態(真面目な話題にこのような表現は不適切かもしれませんが、あえてこう呼びます)出現前の狭さに戻ったとしても、何のかんの難癖をつけて規制してくるのだろうと思います。
言い方を真似てしまいますが、これも大事なことだと思いお返事いたします。
最後に極端な意見かつキツい言い方になってしまいましたが、気分を害されたら申し訳ございません・・・
シビアな話題は以上で、本題のガンダムについてお返事したいと思います。
>アナザー?といわれる系統のほうがよいかと思われます。
アドバイスありがとうございます。
ただ、SDガンダムから入ったと書いたように、アナザーガンダムも好きで∀までは視聴済みだったりします。
それより後のアナザーは肌に合わず、UCとは違った意味で視聴する気になれませんでしたw
>活字版のガンダムの伝統ですね。
これの代表が富野監督作の小説版各種ガンダムだと思うのですが、この人が書いた作品についてはそこまで抵抗なく読めました。
富野監督は戦争の悲惨さ・狂気は書きつつも、残虐な表現はそこまで後を引っ張らないようにしていると思います。これは常々説いてるような「健全なエンターテイメント」を意識してのことだったり、イメージに反して「優しいお話」を作るのが好きだからだと思います。まぁ心の内を抑えきれず暴走し、ドン引きするほどの変態的なシーンを書くこともありますがそこはご愛嬌w
その点福井晴敏先生の場合、残虐な表現に富野監督ほどの抵抗がないように思えます。
確かに架空とはいえ戦争ものなんだから悲惨な描写も必要かと思いますが、UCの場合は露悪趣味に過ぎるのじゃないかな、と思ったりします。まぁこれは私が人間の邪悪さの表現に対する耐性が低くて、チキンだからなだけかもしれませんが・・・
そもそも本編を読んでない人間が何を言うか、ということになるかもしれませんが、逆に言えばネタバレ程度でこのような衝撃をあたえることが、UCという作品の怪作っぷりだと思います。
>ただFSSでモーターヘッドの構造をあれだけ見せられると「MS・・・は・・・もう・・ムリよね・・・?」
>あれを読んじゃうと、兵器としての巨大ロボット出てくる作品はどれも色あせてしまいますね。
こう思うかはちょっと微妙かもw
というのも私が人型ロボットに求めるものが仰るようなSF的な凄みというより、もっと単純な「小学生が見てもカッケェー!って言うような単純さ」にあると思いますのでw
どちらの作品もご存じないかもしれませんが、マクロスプラスのロボットアニメ史上最高の超変態高速機動ドッグファイトを見た後でも、Gガンダムの(いい意味で)頭の悪い戦闘シーンが色あせることはありませんでしたしw
せっかくいい内容を書いて頂いているので少しだけ。
>表現規制については規制される側より規制する側の方が悪いとしか思えないのですね。
これは仰りたいところは分かるのですが、少し読みが甘いのでは?と思います。(言葉きつくてごめんなさいね;)
なぜかというと、基本的に政府とか官僚組織というのはそういう「規制」や「制限」が彼らの権力の源泉なわけです。決して社会倫理や表現の自由を尊重するために彼らは存在していないと思うのですね。
ミイラ取りがミイラになるではありませんが、基本的に彼らの倫理観で最大のものは「組織そのものの存続」だと自分は考えています。
そして「規制」や「制限」がその彼らの存在意義を担保しているものである以上、とりあえずの整合性があるのなら、彼らはその力を行使しようとすると考えるのが自然かと思います。
良し悪しでなくて、生来そういう性格を帯びて生まれてきた組織なわけです。お腹が減ったらご飯を食べるように「そういう風にできている」と考えてみてください。些細なものでも規制できる対象を見つけて「捕食」するわけです。
(これは「お役所」というものの機能を考えればすぐにわかります)なので彼らからすれば「利用する状況があるのなら利用する」のがあたりまえだと自分は認識しています。
そういう性格のものに対して、みすみす尻尾をつかまれるような隙を見せている、なめてかかっていること自体が自分からみるとパブリッシャー側の油断や怠慢だと思うわけです。少なくとも緊張感の欠如ではないかと。
(これはそこに表現されているものの素晴らしさや価値とは全く別の話です)
自分の認識の前提は以上なので、要はこの点はある種の「性善説・性悪説」的な根本認識の違いかと思います。ご指摘ありがとうございました。そういう見方もできるんだなと勉強になりました。
>もっと単純な「小学生が見てもカッケェー!
これをメカニズムや演出、設定的な整合性を保ったままやっているのが、FSSだと個人的には思っています。
もし未読であれば、機会があればでいいのですが、一度ご覧になってみてください。(映画は別物なのでお勧めしません)
どのエピソードでも、主役に相当するロボットが出てくるシーンはすべてそういう演出で彩られています。
前回のレスで書いたFSSリブート5巻部分の凄さというのは、そういう「ロボットかっけー!」がラストにあるにもかかわらず、そこまでを延々と戦車と歩兵の地上戦をやった上で、全部それが破綻せずに一本の線でつながっていることです。
もちろんこんなめんどくさいことは「ロボットかっけー!」だけならやらなくてもいいんですが、幸か不幸かまさにこのガンダムが「リアルロボット」という窯のふたをあけてしまったわけで(苦笑)。
MSはもう無理、と書いたのは、そういったガンダム的なリアル路線が目指したもののひとつの究極としてFSSがあるように自分は感じているからですね。
もちろん、スーパーロボットもの的なものはこれとは異なると認識しているので、それはそれで楽しめます。
(だから『鋼鉄神ジーグ』なんぞは最高の作品の一つだと思ってはいるのですよ(^^;))
両者を一応区別はしている上での指摘であるという点は、ご理解頂けると幸いです。
規制をしたがるのは組織として摂理そのもの、ですか。
確かに私はそういった点に関する視点を見落として、モラル的な面でばかりこだわっていました。ご指摘ありがとうございます。
一例を出せば、集英社公式でワンピースのおっぱいマウスパッドを出ていて(低俗な表現で申し訳ない)、今まではこういうのをネタ的にしか受け取っていなかったのですが、
よくよく考えれば日本で一番売れてるどころか世界的に有名な漫画でこのような商売をするのは、規制派に付け入られる隙になるんじゃないかとも思いました。、
ただこれも以前から仰ってるように、客側がより過激さを求めるため作り手側も商売としてそれに応えなければいけない、だからといってお上に隙を見せるわけにもいかない、
そんなことより表現者として(ある程度モラル保ちつつ)自由な表現をしたいんだ、とまぁ状況は混沌としているわけで・・・
こんな状況どうすりゃいいのよって言われれば、有効策は思い浮かびません・・・
>これをメカニズムや演出、設定的な整合性を保ったままやっているのが、FSSだと個人的には思っています。
なるほど、リアルロボット作品としての、ロボットの運用方法についてのお話でもありましたか。
これもご存じないかもしれませんが、「人々が生活する中での巨大ロボットの運用」について、一番説得力がある作品が個人的には∀ガンダムだと思っており、
このアニメのロボット描写と比較して他のガンダムはそういう所が甘いなって思いました。
FSSを読んでみたらガンダム、というかリアルロボット全般について、また「詰めの甘さ」みたいなものを感じるかもしれませんね。
今度機会が読んでみたいと思います。情報のご提供ありがとうございました。
>こんな状況どうすりゃいいのよって言われれば、有効策は思い浮かびません・・・
これに対する一つの回答は、ちゃんとしたゾーンニングしかないでしょうね。
例にあげて頂いているワンピースなどいい例だと思うのですが、(実際の読者層はどうあれ)子供を主要なターゲットにしている作品では、それはやっちゃいかんのではないかと思います。
これは作者ではなくパブリッシャー側ががっちりタガをはめないと。
と、いうか実はこういうコントロールというのは作品の”格”=ブランディングにもつながるんですが、どうもそういうのは頭にないようです。
二次創作的なものも、昔はけっこうジャンプ系はそういうところを意識していたのか厳しかったような記憶があるんですが、最近ネットで事故的に遭遇するものをみると、それもなし崩しになってるのですかね。
イージーに手に入るものはイージーな感動しか得られないと思うのですが。
>これもご存じないかもしれませんが、「人々が生活する中での巨大ロボットの運用」について、一番説得力がある作品が個人的には∀ガンダムだと思っており、
∀ガンダムは知人・友人を含めて知る人みんな絶賛なので見てみたいとは思っています・・・けど話数多い作品なんだよなあ(泣)。
『月の繭』は曲だけ知っていて、一時期Youtubeで繰り返し聴いていました。たぶん本編みたらサントラとか買っちゃいそうですね(笑)。
なにげに富野監督は作詞家として素晴らしい作品が多々あって、『コスモスに君と』や『愛の輪郭』なども『月の繭』と同じく大傑作だと思います。
∀についてですが、もし機会があれば是非!と私もオススメできる作品です。
ただこれも既に知人方からアドヴァイスされているかもしれませんが、「映画版から入るのは止めとけ」ってとこですかね(笑)
このアニメは本筋ではないサブエピソード的な話が面白く、そこら辺を削りまくった映画版は「∀ガンダム」としては不完全もいいところでした。
ちなみに上で福井晴敏版∀の名を出しましたが、もし本編が長過ぎると感じたらこちらを先に読まれるのもいいと思います。
それにこの小説は実に黒富野的(笑) なので白富野三部作の一つである本編を後から見た方が精神衛生上よいかもしれませんw