現実逃避の手段としてではなく

標準

昔からありもしない「本当の自分」とか「自分探し」といった現実逃避の手段としてスピリチュアリズム的なものはもてはやされてきた。

そんな流れのなかで取り上げられることの多いネイティブアメリカンの思想だが、本書は一味違う―そうその光も影もきっちりと言及しているからだ。

ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」 (小学館101新書)

筆者は長年の現地でのフィールドワークの実績も持つネイティヴアメリカン研究のベテラン。中上健次氏に師事した際の記載からもそのキャリアの長さがわかる。

そして本文中、その出てくるネイティブアメリカンの世界観のすばらしさとともに意外なほど出てくるのが現地を訪れることに関してのネガティブな言葉だ。

これはご存知の方はご存知かと思うが現在のネイティブアメリカンの居留地の生活は8割失業、アルコール中毒者の驚くほど高い割合という現実からくるものだろう。

しかし本書のすばらしいところはそういった厳しい現実が主題になるわけでもなく、ネイティブアメリカンのスピリチュアリズムを手放しで礼賛するわけでもなく、そのありのままの現実の中からいまという現実の中に生き残っているネイティブアメリカンのスピリットを淡々と描いているところだろう。

これはあとがきにもあるように長年の”研究者”としての立場からではかけない筆者ご自身の「個人的な経験と思い」を書き綴った―それ故におのずと出てきた自然なバランスだと思う、まさに本文にあるように「足りることになっている」といった感じか。

いま現在の主流となっている欧米型の社会文明―お気づきかと思うが日本も望む望まずにその瘴気にどっぷりつかっている―においては本書にあるようなネイティブアメリカン的なものの考え方というのは通用しない。
(それ故、この居留地の現実もあるのだと思う)

しかしなぜ人々がこういった考え方に心惹かれるかというと、やはりそこには何かしらかの真実が潜んでいるからだろう。
自分も最近よく「なるようになる」といういい方を好んでするが、なんとなくそれに近しい感覚をそこに見つけたようで心強かった。

この世の中を生きていくのにはお金が必要である、というのを最近よりしっかり自覚したのだが、その上でここに書かれているような「ギブ・アウェイ」(自分の持っている財産を与えつくすというやり方)や「足りるようになっている」というある種の運命的思考に身をゆだねる考え方を知れたのは良かった。

そのどちらがかけてもほんとは悩まなくてもいいことでギスギスしたり、頭の中でありもしないお花畑を追いかけることになったかもしれない。

現実を踏まえた上で―できる努力をした上で天命に委ねる、

ははは、”人事を尽くして天命を待つ”じゃないか(笑)。

そういう現実と理想を織り交ぜた上でそこにある美を見出そうとした素敵な一冊。
自分の人生をより有意義に生きていこうという志のある方にはぜひ一読をオススメする。

そう、現実逃避の手段としてではなくこういう世の中を生きつつ全く別からの視点も持ち得ること―。

実はそれがこの生きにくい時代においてしたたかに生きていく現実的な手段でもある、

そういうことなんじゃないか―と。



※あとインディアンと日本刀という松本零士ばりのエピソードや、メディスンマンをグルと仰ぐ滑稽さに言及している点も素晴らしい。まさに清濁併せ呑む地に足を踏まえた一冊といっていいと思う。

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