くっそー、こんなやつらに何十万人もの日本人が殺されたと思うと、ほんまムカっ腹たつな。
史上初の原子爆弾の開発史を、その中心人物であったオッペンハイマーとグローブス将軍を中心に描いた作品。’89年アメリカ映画。
原題は『littleboy and fatman』。
(ご存知のように広島・長崎にそれぞれ落とされた原爆のコードネーム)
今回の震災に伴う原発事故で、放射線のことについてもう一度おさらいする必要を感じて、ざっと読み直したのがこれだった。
この本は、最近のページあたりの文字数が少なくなっているブルーバックスと違い、がっちりガチに内容が詰まっていた頃のそれで、なおかつその当時の同シリーズの中でも、かなり厚さのあるほうの一冊だと思う。
それ故、内容的には原爆(或いは原子炉)開発史をたどるには格好の一冊だが、いかんせんその厚さがデメリットでもあった。
なので同内容を映像化している本作があると知って、借りてみたわけだが、いやー久々に日本人としては、なかなか腹の立つ映画だったねえ。
この描写が当時の空気感をどれほど伝えているのかは知らないが、こんな雑なやつらの、それも政治のパワーゲームによって、うちらのご先祖様は広島・長崎で何十万人と殺され、ある意味その延長戦を(ある種我々の自業自得の側面もあるとはいえ)いま、福島でやっとるわけで。
これがアメリカ映画であることには敬意を表するが、そのうえで、お決まりの「登場人物たちにも悩みや葛藤があった」的な描写されても、ちーとも届かん(苦笑)。まあ日本人としてはあたり前か。
オマケに明らかに、その開発の主眼が「対ドイツ」であったことがありありと描かれており、どんなに理由をつけても日本への投下は後付け、あるいはレイシズム的なモノを含んだ、政治ゲーム以外の何者でもないっちゅうのが余計ムカっ腹がたつ。
(繰り返しになるが、そういう描写を不十分とはいえ行うアメリカという国の底力には敬意を表する)
これは、ひとつにはもう一方の現場であったシカゴ―核燃料の生成をおこなっていた―側の描写が少なかったからというのもあるかもしれない。
上述の『原子爆弾』のほうは、そのあたりの描写がむしろメインだったかのように記憶してたので、その違いかもしれない。
『原子爆弾』のほうは、科学ドキュメンタリー的な性格もあって、その分逆に科学者たちのデモーニッシュさも見てとれる。
それは人類のかじった”智慧の実”の業の深さのようなものが読み取れて、それはそれで、逆にある種の感慨も感じ取ることができた。
だが本作で、そういったものが感じ取れるのは、例の”デーモン・コア”がらみの事件から引用したと思われる描写の出てくる物語終盤になってからだ。
(実際にも同様の事故があり、死者は出ているようだがウランではなくプルトニウムの臨界実験に際してのようだ)
オッペンハイマーは憔悴し、ナーバスになってゆくが、実験の成功には魅入られたような笑みを浮かべる。
人がすすんで何かに魂を売り渡す時というのは、こんなモノなのかもしれない。
まあそのあたりぐらいか、見所といえば。
ということで、ちょっと思惑とは違って、狙った意味からは収穫の薄い映画だった。
また映画としても、さして完成度の高い映画でもない。
ただ、こういう余裕ぶっこいてる相手と戦争をしなければならなかった、そのうえで文字通り余裕でこてんぱんにされた、という彼我のスケール感の違いを感じる意味では、見てもいい一本かもしれない。
ふがー、くそー。