blogの移行とプライベートな事情かさなってましてここ丸一月ほど更新できてなかったので、その間のものなど。
<4月下旬>
諸般のごたごたございまして特にこれといったことはなし・・・というかいずれのちほど。
<5月初旬>
さすらいのエスニック・キーボーディスト、オダニッチが所属していたプログレバンドファンタスマゴリアから抜けるというのでその最後の雄姿を見に。
(左のグラサンのあやしいほうがダニーw)
ファンタスマゴリアはバイオリン・リードで非常に楽曲の完成度も高く、バンドとしての素性は非常によい。
ただし―これは今回のダニー脱退に至った理由のひとつだとも思うのだが―そのテクニックの高さと裏腹に意外と柔軟性にかける。
これはつまりフロントマンの藤本嬢の意志が強すぎるのだ。
もちろんこれはプラスにとるなら芸術家にとって必要な”いい意味でのエゴ”の体現でもあるのだが、それならば他のメンバーがなにがしらかの個性を持った”人間”である必要性がなくなる。
そういった”人間が演っている”ならではの部分があまりにも期待できない―最初にみてすごく感動したにもかかわらず自分が意外と足を運ばなかったのもそこにある。そこから生み出されてくるものの”上限”が読めてしまうのだ。
こんなにも音源に関してはPC上でどうとでも作れる時代だからこそ、不完全だからこそ発生する偶発性や相乗効果というものを貪欲に取り込んでいく度量がないとおそらくバンドとしてのファンタスマゴリアはこれ以上大きくはならないだろう。この点、すごく惜しい気がする。
その翌日は漫画家の近藤ようこ先生のtwitterでのつぶやきで知った歌川国芳展を府中の森美術館まで。
歌川国芳は江戸後期に活躍した錦絵(多色刷りの版画)の作家。
とはいってもこむづかしい感じのそれではなく、現代のマンガや広告、ブロマイドといったような庶民に身近なところで活躍した、ある意味当時売れっ子のイラストレーターといっていいかもしれない。その作品のどれかは皆どこかで意外と目にしていると思う。
個人的にすごいなと思ったのはその構図や独特の”型”はいうに及ばず、一見単純に見える一枚絵の中に投入されているテキスタイルやディティールの情報量。くわえて錦絵の多色刷りの技術のすさまじさ。
これだけの蓄積があったからこそ後の手塚治虫があり日本のマンガ・イラスト文化が存在したんだなと納得。
非常に勉強になった。
またこの府中の森美術館を内包する府中の森公園もはじめてだったんだがすばらしかった。
時間があるときにもっとゆっくりだらだらと一日中居てみたいと思わせてくれた場所だった。
(かなりの面積の中に緑がこんもりと繁っていた、水場もあり家族づれでにぎわっていた)
で一日ゆっくりできなかったのはその晩久々にCONDOR44のライブだったため。
(ギターの佐々木氏、以前のギター仙人のイメージすっかりありませんw)
最近のCONDORはいい意味で余裕があるのか悪乗り気味w
この回などはなんせ入りのSEターミネーターのBGMだよ!?
(あいかわらずチカコ様は挙動が激しいのでカメラに収めづらい)
あ、そうそう。今回のライブの主催はプラトンの「カリスマドラマー」(笑)TKC氏が起こしたイベント会社主催だった模様。
そういったところもあっての雰囲気ということもあったのかもしれないが、どうも最近のCONDORの悪乗りの原因はこの新ドラマー、例の”ゴルゴ”の山田氏が原因のような気も・・・。(苦笑)
(第三の・・・目、天津飯・・・天津飯・・・なのか!?なら先人紹介するぞ?)
(例によってパラパラタイムありました、もうワケワカランwww)
で翌日からの週は”収入あるうちにごはんご馳走しようキャンペーン”(ぇ で数人のかたにごはんご馳走させていただく。
自分の周りで見かけないだけかもしれないけど、最近あんまり若い人にごはんたべさせようかっていう気概のある大人いなくなったような気がする・・・。
まあそういうこともあってこういうことは先人が示さん限り文化として育っていかないので、自分ごときの低収入でも実践をこころがけているわけで。
ということで定収あるあいだは実践させていただきますのでご希望の方はいつでもどうぞ。
以上”ライブ的”な動向としてはこんなところでした。
つづけて次項ではメディア的なものを。
偽一休さんの絵や写真をまとめて見たいと「美術・デザイン」で
くくってこの記事に到達。
「futyuu002」のいとおしむような一枚に心惹かれる。