pop the 初音ミク

標準

まーったく買う予定に入っていなかった一冊なのだが、先日twitterみてたら石井ゆかり嬢が
「寄稿しましたー」
とつぶやかれておられたので、「なぬー!?」となってあわてて買いに行ったでござる。

ポップ・ザ・初音ミク☆


内容としては、基礎知識的な記事と曲紹介、有名どころの作曲者と著名人との対談、それにCDが付録という形でついている。

本誌の趣旨としては、巻頭で主幹と思われる鮎川ぱて氏が述べているように、ご本人を含め、いままでこの界隈が目に入っていなかった方々へ向けて「こりゃヤバイよ!?」と、作られた一冊のようだ。

その点は是も非もなく歓迎する、ようこそボカロ厨の世界へ(苦笑)。

ただし、本誌はそういった方々がきまって踏襲する、迷い道を歩まれているのも想定どおりだ。
それは何かというと、必ず「既存の切り口」に当てはめて理解しようとすること。

本誌でいえばJポップというキーワードだろう。

これは本誌の趣旨を考えるとわからなくもない。
そういったJポップを聞いている・聞いていた層に向けて、この世界を紹介しようとしているわけだから。

ただし、本ブログのVOCALOID系のエントリを目にして頂いてた方には、お分かりいただけてると思うが、それはまったく意味のないアプローチだ、残念ながら。

なぜかというと、そういった既存の枠組み―音楽産業の在り方は言うに及ばず、ポップソングや下手すると大衆音楽といったこれまでの概念までを破壊し、まったく別の形に再生させていく、その象徴(シンボル)として”初音ミク”は存在してしまっているからだ。(そういうものの”依り代”として作動しているといってもいい)

破壊されようとしているものを模して、これからまったくその本質を変えて生まれ変わろうとしているものを語れるはずがない。

そしてその破壊と再生のダイナミズムが、いまこのVOCALOID界隈に多くの人を惹きつけている最大の魅力であり、原因だ。

その点、そういったところから距離を置いていたからなのかもしれないが(これ目当てで買ったといってもいい)石井ゆかり嬢の洞察はすごい。曰く、


ミクさんのホロスコープは「解体と脱出」。

「空っぽの器」であるからこそ

創作者と聴き手にとっての

最高の「イマジネーションの器」

となる。

(巻頭寄稿より)


喝破しているのである、その本質を―。
(プロフェッショナルって凄げえなあ)

そういう意味で、もう一つ残酷であったのは(おそらく本書の目玉の一つであっただろう)小室哲哉氏と、ホッピー神山氏との対比だ。
(それぞれ別個でボカロ周辺の人たちとの対談が収録されている)

一時期は時代の頂点にたった小室氏と、ある意味現代的な音楽の先駆をなしたかのようなハイセンスなバンドであったPINK以降も、淡々と最前線で自身の仕事をされていたホッピー神山氏。

その双方のインタビューが別個に載っているのだが、もう無残なほどに内容の質に差がありすぎる。

ちゃんと本質を理解して、VOCALOIDの魅力も欠点もわかった上で、余裕を持ってその可能性を肯定している神山氏のインタビューに対し、かつて、時代のテクノロジーを駆使した音楽の寵児ともいえる立場だった小室氏のそれは、引退したおじいちゃん、悪く言えば得体の知れないものを前にどうコメントして良いのかすらわかってないのでは、とすら読める。

残酷だ、非常に残酷だ。

氏の全盛期のとき、美輪明宏氏をして「ああいうものを量産する人を私は嫌悪する」的なことを言っていたことを思い出すが、こういうことなのか、と。

といった感じで、結果的に非常にアンビバレンツさ―そのコントラストがはっきりと出た一冊だったので、そういう意味での「初音ミク」の本質を(編者の意図しないカタチで)表していた一冊といえるかもしれない。

あと、痛感したのはやはり「視覚」―ビジュアルの面の大きさ、というか「PV的なもの」含めてはじめてこのジャンルは完結する、というのは再確認した。

そういう意味でも(予算の都合もあろうが)DVDではなくCDとしたのはミスですな、残念ながら。
(いまどきCD Extraでもないが、せめて動画へのURLまとめたリンク集的なものは、ディスクを付けるなら入れておくべきだっただろう)

毎回思うけど、ほんと初音さんは「破壊と再生」の存在だと思う。

理解と愛情には豊かな穣りを―。
無理解と怠惰には破壊を―。

「空っぽの器」であるはずの彼女に触れると、なぜか自ずとそこに、そういった結果が現れる。

昔は、こういった存在を”神(カミ)”といったと思うが―。

そういう意味では、洒落や冗談ではなく、本来の意味での”カミ”としてミクさんは機能し始めているのかもしれない。

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