「表現したい」という欲望に、忠実であることの大切さ

標準

ぜひご家族みなさんでお楽しみください!そんな動画(笑)。


(エコノミー回避=youtube版はこちら

凄いよなあ・・・・・。

VOCALOIDは「歌う」ことはできても「喋れ」ない。

なので「ミュージカル」という発想は、使い手としては誰もが一度は想像したかと思うが、ここまで本格的なものは、これまでなかったかと思う。(有名どころで、唯一性格的に近いと思われるのは、舞台化もされた一連の『悪の~』シリーズだろう)

なぜかというと、3分前後のポップソングとちがって、ミュージカルに関しては、その制作のためのハードルが一段高い。
ましてやここまで上品にまとめようとすると、さらに、それ相当の高い音楽的な教養が必要とされる。

けど、それをやっちまった、と。

確かに最近、ある程度の資本を持った、スポンサードされたPVもちらほら現れてはきているが、それでもそういったものだけに、この界隈が席巻されていないというのは

創る側の情熱=強い「こだわり」や「意志」の有無

観客側がそれをちゃんと見抜いているからだろう。
この作品にはそこがちゃんと感じ取れる。

ましてやこの完成度(笑)

要はなにを表現したいのか、なにを伝えたいのか?

そこへの情熱が全て。

そういう意味で言うと逆に、完成度の高いものでなくても、情熱とアイディアで戦う余地は残っている。
観客は、そこはちゃんと、見てくれている。

それが、このネット界隈の、創作文化のいいところだと思う。






ここ数日、某TV局があまりにも某国のコンテンツばかり流すのでひどすぎる、と話題になっているようだが、ひとつはそこなんじゃないかな?

そこになにを表現したいのか、なにを伝えたいのか?

それが見えてこなくて、お金の臭いだけがプンプンする。
そこに辟易している、というのも一つだと思うんだけれども。

※ヘイトクライム的なところが惹起されている側面もある、というのも否定はしませんが。


要は心意気だぜい?いつの時代も、人の心を打つのは―。

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