北米トヨタのカローラのCMに起用ですと。
(twitterのTLによると、日本で言う「痛車」的なものを狙ったのではなく、若い女性の足としてターゲットされている車だからそこを狙ったのでは、という話も)
たしかに以前にも書いたと思うが、海外でのVOCALOID関連の支持層は若い女性が多いとの調査結果もあったのであながち間違っていないかも。
そして、こういうモンて確かに”大人の常識”から考えると、かなり”痛い”のはそのとおりではあるんだがこれって「日本だけにしかできない」ことの最たるものでもあるんだよな。
(”痛い”だけに、ちゃんとした”大人”の文化を持つ欧米では真似できない)
それがいいのか悪いのかはわからんけども、それが強みであり、ある程度の普遍的なニーズがある、というのは間違いない。
一時と違って、ジャパニメーションとよばれる日本製アニメーションやマンガ文化が、欧米マーケットでは苦戦しているという話も聞こえてきているが、こういう記事を読むと、そういうジャパニメーション的なフォーマットが”スタンダード”として受け入れられて、ローカライズが始まっているということでもあると思う。
そのうえで、やはり日本製のこういったジャンルのすごさというか、裾野の広さ、底力というのはTL上で最近話題になっていた某作品のあらすじとか調べてみて改めて感じた。
twitterやってるいいおっさん、おばはんが話題にするにはそれなりの理由があるんだな、と。
個人的にはアニメアニメした絵が嫌いで―というか絵描きの端くれとしては、そういうところから遠くへいきたいと思っていたので―そういった属性を持つものは、よほどのものでないと意識的に避けてきたんだけれども、そういう意味ではすこしアンテナを張りなおさないといけないのかもしれない。
現実の”リアル”な生活の重さと、こういったカルチャー、バーチャルな”情報世界”の奔流。
これらは相反するように見えて、相互に作用している。
現実の重みが第一にくるのは事実だし、その現実を生きていく力を、こういったものが阻害する傾向が強いのも日本の世の中の特徴だ。
しかし、これらバーチャルな”情報世界”のなかで語られるのが、なにがしらかの”物語”であり”ココロ”であるのなら
それは抽象化し、結晶化されているだけに、この世の中の”本質”の一部をより純粋に含んでいるのかもしれない。
なら、それは間違いなくひとつの”豊かさ”だ。
(そして”豊かさ”というのは=”多様性”ということでもある)
すくなくとも、そういった可能性をはなからシャットダウンしてしまう、ココロの固い人間にはならぬよう、自戒したいもんである。
以前、ミクさんのことを”破壊の女神”と書いたが、けっこう本質を突いていたのかもね。
この娘はこれまでの”あたりまえ”を全部破壊して行っている。
そして”破壊”は”再生”でもあるんだよな。