このタイミングでこの本を手に取ることになったというのは、なんなんだろうな。
「これは地球さんの余命いくばくもない、最後の一週間の出来事―。」(裏表紙あらすじより)
最後の一週間、圭子は別れた恋人―朗のもとへ―江古田から鎌倉まで「ひとめあなたに」会うため、旅に出ることを決意する・・・。
その旅の道程を、主人公・圭子を軸に他数人のキャラクターたちのエピソードを絡めてたどる一冊。
しかしこの各エピソードが、じんわりとキツい。
そして作者が女性ということもあるのだろうが、その各エピソードの主体がすべて”女性”だ。
これがけっこう意味を持つ、というか。
要は「最後の一週間」、強制的にそれぞれの人生の「清算」を迫られる人々が、葛藤のなかに自分の意味を問われる。
なにかを成したように見える人も、そうでない人も、一緒。
そこに意味を見出そうとするが、みなそれぞれ無残なほど失敗する。
しかし、唯一主人公・圭子だけはなんとかその狂気に飲み込まれることなく鎌倉までたどり着く。
―なぜか?
それを語る最後の浜辺のシーケンス。
圭子と恋人の朗との会話。
そこが文字通り本書のクライマックスだ。
「あたしね・・・・・長いことずっと思っていたのよ。あたし、実は一人の人間じゃなくて、半分の影だって」
そういう当初のロマンティックな(けどつたない)思い込みから、この旅の終着点で圭子の認識は大きく変わる。
ポジティブに、強かに。
だから彼女の人生は無意味なものには終わらなかったし、物語は終末にあって希望を語り、終わる。
しかし彼女のような答えにたどり着ける人は、いまどれぐらいいるだろう。
そこから逃れるには、”自分の影”ではない他者をしっかりと見据えなければならない。
あなたがいて、わたしがいる。
そこに気づいたとき、人ははじめて人として生きていけるんだろう。
いまとなってはそのディティールに80年代独特のメンタリティも感じるが、物語の核心はブレていない。
いい一冊だった。
※実は新井素子読むのこれが初めてだったのはヒミツw
こういうタイミングでこういうテーマの作品で出会う、というのも一つの”縁”なのかな。