人喰いの大鷲トリコ/初回限定版

標準

ICO、ワンダと巨像とやってきたのでこれはやらざるを得ない―というか本当はこれやるために買うはずのなかったPS3買ったんだが、なんでいまPS4でやってるんだ?オレ?みたいな(泣)



で、先々週ぐらいから初めて先日いちおう終わったんだが、すごいゲームであるのは認めるものの正直絶賛したいところが心の底から絶賛できない部分もあるという非常に複雑な感想にならざるを得ないゲームであった。
ストーリーテリングとしての手法やエンディングの作風はもろ手を挙げて絶賛したいのだが、それまでにおける過程の描写とゲームとしての操作性では物理的に近い苦痛を強いられるゲームなのだ―正直なところプレイしててものすごく精神的・肉体的に苦痛だった。

クオリティの面でよいゲームかクソゲーかといえば間違いなく良いゲームなのである。事実エンディング周りの演出を見た後の感慨というのは思わずそれまでの不快さを忘れてしまいそうになるほど。

しかしそこに至るまでのプロセス―そのなかで無理やり経験させられる「苦痛」というのはやはり娯楽作品としてどうなのか?というのは考えざるを得ない。

まずこのシリーズ全体をとしての特徴なんだが、やたらと足場の悪い高いところへ登らせる、その割に第一弾のICOのころから全くと言っていいほど改善されていないカメラ周りの挙動の悪さ。
これは自分が高所恐怖症ということもあると思うが、なぜあんなにやたら目ったら足場の悪い高い場所へ登らせたがるのか?もちろんポイントポイントごとで数か所そういったモノがあるというのであれば、それは悪くないと思うんだ。しかしこのゲームではほぼ5割以上がそういう足場の悪い高所。加えて前述のようにひどいカメラ周りの仕様。高所ということで落ちる恐怖と戦うようなステージ設計なのにそれを邪魔するように働くカメラワーク―要はゲームの難易度がステージ構成で設定されているのではなく「カメラのクソ仕様=難易度」になっている。はっきり言ってこんなものは欠陥以外の何物でもない、なぜならユーザーの裁量に任されている「操作」という要素以外でゲームの進行が左右されるからだ。加えて前述のような高所+難易度の高い箇所に限って結果的にやたらとぐるぐる回るカメラで猛烈な肩こり+眼精疲労のコンボである。はっきりいってこんなに「肉体的な苦痛」を強いるゲームを自分はあまり知らない。またこのカメラ周りのひどさと、微妙なわかりづらさで後半山場近くで恥ずかしながらこの歳になって初めてゲームのコントローラーぶん投げましたよ、格ゲーでなめプされてもそんなことしたことない自分が(苦笑)。

続いて動物の虐待的な描写。
本作は主人公の相棒としてタイトルにもなっている巨大な犬+猫のようなトリコという動物と一緒にゲームを進めていく。このトリコ、AI搭載ということらしくて挙動は自然だし動作はいちいちかわいらしい(暴れたときはコワイ)。一部ではこのトリコのAIが言うことをちっとも聞いてくれないということでそこを不満点にあげるユーザーもいたようだが自分は気にならなかった(一部では前述『ICO』に出てきたヒロイン・ヨルダと同じ立ち位置なため「でっかいヨルダw」と揶揄する向きもあって思わず吹いたw)。そして刺さった槍を抜いてやったり、エサの樽をあげたり、なでなでモフモフしたりして主人公はこのトリコとのコミュニケーションを深めてゆくのだが、そこは当然ユーザーは思い入れも深くなってゆくわけですね、トリコに。で、そういった関係性が出来上がってきた中盤以降後半にかけて、もうこれでもかというほどトリコを過酷な状況に置くシナリオになってるわけだ。逆に言うとこれはゲームーというかその描写・ディティールのクオリティの高さの証明になってるともいえるのだけど、もうそこの描写がおっさんにはキツイ。本当に獣が吠えてるような声でいままでいい子いい子してたトリコが嚙みつかれたり槍衾になったり狭い坑道に生き埋めにさせられたりとどめは思わず「なにこれ強姦?輪姦?」というような描写で正直言ってものすごく胸糞。それがけっこう頻繁に出てくる。演出の意図としてユーザーに感情移入させる物語に没入させる、というところではこの手法は正しいのかもしれないけれども、こういう痛めつけたり恐怖を感じさせたりするという肉体的・プリミティブな感覚に訴えることでしかそういう没入感を演出できないとしたら、実はそれは演出家としては非常に低レベルなんじゃないだろうか?この点、逆にいうとそういうプリミティブな感覚まで揺することのできる作りこみ・ビジュアルのクオリティということはできるかもしれないけれども、そのためにこういう不快感のある演出をするのはやはりどうかと思う(というかこのチームのディレクションする人間は身近に動物を飼ったことがないのかな?)

ほんとに作りこみとか世界観とかストーリーテリングは素晴らしいんだ。しかし上記の要素の「過剰さ」で心から素直には「傑作」とは言いたくない自分がいる。これが例えばゲーム開始時点で「エクストリームモード」とか選べて、そのモードでの演出がこれとかいうのならそれはありだけど、娯楽としてのゲーム体験でこれを強制的に見せつけられるのは正直娯楽の範疇を少し逸脱していると思う。

こういう不快さも、逆にいうとまあそれだけプロダクツとしてのクオリティが尋常なく高いという証拠でもあるのだけれど、それだけに毎回すごーく複雑な気持ちにさせられるのよねえ。
たかがゲーム、その範疇を越える素晴らしさをを感じるのにこういう「不快さ」を必要としない―そういうゲームをぜひ作ってほしいし、作ってくれるんじゃないかと思って今回も買ってみたワケですが、まあ次回以降もこういうのが続くのなら正体見たりなんとやら―にならざるを得んのかもね。

普段あんまりネガティブなことは書かないようにしているんだけども、これはちょっと書かざるを得んかった。
例によってあまりわかりやすい文章ではないことは自覚しているので、実際はどうなのかというのに興味ある方はamazonのレビュー欄でも見ていただきたい。このレビュー欄全体の雰囲気がけっこうこのゲーム全体のニュアンスというものを的確に表しているように思う。


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