Ghost in the Shell/ルパート・サンダース監督

標準

ダメそうだとは聞いていたけれど、本国のほうで騒ぎになったホワイトウォッシュ問題のことなどもあったので一応ちゃんと自分の目で観てから判断するかと思い、先日見に行ってきた。

しかし開始早々のオープニングシーケンスの流れ3分ほど観ただけで「あ、これはアカンやつやw」と判明(泣笑)。

(※注:以下で言及する「原典」とか「原作」に相当するものは押井守監督作品のみを指しますのでご理解のほどを。いちおう原作コミックは目は通していますが、自分は「押井作品」としての攻殻しか興味がないのでTVシリーズなどには目を通していません)



「アカンやつやw」と書いたが、原作を意識しなければ普通の映画である。B級とまではいかないが1.5流ぐらいの映画。しかしおそらく原典となっているだろう1995年の映画版(押井守監督)と比べると世界観が3周ぐらい古く感じる。自分は特に攻殻ファンというわけではないのだが(むしろシリーズとしての攻殻は信者が持ち上げすぎなんじゃないかと思ってるくらい)、そんな自分でも「あ、こりゃなかなかひどいw」と感じる。要はディティールは頑張っているが「魂」をまねるとこまではいけなかったとでも言えばよいか。ただこの点後述するがなぜそうなったかの部分を考察するにはすごく面白い映画だった。

で、具体的に何がまずかったかというと「攻殻観に行ったらロボコップだったでござる」とでも言わざるを得ないストーリーライン。おそらく原典のファンたちが最も感銘を受けたであろう「魂はどこに宿るのか?」というシンギュラリティ絡みのテーマが全く排除されていて、ただのサイボーグ物的な物語になってしまっている(だからロボコップ、おまけにその経緯も似てる)

またそのストーリテリングにおいて、少佐(というかそれを構成する義体)を特別化し、彼女の「個」の物語にしてしまったことでより作品が狭いレベルに堕ち込んでしまっている。これまでのシリーズでは少佐は主役であり特別ではあるが、それは彼女のパーソナリティに起因するものであって、別にその義体はオンリーワンのプロトタイプだったり希少性のあるものとまでは言えなかったと記憶しているが、本実写版ではその特別性が物語の核として組み込まれてしまっており、上述の「魂はどこに宿るのか?」というテーマの普遍性が貶められてしまっている。結果、世界観がすごく狭く感じられた。

繰り返しになるが、本作はディティールやビジュアルはすごく頑張っていると思うし(※1)、主演のスカーレット・ヨハンソンはホワイトウォッシュだといって叩かれるほど無茶な配役でもないし、好演しているといってはいいだろう。原作へのリスペクトもすごく感じるディティールは「お、ここまで敬意を払ってくれるか?」という印象で、好感は持てる、バセットハウンドまで出てくるしw(押井監督は本作を評価している旨いろんな媒体で出てるが、絶対これで買収されたんだと思うw)

にもかかわらず、なぜ本作はこんなダメ~な感じの映画になってしまったのか?

そこを考えるに、まずおそらく出発点がそもそも間違っている、というのが自分の印象。
その原因はおそらく西欧と日本の機械に対する考え方の違い。

これはハリウッド映画などでの機械やロボットの扱い方の傾向を見てみるとわかるんだが、向こうでは機械というものは支配して使いこなすモノ、あるいは下僕。もっというとデストピア的な機械の反乱、といった物語性が見て取れることが多い。(※2)

それに対して日本は鉄腕アトムに始まり手塚作品のロビタなどにもみられるようにそこにすらも魂を見てとろうとする。これは何回か言及したことがあるかもしれないが、帰化された呉善花氏が良くその日本論の中で述べられている「ソフトアニミズム」的なメンタリティに起因するものだろう。

原典の1995年版の大きなテーマの一つである「シンギュラリティ的な魂の所在」に対するアプローチを考える際に、このメンタリティの違いが大きく影響したのではないか?というのが自分の考える(というか思いついた)本作失敗の原因。要は本作のスタッフは、機械やネットワークの上には魂は宿り得ず、その身体性・肉体性が「魂」の絶対的な根拠である、というところから抜けられなかったのではないか。

やや脱線になるが、こう考えると日本人の方が、今後起こりうるだろうと予測されているシンギュラリティ的なモノに対する親和性は高いのかも(笑)。この点日本は自由過ぎるというか緩すぎるというか(苦笑)、岩や草花にまで魂の宿る文化なので、電脳ネットワークにも魂が宿ってもおかしくないよね~てかそっちのほうが面白くてワクワクしない?というwそういう違いが顕著に出てしまったのではないか。

逆にいうと本作は、肉体に固執する(西欧的な機械的なものへの不信感)というメンタリティに足を引っ張られ、広大に広がる電脳空間へと思いっきりダイブできなかったことが唯一にして最大の失敗原因かと思う。


ほか些細な点について述べておくと、キャスト陣は全員悪くなかった。当初公開されたビジュアルでのバトーやトグサに「えー?これはないやろ」という声も多々あったと思うが、オリジナルのバトーやトグサと違うキャラクター=本作の登場人物としてはこれで良し、というか原典ほど公安9課の面々には作中での存在感はない。

また日本人キャストの二人(北野武、桃井かおり)はキャリアのある名優でもあるので、その存在感だけで十分重みがあった。活舌の悪い北野監督のセリフもある意味無国籍風でいいwしかも見せ場までけっこう作ってもらって大優遇でしたな。まあここはカッコよかった。


ということで、映画として楽しむのならあまりお勧めしない作品だが、上記のような機械とかマシーナリーなものに対する皮膚感覚の違いというものを実感するには案外もってこいの映画だったように思う。特に1995年の押井版に思い入れのある方でIoTとかそのあたりもビジネスなどで触れられる機会がある方は見ておくと面白いかもしれない。ただしエンターテイメントとしてはここまで述べたようにあまり積極的にお勧めできるものではないことは繰り返しになるが述べておく(苦笑)。




【付記】
本作の公開に合わせてか、原典となる押井版の2作品も以下のようなリリースが出ているようだ。

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メディアがDVDだが、押井監督のインタビューが新録されている模様。価格も価格なのでちょっとほしいかも。

ついでに調べてみたが原典となる押井版のメディア、ブルーレイとして「決定版」と言えるのは意外とまだないっぽいのね。まあ1995年の作品なので画質の面を考えると厳しいのかもしれないが。かといってCGパートと音声のリメイクが施された「2.0」はやはりどうもしっくりこないし。

この機会に「定番」といえる高画質なメディアが出てくれるとよいのだけれど・・・。

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※1
ただ、このビジュアルの面ももう少し遊んでも良かったとは思う。原作リスペクトは日本人として嬉しく思うが、すこし縛られすぎてこの2017年ならではのぶっ飛び具合が観られなかったというのはもったいなかった。
(特に「少佐」の光学迷彩のスーツは「肉襦袢w」とバカにされていたが確かにダサいし、原典でのあのビジュアルの演出的な意味付けも消えてしまっている。これなら逆にもっと振り切ってテッカテカの装甲スーツみたいなのにすればよかったのに・・・とかは思った)

※2
本レビューからは逸脱するが、このメンタリティの違いからプログラミングやソフトウェアパワーで弱い日本というのを考えてみるのも面白いかも。
ソフトウェア的なもので日本がかなり遅れを取っているのは英語の壁という要因が最大のものだとは思うが、この機械に対する「使役」して「制御」し「使いこなす」という発想が弱いのかもね。よく笑い話にある「マクロ的なモノを組んだらサボるな!と怒られた」といったことも案外ここに通じるような気もする。
逆にここを逆手に取ったアプローチが出来るなら面白いかも。ソフトウェアに対してその機能的な本質を反映したパーソナリティ的なものやキャラクター性を付与し、自律性を与えることで、こういった「使役する」存在としての機械やソフトウェアとは違った思想体系のエコシステムは作り得るのかもしれない。モジュールの自律性を持ったキャラクター化というかな。そういう思考で行くとちょっと他では見れないアルゴリズム、整合性が「使役」せずとも「楽しむ」ことでそのエコシステム自体により自律的に獲得出来るのでは?と妄想してみたり。
(実はこれに近いことをすでにやっているからミクさんは偉大なのである)

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