【まとめ】ざっくり感想とか
ということで今回こうしてまとめて弟橘姫命由縁の地を回ってみたけれど、実際に現地に足を運ぶ・・・というか移動の距離を体感してわかることもいろいろあるんだなあ、というのが一つ。
特に大貫の橘樹神社などはその感が強かった。経験至上主義などはさらさらいうつもりもないんだけども、手足を動かして考えるのは大事だな、と。
しかし今回こういう形で集中して回ったことによってさらにはっきりわかったことは、弟橘姫命関連のことを確認しようと思うなら、当然その旦那様である日本武尊のことを調べざるを得ない、ということかな。
地図で調べるとその東征の痕跡と思われる土地や神社というのはあるにはあるが、実際どのあたりまで北上したのかというのも諸説あるし、なにより帰路ですら関東平野のあっちゃこっちゃに由縁の場所ありすぎて正直混乱する。もともと日本武尊自体が一人の人物でなく複数の人物から作り上げられた架空の英雄という説もあるが、それにしては一部分にはっきりと残る痕跡の前には少々疑問を持たざるを得ない。ということで、つぎは日本武尊の北上はどのあたりまでだったんだろうか?というのが気になってくるところ。
ちなみに今回で弟橘姫命由縁の場所は大きめのところはおよそ見れたと思っていたが、当然ながら数か所行けてない場所もある。そのあたりは次に何らかの機会があれば回ってみてみたいところ。
しかしこれだけの数の神社や有名なエピソード持ちの人物のわりに、その人物像がわかる具体的な記述ってほとんどないんですよね、弟橘姫命様。
日本武尊の妃は数名いらっしゃるし、当時それは珍しいことではないと思うんだが、なぜこの方だけが東征についてこられたのか(あるいは受難故にたまたまその名を残しただけなのか)。別の妃として著名なのは宮簀媛命がいらっしゃるが、こちらがすごくパッシブ(受動的)なイメージなのに対し、弟橘姫命のほうは非常にアクティブ(活動的)な感じがある。ある種アラミタマとニギミタマの違いみたいな。その印象の違いというのは、後世の創作という話もあるが、焼津と草薙の剣エピソードにも断片的に登場するあたりからも見受けられる(草原での焼き討ちの場所に一緒に居合わせたということになるので)。どちらにせよ日本武尊と相当近い人物だったには違いない―だいたいそうでなければ関東・東北ぐるーっと攻め倒したあと帰る段になってまでも「吾妻や、吾妻や」と嘆くエピソード残らんですわな。
そういう意味ではいまだなかなか興味の尽きない・ミステリアスな人物像なのでありました―よって、おそらく今後もこのシリーズ、あと数回はつづくw
※以下はこういった対象となるご祭神のエピソードを簡単に紹介しながら著名な神社を紹介しているものとしてはこのムックが意外とシンプルでよかったので一応ご紹介しておく。
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