【レビュー】『ギガントマキア』三浦建太郎

標準

少し前に読了してたがレビューあげてなかったので。

『ギガントマキア (ジェッツコミックス)』



遥か時の彼方、歴史の尽きし先―いずこともわからぬ砂漠を行く二人・風炉芽(プロメ)と泥労守(ドロス)。砂漠の渇きで水に飢えた泥労守は砂アンコウの擬態にひっかかりかけたところを砂漠の民・甲虫使いに助けられるも拉致される。彼らは”帝国”に多くの仲間を殺され、”帝国”の構成員である人類に積年の恨みを抱いていた。処刑されるに見えた二人だが、聖虫族の戦士・雄軍(オグン)はその恨みをその拳で晴らすべく、泥労守との一騎打ちを宣言する。闘技場で二人の戦いが始まるが・・・。

『ベルセルク』をほっぽり出してなにしてるんすか!?先生!?と多くの読者が思ったであろうこの作品だが、読んでみて個人的には

「これならより道もありかな」

という感じであった。長編作品にはよくあることだが、その作品世界に対して制作側が自身をその世界へチューニングし続けるというのはかなり過酷なことだ。いちど切れちゃったんだろうな、その集中力が。
そういった一度ほどけてしまった作品への集中力を取り戻すためにも、こういった別の世界線の物語というものが必要だったのかもしれない。
逆に言うと、作者がこういうスタンスを取らざるを得ないまでほっといた編集側には若干の非があるだろう。このあたりはもう少し考えてあげてほしいものだ。

で、本作である。

『ベルセルク』は上記のような理由で失速気味であるが、三浦建太郎そのものは実は技量的・センス的に実は脂が乗り切っている状態だというのが良くわかる一冊だった。正直これ一冊というのは惜しい。
”ドラゴン殺し”ではないが『ベルセルク』で描いて描いて描きまくった技量の積み重ねが見事に昇華されているのが良くわかる冒頭に始まり、作画のスケール感、広大な世界、魅力的なキャラクターに加え、程の良いコミカルさと切なさ。

内容的には昨今話題になったフィクション作品の要素をメタ的にごった煮にした感があるが、それでも”ギガントマキア(巨人戦争)”という確固たる世界になっているのはやはりそういったこれまでの蓄積の成果だろう。
そう、冒頭に描いたあらすじ的な内容からさらに二転三転物語の展開があるのである。

プロメはかわいらしいし、ドロスも三浦建太郎作品らしい泥臭くも主人公らしい主人公だ。ガッツほどは背負っているものがないせいかキャラもやや明るめだ。

で、この二人がしっかりとその能力的な面でも主役然としたモノを持っているので、キャラクターにも無駄な配置がない。

巻末のほうのプロメの変化は描写はコミカルなのだが、なにかこう手塚治虫の『火の鳥』を感じさせるような切なさ、そして不穏さを感じさせる。
当然、以降もこの世界を展開させていこうと思えば、いくらでも展開させられるだけのものは用意して描かれているのは明らかに見て取れる。

正直『ベルセルク』を完結させてほしいのが第一としてあるが、その完結のために必要なものとして―作者の作品への鮮度を保つための必然として―本作品は定期的に掲載していくこともありなのではないかと思う。

ここまでいろいろと”捧げて”『ベルセルク』を描いてきたであろう三浦氏かと思うので、これぐらいの気分転換は許されてしかるべきなんじゃないかな。
そう思った。







※2022/06 標題の表記を統一、リンク切れを修正

コメントを残す