ツタヤの単品レンタルが割引セールだったのでまとめて一気見。
※貼ってた動画が消去されてしまったようなので差し替え(20160421)
リリース後から、エピソードを重ねるごとに評判が尻上がりに高まっていった作品と記憶しているので、期待して見てみた。
結論から言うと、おそらく初代ガンダムを除くいわゆる”宇宙世紀モノ”の中では一二を争う完成度、というのは言ってよいと思う。
ただ、直近で『まどか☆マギカ』のあの完成度を見せつけられたあとでは、やはりあのレベルにまでは及んでいないというのは、残念ながら言わざるを得ない。(原作として小説がある、という点も考慮しないとこの点はアンフェアではあるが)
しかし、だからといって悪い作品ではなく、繰り返しになるが、初代ガンダム以降で作られたシリーズとしては、白眉の出来だと思う。
惜しむらくは本作は、おそらくこういったビデオシリーズではなく、TVシリーズとしてやるべき作品ではなかったか。
そこから来る齟齬が、いろいろと”惜しさ”を生んでいる、非常にもったいないシリーズでもあると思う。
事実、作中ep1~2あたりはそういった空気が少なく、むしろアメリカのシリーズ・ドラマのような引き締まった感じのする演出・展開で非常にいい感じだった。
しかしそこから―本作のヒロインの一人であるマリーダの内面がクローズアップされはじめるep3あたりから―込められている情報量に対して明らかに尺が足りていないことが、原作未読でもわかってしまう。
続くep4でも、ガンダムシリーズ定番「巨大MA+ニュータイプのヒロインとの精神交感」エピソードであるロニとのそれが、物足りない感じになってしまっていて、(演出がいいだけに)非常にもったいない。
しかしここは、ジンネマンとバナージの砂漠越えという重要なエピソードが前半に来ているので、ビデオ作品というパッケージを考えると、ぎりぎりの納め方ではあっただろう。
そう、本作はすべてこういった尺がぎりぎり故の、エピソードの配置・取捨選択での惜しさというのが端々で見え隠れしていて、それが1本のビデオパッケージとして見た時、パッケージ全体の演出として全体の感動を減速させる方向に働いていて、非常にもったいない。
これらの端的な例がep5のオードリー救出のエピソードだ。なぜこのシーンがep5としての巻末にならず、もう1シーケンス入れざるを得なかったか?
繰り返しになるが、非常にもったいなく感じる。
これがTVシリーズであれば2話続けて盛り上がりにできる非常においしい展開だろうが、ビデオシリーズ―それもいちおう完結までの巻数が見えている―ではこうせざるを得ないのだろう。
なので盛り上がって「うぉー!?」となったいいシーンですぱっとエンディングに入れず、次巻のへの引きのシーン(これもよく出来てはいるんだが)で終わる形となり、冗長感が否めない。
(これはいっそのことエンディング後にみせたほうが演出的には良かったのではないか?と思うのだが、おそらくそうするにはその部分の尺が長すぎるのだろう)
事実、作画や演出を各シーンごと個別でみるならば、非常に良い出来なのだ。
特によくいわれるようにMS戦の描写というのは(全部がそうとは言わないが)、これまでのように勢いで発砲⇒爆発⇒切り合い的な見せ方で押し切るのではなく、それなりに戦術が感じられる描写が見られるというのは重要だろう。
(ただここは、事前情報から期待していたほどではなかったことも付け加えておく)
それだけに、全体(ビデオ1本)として見た時の演出の流れが、自然さを若干損ねてしまっている、というのが返す返すもったいない・・・。
このあたりは、このビデオシリーズをベースに2クールぐらいに再構築してもいいんじゃないかと思えるぐらい。
以上はビデオ作品というフォーマットの部分からみた印象。
以下、内容について。
もし仮に”ガンダム本来のあり方”というべきものがあるのなら、それを非常に良く受け継いでいる作品だと思う。
もちろん富野監督独特の狂気の部分まではないので(苦笑)、その部分は物足りなくも感じるのだが、いわゆるファーストガンダムで描こうとしていた内容の一部を尊重し受け継いだ、ある意味”直系の子孫”たる作品だと思う。
上記でまどかを例えに出したが、まどかがファウストの一部を引いて”女性性の物語”であることを暗示してあるとすれば、元々ガンダムは男・・・というか父と子、あるいは男の子と社会の関係性をテーマとして内包している作品だと思う。
その意味で、本作はその点をちゃんと意識して作られているように見える。
(おそらくこれは原作・福井氏ならではの見識かと思う)
前述のジンネマンとのエピソードもそうだが、ep3までのダグザとのエピソードもそうだ。男の子が社会性を得る段階で、いかに先人たる男=父の存在が重要であるか、というのを意識して描いている、と自分はみた。
実はこのあたりが、いまの現実社会(特に日本の社会)では一番欠けている部分の一つであって、それが故に苦しんでいる男の子たち、というのは大勢いると思う。大人のふがいなさへの怒り、というのもガンダム(というか富野作品)の伝統一つだが、それはやはり大人の男に「もっとしっかりしてくれよ!?」という若い男の子たちからの叫びでもあると思うのだ。
だから本来この作品は、当時ファーストを見ていたおっさんや、Zがリアルタイムだった自分たちのような世代が懐かしがって見てるようじゃいかんのだ。同じ見るにしても「自分はここまでやれているか、出来ているだろうか?」と、ほんとは居心地悪くなってくれんといかんのだ。
ただそうはいっても、本作は「男の子」であるバナージを主人公としているが故の、必然的な”甘さ”も、作品として組み込まれてしまっている。故に、おっさんどもがそこまで自身に引きつけて見なければ!と感じられるほどの切迫感がない、というのも事実である。
また、よくガンダムファンがいうところの「カッコイイおっさんが出てきてこそガンダム」というセリフや、どれだけファン層が増えても、”作品の本質”的な部分への女性ファンが一定数以上の規模にはならないだろうことは、こういった構造がある以上、必然なんだな、ということにもあらためて気がついた。別にロボットがドンパチしてたり、プラモデルがメインの商品だから女性向けの作品にならない、というわけではないのだ。
(※上記女性ファン云々の部分は、あくまでも自分の印象・仮説です―ただ、キャラ萌え的なこと以外で女性層があまりガンダム(特に宇宙世紀モノ)を語っているのはあまり見聞きしたことがないのは事実)
最後に一点、個人的に素晴らしいと思った点を。
それは、主人公バナージの
「”本当のきみ”は、”君自身”はどうしたい?」
という問いかけと、その彼に託された
「”それでも”と言い続けろ」
という言葉。
これについては、ここでグダグダ書かないことにする。
ぜひ見るなり読むなりして、自分がこの部分になにか”感じ”られるかどうか、確かめてみてほしい。
これは、原作の福井氏が読者・視聴者に込めたメッセージのように思う。
これを鼻で嗤ったり、冷笑して終わるようでは、けっこうやばいと思う、一人の男として・人間として。
どういう年齢・立場にあれ、この問いを誤魔化しているようでは、その人はたぶん本当の意味での幸せな人生を送れないだろう。
本シリーズは、残すところ来春のep7―これまでの60分枠より大幅に拡大することが決定している―を待つのみだが、そこでどういう景色が見れるのか、最後ぐらいはリアルタイムで付き合ってみたいと思うが、さてどうなりますか。
願わくば、制作側が汲み取って・受け継いだ”ガンダム”を、ぜひ全うして頂きたいと思う。
UCどころかガンダムにさほど関係ない話で失礼しますが、女性がガンダムにハマらないというのは、元々女という存在そのものがいわゆるオタク的な物に興味を持ち難いからだとも思っています。
その一例として、たまに何かの企画で中年以上のオタ系文化人・芸能人が集まったりしますが、そのメンツはものの見事に男性ばかり。
こういう現象を見て、男は子供の頃にハマったアニメ・漫画などをいつまでも心に留め、現在進行形で新作にハマることもけっこうあるのに対し、女は子供の頃に熱中しても大人になれば忘れ去り、当然今の新作にも興味なぞ持たん、って人が多いのだと思いました。
こういう事情+仰るようにガンダム自体伝統的に男性視点の作品ということもあり、女性がガンダムを見てもキャラ萌え的な浅い部分で興味が終わり、ストーリー性などについては踏み込んでいくことはないのだろうと思います。
余談ですが本来UC原作なりアニメなりを見てから感想書くべきと思いましたが、今は読んでる月光魔術團シリーズに取り掛かってるのでどうしても後回しに・・・(汗)
一応無理矢理ガンダムと関連付けてみますと、性に目覚めはじめた少女たちは、ガンダムよりやっぱこういう話の方が好きになるんだろうなぁ、って思いました。