人間の基本/曽野綾子

標準

この方の著作―といってもほとんどエッセイのほうだが―は一時期よく読んでいたが、しばらくご無沙汰だった。
久しぶりに読みたくなって。

人間の基本 (新潮新書) [単行本]
曽野 綾子 (著)

奥付に2012年3月とあるので、震災の1年後、それを意識して出版されたものだろうと思しい一冊。
「人間の基本」との表題にあるように、数々の経験を経て感じた、著者の人間観を語った一冊。
文体からおそらく語りおろし的な一冊だと思われる。



何度か書いているが、自分は基本的に脱原発、できればないほうがいいと考えている人間。

しかし、原発を肯定する言論人の物言いでも「ああ、それは一理あるな」と考えさせられる方が、少ないが何人か居る。
曽野綾子氏もその一人で、この方のいう原発肯定は、その経験に裏打ちされ、深い思慮の結果成されている発言なので、賛否はともかく納得は出来る。

ご存知の方もおおいと思うが、氏はクリスチャンで、地道な海外ボランティアへの支援活動を、長年、淡々と続けてらっしゃる。

その経験の中で痛感された、と仰っているのが「民主主義は電気が来ないところでは成立しない」ということ。

これは氏のエッセイを何冊か読んでみればわかると思うが、その言葉には凄くリアリティを感じる。

また、そういう極限に近い場所でのボランティアをされる方々を数々見て来られている方なので、語られている「人間の基本」も、凄く腑に落ちる。

かといってそれは堅苦しいものではなく、この方の特徴はそのいい意味でのおおらかさ。(文中ではよく「加減がよい」という意味での「いい加減さ」と表現されている)

雨露をしのぐ才覚があって、多少のずるがしこさを発揮して、命をつなぐ最低限のことは出来るように人間はなくてはいけない、的なことを本書に限らず都度都度仰っている。

自分も凄く納得し、大いに共感するところだが、結構時と場合によってそういう発言を「不謹慎だ!」と叩く人が昨今は多いようだ。

しかし、そういうしたたかさ、ズルさ、というものがあって、本来人間は成り立っている。

もちろんその反面、そういったズルさ、したたかさを発揮していた人間が、別の側面では、普通はなかなか出来ない善を成したりもする。

そういう複雑さ、多面性こそが人間の素晴らしいところであって、それを善―そのほとんどは偽善だと思うが―のひとことで漂白しようなんちゅうのは、ある種人間の尊厳に対する冒涜なのだが。

氏の著作は、そういったところを判別するリトマス紙的にも読めるように思う。
読んで不愉快に思ったり、心がざわつく、というのはちょっと気をつけたほうがいいのかもしれない。

ここに書かれていることは、平易な言葉で平易に書かれているが、その言葉の奥にあるものはとても深い。
その深さは実は=人間という存在の複雑さ、その奥行きの深さである。

そういう複雑さに対する敬虔な気持ちを持つ人が増えれば、いまの日本の世の中も、もう少し風通しが良くなると思うのだが―。
首肯すると同時に、自戒も促された一冊だった。

氏の著作を全く読んだことがない、という方は是非一度読んでみてほしい。

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