グローバリズムの影で―真の国際化とは?

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書名と内容が羊頭狗肉なのは毎度のことだが、ぽろっと読むのにはちょうどいいんだよな。

意外に日本人だけ知らない日本史 (講談社プラスアルファ新書)

以前に一度も植民地になったことがない日本という、同著者の本を読んだことがあって、それなりに楽しめた。

前著と同じく、繰り返し読めるタイプの本ではないんだが、気楽に読めることと、最近国際化ってなんだろうと考えることが多かったので、久しぶりに。

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ミクさんすげえな・・・。

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北米トヨタのカローラのCMに起用ですと。
(twitterのTLによると、日本で言う「痛車」的なものを狙ったのではなく、若い女性の足としてターゲットされている車だからそこを狙ったのでは、という話も)

たしかに以前にも書いたと思うが、海外でのVOCALOID関連の支持層は若い女性が多いとの調査結果もあったのであながち間違っていないかも。

そして、こういうモンて確かに”大人の常識”から考えると、かなり”痛い”のはそのとおりではあるんだがこれって「日本だけにしかできない」ことの最たるものでもあるんだよな。
(”痛い”だけに、ちゃんとした”大人”の文化を持つ欧米では真似できない)

それがいいのか悪いのかはわからんけども、それが強みであり、ある程度の普遍的なニーズがある、というのは間違いない。

一時と違って、ジャパニメーションとよばれる日本製アニメーションやマンガ文化が、欧米マーケットでは苦戦しているという話も聞こえてきているが、こういう記事を読むと、そういうジャパニメーション的なフォーマットが”スタンダード”として受け入れられて、ローカライズが始まっているということでもあると思う。

そのうえで、やはり日本製のこういったジャンルのすごさというか、裾野の広さ、底力というのはTL上で最近話題になっていた某作品のあらすじとか調べてみて改めて感じた。
twitterやってるいいおっさん、おばはんが話題にするにはそれなりの理由があるんだな、と。

個人的にはアニメアニメした絵が嫌いで―というか絵描きの端くれとしては、そういうところから遠くへいきたいと思っていたので―そういった属性を持つものは、よほどのものでないと意識的に避けてきたんだけれども、そういう意味ではすこしアンテナを張りなおさないといけないのかもしれない。

現実の”リアル”な生活の重さと、こういったカルチャー、バーチャルな”情報世界”の奔流。

これらは相反するように見えて、相互に作用している。

現実の重みが第一にくるのは事実だし、その現実を生きていく力を、こういったものが阻害する傾向が強いのも日本の世の中の特徴だ。


しかし、これらバーチャルな”情報世界”のなかで語られるのが、なにがしらかの”物語”であり”ココロ”であるのなら


それは抽象化し、結晶化されているだけに、この世の中の”本質”の一部をより純粋に含んでいるのかもしれない。
なら、それは間違いなくひとつの”豊かさ”だ。
(そして”豊かさ”というのは=”多様性”ということでもある)

すくなくとも、そういった可能性をはなからシャットダウンしてしまう、ココロの固い人間にはならぬよう、自戒したいもんである。


以前、ミクさんのことを”破壊の女神”と書いたが、けっこう本質を突いていたのかもね。


この娘はこれまでの”あたりまえ”を全部破壊して行っている。


そして”破壊”は”再生”でもあるんだよな。

なにをもって”障害”とするのか?

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最近よく耳にするようになった”障害”という言葉だが、どんなもんだろうな。

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)

一昔前に「サイコパス」という言葉がはやったが、そこでもたしか使われていた言葉は”人格障害”。
最近では”発達障害”とかもありますな。

で、どうなんですかね、この言葉。

もちろん当事者からすれば切実な現実だと思う反面、こういう言葉が”発明”される前の社会では、そういう一種反社会性を含んだ人格というのも”そんなヤツもいる”という程度で、受容されていたように思うのだけれど。

ただ本書はそういうシリアスな”障害”を扱う感じではなく、現代社会におけるある種の類型として現れる”型”を、性格の分類的な側面から分析した一冊。

巻末に自己診断テストがついているように、誰でもそういう”傾向”の現われはもちうる。

で、この手の本のいちばん重要なポイントは、その発生のメカニズムと、サブタイトルにあるように”どう接するか?”ということ。

本書はその点をシンプルかつコンパクトに、的確にまとめてある印象。
身近にこういった傾向が顕著に出ている人がいるなら、その人を理解するのに大きな助けになりうるだろう。

で、セルフチェック、自分もやってみた。
設問がそれぞれの類型の趣旨定義とびみょーにずれている+身近な第三者からのチェックも推奨されているので、どこまで正確なものかはわからないが

そうすか、自分はスキゾパイタル(失調型)傾向っすかw

失調型パーソナリティ障害の特徴は

一言でいえば頭で生きているということである。

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人目を気にしないマイペース人生

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克服のポイント


身近なことをおろそかにしない

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きょ、興味のある方はどうぞ・・・。

書いた責任上・その2

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そのスタンスに対して、擁護論的なエントリを過去書いているので、書いた責任上補足。

繰り返しになるが、基本的な人情論としての上杉隆氏、孫正義氏両者への肯定の側面は変わっていないが、事実を報じるという点では、最近の両氏の発言は慎重に吟味するべきであるということを一筆しておく。

特に4/1に「年内一杯」での”ジャーナリスト休止”を宣言した上杉氏が若干ヤケ気味なところがみられる。
結果、一部裏をとらないままの情報で結果的にtwitter上での拡散を行うような形になってしまっている。

孫氏の場合はジャーナリストでもなく、社会的影響力の大きい公人ではあるとはいえ、そこまで厳密なものを求めるのもどうかと思わないでもないが、上記の上杉氏発信の情報(裏とりなし?)的なものをやはり拡散してしまっている部分がある。

たしかにこの期に及んで改悪とも取れかねない子供の被爆量の許容値を検討するなど泥縄的な政府・保安員の対応に「怒髪天をつく」と発言するのは心情としては共感する、特に同じ頭髪の薄い人間としては。(泣)

しかしやはりここを冷静にしたたかに戦ってほしいと思うのは自分だけか。

両氏とも基本的には誠実な人ではあると思うので、余計に残念だ。

ただ江川紹子氏もtwitter上で発言していた有名人の発言だからといって、検証せずに鵜呑みにしない―メディア・リテラシーのいい訓練になるというのはまさに的を射ていると思う。
そこの部分を自分で一度も斟酌せずに、条件反射的に噛み付く人が多いのも、両氏の頑なな態度への一因になっているのではないか。
(両氏への発言に限らず、ある種の発言に対して発火点の低い人が意外なほど多い)

事実は事実として。されど情は忘れず。

そして、自分と自分の大切な人たちに関する判断を、他人に委ねてしまわないこと。

think by yourself.