最近よく耳にするようになった”障害”という言葉だが、どんなもんだろうな。
パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)
一昔前に「サイコパス」という言葉がはやったが、そこでもたしか使われていた言葉は”人格障害”。
最近では”発達障害”とかもありますな。
で、どうなんですかね、この言葉。
もちろん当事者からすれば切実な現実だと思う反面、こういう言葉が”発明”される前の社会では、そういう一種反社会性を含んだ人格というのも”そんなヤツもいる”という程度で、受容されていたように思うのだけれど。
ただ本書はそういうシリアスな”障害”を扱う感じではなく、現代社会におけるある種の類型として現れる”型”を、性格の分類的な側面から分析した一冊。
巻末に自己診断テストがついているように、誰でもそういう”傾向”の現われはもちうる。
で、この手の本のいちばん重要なポイントは、その発生のメカニズムと、サブタイトルにあるように”どう接するか?”ということ。
本書はその点をシンプルかつコンパクトに、的確にまとめてある印象。
身近にこういった傾向が顕著に出ている人がいるなら、その人を理解するのに大きな助けになりうるだろう。
で、セルフチェック、自分もやってみた。
設問がそれぞれの類型の趣旨定義とびみょーにずれている+身近な第三者からのチェックも推奨されているので、どこまで正確なものかはわからないが
そうすか、自分はスキゾパイタル(失調型)傾向っすかw
失調型パーソナリティ障害の特徴は
一言でいえば頭で生きているということである。
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人目を気にしないマイペース人生
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克服のポイント
身近なことをおろそかにしない
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きょ、興味のある方はどうぞ・・・。
見事な落とし方と最後の一行に、思わず声を出して笑ってしまいました。
面白そうな一冊。お財布が許せば買ってみたいなと思います。
いやしかし。
長期、身近で現物を見ていたので、分類するための言葉なんて
「どうでもいい」というのが第一の感想。
確かに、本人が「自分はどうなのか」と不安を抱いて診察を受けて、
出された診断名に「回復へ向けての希望が持てるかどうか」というのは、
すごく大事ではある。
もうお前はダメなんだよ的な名前をつけてはいけないと思う。
けれど、大切なのはむしろ周囲の人間がどう接するか。
接し方によって、悪化させず、甘えさせず、自覚させ、
運がよければ自発的に回復へ向かわせることができるのだから。
なんてのは偽一休先生相手に言うまでもないこと、釈迦に説法でしたね。
「まず名より始まる」
じゃないけど、どんな事象も「名」を持った瞬間に、その名前以外のものにはなりえないのよな。
夢枕獏の『陰陽師』における”呪”の本質はそこ、という描写を思い出します。
なので”忌み名”があったりしたんだよね。
なんにせよ、まだまだわが国は良くも悪くも、言霊の幸わうシャーマニズムが濃厚に残る国だという自覚は社会に対してのインフルエンス持ちうる立場の人たちにはもそっと自覚してほしいもんだとは思いますな。