読まねばならぬ本はたまってるんだけど、このところずーっとインプットモードになってないみたいで。
そんななか本屋で偶然見つけて、久しぶりにすこんと一冊最後まで。
人を殺すとはどういうことか-長期LB級刑務所・殺人犯の告白
タイトルにあるように、殺人で無期刑をうけ、長期刑の囚人を集めた刑務所に収監されている著者による一冊。
かなり知性の高いことが伺われ、かつある種の哲学(美学)をもっている人物らしく、筆致は理路整然、透けて見える人物像は不快な感じはしない。
しかし、というかやはりというか、だからこそ
「ああ、なるほどな」
と納得もさせられる一冊であった。
著者は真面目で、ある種の誠実さの持ち主であることは疑いいれないが、その知性の高さ、克己心の強さが常軌を逸しており、それがこの世にあまねく他者への共感能力の欠如にもつながっているんだな、というのが正直な感想。
ずばぬけて優れたものを持っている者は、ずばぬけてなにかが欠落している―。
それを体現しているような人物だな、と感じた。
そしてそういう著者であるからこそ、標題の「人を殺すとはどういうことか」という部分で、おそらく読者が一番知りたいであろう、その立場にたったであろう人物の心理的な動き、そういったものがあまりつたわって来ない一冊でもあった。
ただこれは、筆者の冷静な筆致による同囚の殺人犯たちのプロファイリングからも見て取れるように、案外そういった葛藤や逡巡を想像する我々素人の思いと異なり、その「一線」を越えるときそのもの、というのは思いのほかハードルが低いのかもしれない。
(それまでの蓄積が水位をあげ、防潮壁を乗り越えるようなものなのかもしれない)
加えて、罪深い・・・というか業というのか、この筆者にとって”父親”が信仰の対象である、ということが、この状態でも続いている、ということ。
一見美談に見えるが、これはやはり”呪い”―呪縛以外のなにものでもないように自分には思われる。切ないな。
※この点、本書巻末のノンフィクションライター・橘由歩氏の解説はなかなか的を得ているように思う。
もしこの著者がこの先その点に気付いたとき、自らがバラバラになるような衝撃を受けるかもしれない。
けれどそこに至らないと、おそらく真の意味での「人を殺すとはどういうことか」というところへはたどり着けないのではないか。
こういう人物がこういう境遇へたどり着いたというのも、神様もなかなか思慮深いことをなさるもんだ―そう感じた。