踊る○○に見る○○、同じ○○ならw

標準

ちゅうことで久々にCONDOR44見に行ってきた。

今回は高円寺HIGHだったので新宿で乗り換ええっちらおっちら行ってきたが、週末の新宿の鬼混み、あれはなんぞ!?

さらに高円寺クラッシック・ジャパニース・レイブパーティ=阿波踊りキターw


おかげで駅鬼ゴミwけど祭りの雰囲気久しぶりで楽しかったなあ。

唯一の後悔はあんなにしっかり出店でてるって知らなかったのでメシしっかり喰っていってから買い食いできなかったこと、ショボーン。


で、今回のCONDORですがドラムがTKC。
セットアップ時点でかなりバカスカ叩いてくれていたので「これはもしやwww」と思っていたら案の定今回は


めっちゃ

ロックバンドモード

でしたw

CONDORの前のmiaouというバンドがインスト・オンリー、静かな感じで聴かせるバンドだったので余計コントラストが目立った。



(残念ながら場内撮影禁止なのでご尊影なし―時代に逆行しとるな・・・)

で、もうここのレベルになると演奏がどうとか技術的にどうだとかっていう話じゃないのよな。
ましてや今回のように熱い演奏のときはそんなことどうでもよくなる。

以前・・・というかライブレビューの時に自分がよく話題にする「音の通り」と「爆音の快感」の二律背反の話も、このレベルになってこそほんとは意味を成す話。(*1)

そういう意味では今回のCONDORの熱さ、爆音加減も非常に心地よかった。

で、そういうなかでこれまで見たこととあわせて今回ふと思ったことが一点。
もっと古くからのご贔屓衆のかたからすると実は周知の事実なのかもしれないんだけど―

ひょっとしてCONDORって


佐々木氏のメンタル加減で

出来不出来大きく変わってね?

と(苦笑)。

MC聴いたことある方はご存知かと思うんだが、普段ひょうっひょうと客を煙に巻くようなトークが特徴なので(笑)自分もこれまで気がつかなかったんだけど、意外に氏のメンタル状態でその日のステージのカラーすら変わってるんじゃないかというような気がする。

別にこれは悪いことじゃなくて、それがあるからいつもの曲にいろんな表情が見えてみるたびに楽しい。
ただそういうある種の「ムラ気」というか「天邪鬼」てきなところ(失礼)が案外CONDOR足踏みの原因なのかもなあ、と思ってもみたり。

ご存知のようにここは本来ならもっと大きな場所でやっててもおかしくないバンドなんだが、世間一般の考えるところとは別に良くも悪くも規模拡大せずにやってる。

自分は当時を知らないんだけど、初期は一通り大きな舞台にも立ってたという。
なので大舞台も知った上でこういうふうにやってる、というのはある意味すごいことではあると思う。

ただなあ、ちともったいないなあ、とも思うわけよ。

もちろん規模を大きくすれば音楽以外の余計な負担が増える。
それを背負って呻吟するなら自分たちの小回りの効く状態で音楽そのものに向き合っていたい、というのもあるだろう。

けど規模が広がるっていうことは増えるの負担だけじゃないと思うんだよね―声援も増える。

もちろん現状でもきちっとした支持層がいるだろうこともわかるし、それで十分なのかもしれない。
しかし最近気がついたんだけど、「現状維持」っていうのは実はプラス・マイナス・ゼロではなくって「暫時低減」なんだよね、徐々に磨り減ってってる。

もちろん必要以上の規模を求めることはしなくていいと思うが、もうちょっとポジティブな欲と”次の規模ならではのもの”をみるためのささやかな煩わしさは引き受けても損はないと思うんだが。

音楽的な面ではその”次のレベル”というのはここ最近サポートで入っていた事変のハタ氏と組んだことで実感できていると思う。

それを音楽そのものではなくて、その音楽をかき鳴らす”場”についても求めてもいいんじゃなかろうか?
浴衣姿が多いのに英語が聞こえてくるというカオスな客席でそんなことを思ったわけで、ええ。


ほんでな―


そういう面倒をポジティブに引き受けられるっていうのはやっぱりある種の”時期”があるとおもうのよ。


あとから「ああ、しまった」と言わずにすめばよいんだが。





*1・・・実はこの「爆音」もPA的な意味じゃないんだよね、プレイヤー側のパッションが音響にプラスアルファで乗っかったときの爆音。ただボリュームでかけりゃいいっていうのはアンポンタンな証拠。

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