奈良の神社を巡る(2019年12月初旬)

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今月月初に実家の用事があって、大阪の方へ帰っていた。ちょうどいいタイミングで時間が取れそうな日があったので以前から行ってみたかった石上神宮ほか、奈良方面の神社をを回ってきたので備忘録的に。

結果的に記紀神話では対立する関係の神さまを祀っている神社をぐるっとひと回りした感じだったのだが、こういう回り方ができる日本の神様の寛容さに感謝(笑)。




まずなぜ石上神宮に行ってみたかったかというと、鹿島神宮に祀ってある「布都御魂」(大太刀)のオリジナルと言うか写しというかに関連のある場所らしいということから。当然その大太刀そのものは見ることはできなそうだが、場所自体がどんなところかと言うのは見て・・・というか感じておきたかった。

で、当日は朝早めに出て大阪環状線・鶴橋から近鉄経由で奈良方面へ向かったのだが、そっちへ行くなら当然三輪の大神神社も・・・と、そういえば橿原神宮もこの近くよね?ということに車中であらためて気づき、急遽予定変更(笑)。一発目から寄り道で橿原神宮へ。



しかしここは意外と社歴が浅く明治のご創建なんですな。当然「神宮」系の雰囲気というか荘厳さというのはバリバリとあって、朝の冷たい空気も相まって素晴らしかったんだが、社歴の古い神社から感じるような力強さのようなものは少し薄かった。



ただ脇に池があって鳥さんがたくさんいてなかなかいい雰囲気。というか今回なにげに鳥さん大会になるとはこのときは気づかなかったわけですが(苦笑)。

で、ご参拝をサクッと終えて駅に戻ってくるとこんな珍しいポストが。



調べてみると宮崎市と姉妹都市の関係で、宮崎にある青島神社近くの青島海岸で人気の「幸せの黄色いポスト」にあやかったらしい。(天孫降臨の地とされる宮崎県高千穂町にも黄色いポストがあることも理由の模様)ほえ~。

初っ端の寄り道を終えて、次は何度も行っている桜井市の大神神社へ。
で、今回はあくまでもメインの目的でないことがバレていたのか、あるいはこのあとまわる予定の神社が「国譲り神話」でいくなら敵対関係にある神社だったせいか、手にとった御手水の柄杓が折れているとか柏手打とうとするタイミングで他の客が前に入ってきて邪魔をするなどの塩対応あり(苦笑)。ここの神様は以前にも書いたとおりかなり強烈な神様なのでさもあらんという感じ。なので丁寧に詫びを入れてその場をあとにすると、哀れに思ってくださったのか、境内出てすぐと駅舎にておネコさまによるお見送りを受けるなど。すんません、今度はちゃんとメインで伺います(汗)。

(これはおネコさまのほかにお見送りに出てきてくれた千鳥ちゃん)

続いてはこの日のメインイベント、石上神宮へ。
ここは以前から気になっていたんだけどなかなか行けなかった。その理由の一つが最寄り駅であるJR天理から「徒歩30分」か「タクシー」という二択になりそうだったから。加えて”宗教都市”天理でもあるわけで。で、今回思い切っていってみたんだが行って大正解(笑)。個人的に神社仏閣に行ったときに「当たり」と感じる際の雰囲気バリバリ。なんせ境内降りた途端に「コケケッコー!!」ですよ(境内にご眷属なのか鶏の一群が)。境内は小さいけど非常にパワフルさを感じる場所。

(境内のつくりはちょっと変わっている・・・というか拝殿正面へとむかう楼門的なものの前にあまりスペースがないというのは珍しい-やはり物部系=軍事・城郭的な性格があるということだろうか?)

前述のように境内には鶏の一群が放し飼いな感じでたむろしていて非常ににぎやか─どの子も毛艶がきれいでちゃんとお世話されているのが感じられた。


境内では自分の他にも参拝客ちらほらいらっしゃったが、七五三らしい女の子連れのご家族がいらっしゃってほほえましい。そのほか数は少ないが摂社・末社の関係もひととおりご挨拶しておく。

およそのところ参拝を終えたので、再びタクシー拾って駅前まで戻る。天理市は天理教の本拠地で天理教関連の施設がたくさん。駅までのタクシー車内でも色々と目に飛び込んできたのだが、この独特のくすんだ朱色とでもいう色使いはどことなく日本よりも唐天竺のそれを連想させるなあ。今回はこのあたりは別に目的としていなかった+曇天ということもあってあまりしっかりと見てこなかったが、次は片道どちらか徒歩でこういった独特の建物を眺めながら行くのもいいかもしれない。

駅前で昼食をとって、ふたたび近鉄で今度は生駒の麓、石切神社(石切劔箭神社)まで。

ここは門前町の商店街や占い関連で有名とのことだが、刀剣乱舞でも収蔵の刀が登場しているらしくそっち関連のほうでも最近は注目されているらしい。個人的には前述の布都御魂絡みというか物部氏の遠祖という饒速日命(ニギハヤヒノミコト)がご祭神ということも気になったので寄ってみた。



このニギハヤヒノミコトはいろいろと想像の余地がある人物像で、いろいろ関連する記事を読んでみると神武東征に先駆けてこの地を治めていた先遣隊という立ち位置のように読める。その彼を慕うナガスネヒコがあとから来た神武天皇(イワレビコ)と対立して誅殺された、という逸話が残っている(ニギハヤヒが存命時説だと彼自身が、ニギハヤヒがすでに故人説の場合はイワレビコがナガスネヒコを討った?)。このあたり自分もまだあまり整理できていなくて神武東征と天孫降臨のあたりもごっちゃになってるぽくもあるので、もう少し勉強して整理してみるが、なかなかおもしろそうなエピソードだとは思う。



神社自体は商店街や占いが有名という事もあってか、程々の大きさの町なかの神社という印象。自分のおりた新石切の駅からは生駒へ向かって幹線道路(けいはんな線)沿いに歩いていくと左手に大きめの鳥居が見えるのでわかりやすいが、商店街はその奥─というか上社のほうに近い石切駅よりにある(石切駅からだとけっこう距離あるように思うが昔はこちらがメインの参道だったんだろうか)。商店街は時間の関係であまり見れなかったのだが、いかにも門前町という感じで雰囲気はあった。

ということで当日天気が良くない割にはぐるっと見たいところを4箇所回れたのでなかなか有意義な一日だった。これが夏場ならもう少し余裕を持ってみて回れたかも。そしてなにげに奈良方面回るときは近鉄線バンバンザイですなあ。本数が少ないとは言えど天理から支線が出てたのは大いに助かったよ(なにげに近鉄がけっこうな営業路線規模を誇るというのは今回初めて知った)。

ということでまた実家に帰る折にはこういった史跡巡りをいろいろやってみたいもの。特に京阪神はその気になればこのように一日でいろいろと回れるルートを自分で設定できるのでもってこいかと思う。さて次回はどこへ行きましょうか。


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