マッドマックス・怒りのデスロード/ジョージ・ミラー監督

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公開前から観に行きたいなとは思っていたがなかなか時間とれず、仕事で忙殺されていたらいつのまにか4DX版は終了!?(泣)
これはイカンと思い先週時間無理やり開けて観に行ってきた。

一言で言うなら

「こりゃ、やっぱり4DX版でみたかったなぁ・・・・・(TT)」


前世紀の終末観というか、世紀末的な退廃感を見事ビジュアルにしたことによって不動の存在感を放つことになった本シリーズだが、今回は俳優陣も一新ということでいわゆるリブートに相当する作品かと思う。しかも監督はオリジネーターであるジョージ・ミラー御本人。ある意味純粋かつ最高峰の技術とスキルで「再生」されたマッドマックスといえるだろう。

公開後からけっこう話題になっていて、その感想がとにかく「凄い」的なものしか出てこないので「?」と思っていたんだが、見て納得(笑)。
要は本作、けっこういい意味でストーリー的な「深み」はないのだ。だからあーだこーだという論評的な感想も出てこなかったんだろう。

ではなにがそんなに「凄い」―のか?

もうこれはその「映画」=スクリーンという大画面でみるが故の映像的なスペクタクル、そしてその最後までV8エンジン踏みっぱなしてきな「勢い」(スピード感)だろう。

なのでこれはもう映画というよりある種のアトラクションに近い―そういう意味からも4DXで見れなかったのはつくづく残念であった。

本作ではなんらかの理由で世界が破滅した後生き残った人々の「戦い」を描いているが、上記のような映像スペクタクルとスピード感をもってそれを表現した結果、エンターテイメント的な部分はもちろんだが、予想以上に伝わってくるのが「気力」―「生きる」こととは生存への「意志」その強さに他ならない、そういう言外のメッセージががフィジカルにビシビシと伝わってくる。

さきほどストーリーに深みがないと書いたが、それでも最後までスクリーンに目が釘付けなのは、映像的なスペクタクルももちろんなのだが、そういった登場人物たちの「気力」の戦いが余計な夾雑物なしにとん、とフィルムの中に置かれているからだろう。

”生きる、生き延びる、故郷に帰る、絶対に戻らない、生きた証を残したい、自分のものは絶対に手放さない”etc、etc―本作の登場人物たちの行動理由はとにかくそういったシンプルな生の欲望に基づいた「意志」「気力」、そしてその正面衝突の戦いだ。

そしてその「気力」を支えるのは「体力」。そういうフィジカルさを結果的に徹底して突き付ける作品となっていると思う。

こういうバーバルな描写を徹底した作品がこのデジタル全盛の時代に撮られ、ある程度ヒットしているというのは、やはり人間の”肉体”的、”本能”的な部分からの叫びということなんだろうか。

とにかくありとあらゆる意味でフィジカルな―その「気力」すら物質化しているような(笑)―映画であった。

また本作は当初は発祥の地・オーストラリアでの撮影を予定していたが天候による環境変化のためナミビアでの撮影となったそうだ。
しかしこの作品がオーストラリアという浅い歴史しかないある種の人造国家にとっての”神話”として機能しはじめているように感じるのは自分だけだろうか。

要は北米にとっての『スターウォーズ』も、オーストラリアにとっての『マッドマックス』も、ある種の「建国神話」なのではないか、という。

歴史が浅い=ほとんど歴史的な神話・物語がない若い国家故の”共同体のための物語”としての神話、というかな。このあたりは少し考察してみると面白そうだ。


公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/

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