ここのところの震災報道や情報の流れでちょっと気づいたことがあったので備忘録的に。
確か3月30日の段階でようやく東電のトップ(社長入院のため会長)が長時間会見、その前後数日から福島第一原発3号炉のプルサーマル(プルトニウムを燃料に一部使用)であるためプルトニウムが現地で確認されたりと、一見落ち着いてきたように見えて、状況は実はまだバリバリ「進行中」。あたりまえなんだが。
もちろんその「進行中」にも場所によって温度が違っていて、最前線の被災地・東北、電力の問題や情報の錯綜で混乱している首都圏、そして直接的には影響がないが、やはり不安なその他の地域―それぞれ感じ方はいろいろ。
そんな中、直接の被災地でない場所においては、かなり日常に戻ってきているし、意識的にも「戻らなきゃ」となってきてる。
それをふまえた上で、個人的に気になったのが今回の震災に関する報道・公式発表の部分。
一部マスコミが東京電力からのヒモ付きで中国旅行
上述の東京電力の会見中に一部マスコミが東京電力からのヒモ付きで中国旅行に行っていたという話があったり、ここまでフリージャーナリストのある種の顔だった上杉隆氏が「失言」とされたり、ソフトバンクの孫社長がtwitterフォロワー数考えずに不安煽りすぎだと一部から指摘を受けたりなかなか混乱した状況があった。
マスコミの中国旅行の件は実際に旅行に行ったという当事者の方の記事を読んでみたが、確かに微妙な線。
しかしいくら抗弁してみても取材対象となり得るところから僅かとはいえ、ヒモ付きで旅行してたんじゃジャーナリストというカテゴライズで行くなら脇が甘い、といわざるを得ない。
(これが単なる娯楽メディアとかならいざ知らず”ジャーナリズム”を標榜するならやっぱり「脇が甘い」以外言葉がない)
この件でいちばんマズイのはたとえ僅かとはいえ他人のためでなく自分のためにメリットを受けてしまっていること。
そのあとにどんなに美辞麗句で自分のスタンスを語っても、ふつうは誰もそんなもの信用しない。
本来ジャーナリズムとか報道って言うのはそういうシビアな側面をもっているはず。
(ましてや記事になるまでそのあたり自分で調べてなかったんかい、ちゅう)
確かに自分がもしその立場であれば、自分もその罠から自由になれてたなどというつもりはない。
けどこうなってる以上、同業他社から横から刺されもしてるので、そこは逃げられんわな。
やっぱり脇が甘いとしか言いようがない。
ネット著名人の”暴走”?
で、さらに興味深いのが残りの上杉氏、孫氏の件。
上杉氏の場合はプルトニウムのアルファ線被爆に関して、紙一枚でとまるという事実(これ自体はいちおう正確)に対して「安心デマ」という言い方で煽ったとのことだが、個人的には前後の文脈聞くと非常に納得のいく内容。
(ここで音声聞けるっぽい)
また氏が反対意見も含めてリツイートするといいながら、自分の都合のいいものばかりリツイートしてる!と憤っている人も。
(ただこれ、普段から氏のややとぼけたスタンス知っている人は慣れたことなので、新規フォロワーか鬱憤貯めてたフォロワーがこれを期に爆発した感じ?)
この件でのいちばん氏が指摘受けているのは「一部の危険な部分を強調するために、安全であるはずの情報の部分まで危険扱いして不安を煽るな」ということの模様。
けれど、これある意味全く逆もいえる、
「一部の安全な部分を強調して、危険であるはずの情報の部分まで安全扱いするな」
という。これはだから全くおなじ事実を扱っている両者において、そのスタンスが180度正反対である、ということ。
そして「報道」する人間として、そのどちらのスタンスかをとるか―それがことの本質か。
いわゆるネット界隈の著名人ではその「安心デマ」という文言に対して「正確性に欠ける」ということで否定的な人が多そう。
とくにアルファ線が紙一枚で止まる、という事実を無視した・ミスリードしたと捉えて批判しているっぽい。
文脈をそう捉えれば、確かにジャーナリズム、という教科書的な立場から行くと、この批判のスタンスはあながち間違ってない。
つづいてソフトバンクの孫社長。
孫氏に関していわれてるのは、twitterでの発言が不安を煽るような文言が最近増えたので「ちょっとおかしくなった」という反応。
で、氏のtweetさかのぼってみてみると、そういう変化が見られるのは氏が被災地である福島入りして被災の現場を見てからのよう。
たしかにその後、死者の出ていないスリーマイル島の事件や、チェルノブイリの不正確な数字を引いて
「初動が遅れると被害がますます大きくなるから早くなんとかしろ!」
といってしまってる。また日本医師会が避難勧告出している距離なのに被災者残すな!とのつぶやきも、医師会から「そういう勧告は出していません」と。
特にこの引き合いに出している、スリーマイルやチェルノブイリでの状況を、正確に把握していないのにこういうツイートをするな、それより通信事業者としての本業やれよ、とというのが論調としては多かったような。
たしかにその影響力を考えると(twitterのフォロワー数が日本国内一二を争うほど膨大)、確かでない数値を根拠にしてしまったのはよろしくない。ここがマズイのは事実。
問題は「共有すべき」事実が出てこないこと
ただ、これら両者を見て自分が強く思ったのは「危機意識の違い」なんですよね。
上杉氏の場合はこの震災以前から一貫して、記者クラブに代表される閉鎖的な情報の流れは絶対に良くない。それは世界のジャーナリズムの潮流からはジャーナリズムとして認められるようなものではない、といい続けている。
これは自分もいちおう新聞学科出た人間として強くうなづけるし、事実その通りだと思う。
情報を加工したり慮(おもんばか)るのはジャーナリズムの二次的な仕事であって、まずは受け手である視聴者への「今わかっている」「正確な情報」を「もっているものは全て」出すのが大前提、特にこんな大災害の時には。
それがこんな未曾有の状況―大勢の人命に直接関わるこの期においてさえも―まったく働いていない。
このことに対する危機感の強さが半端じゃない、ということだろう、と。
(これは東電側の「事後発表」「訂正」、そしてこういいたくはないが「隠蔽」をみていると納得できる)
だから上杉氏をして「そんな不安を煽ってないでテメェが福島の現場で取材しろよ!」的な主張は実はナンセンス。
なぜなら問題にしているポイントがまったく違うから。
極論すれば、上杉氏は福島の現場での正確な数値を問題にしているのではなく、政府・東電がわかってる・把握しているであろう事実すら出してこないことを問題視している。
(上杉氏が劣化ウラン弾の被害のリンクまで持ち出したのはやりすぎの感はなくはないが、それも”可能性”の示唆としては誤用とまではいえない)
ようするに皆の議論の前提となるべき「ありのままの情報」が出てきていない―それが大問題だ。
そういう指摘であると自分は認識しています。
事実誤認の指摘の裏にある薄暗い”欲望”
そしてそういう「ありのまま情報が出てこない」状況で、現地を直接を見た孫氏が「被災者を危険にさらし続けているのは許せない」と暴走し始めるというのは、自分は人間としてすごくまっとうな感覚だと思う。
どんな立場にあろうと、人として普通に感じるべきことを感じて、それに対して自分のできることをしようとするのは人間として「正常な感覚」。
そういう氏をして「企業のトップとしてどうか」といってる人たちのメンタリティが、結局今回の東電トップのような「企業目的の前には人命は二の次」という輩を容認してきたことになるというのを皆わかってるんだろうか。
大げさにきこえるかもしれないが「人が先か企業が先か」という点で、これ基本的にはまったくおなじメンタリティですよ。
ましてドヤ顔で「ソフトバンク繋がらねえぞ!騒いでないでおまえは本業の通信事業をさっさとやれ!」と上から目線で言い捨ててる人たちは、会社とか組織とかで働いたことないんだろうか。
(本業のことで嘘ついてるならともかく)トップが本業に関係ないこと―ただし社会全体として大きなタームとなっている問題―で騒いでるぐらいで、会社がシステムとして動いてないかのようにいうのは批判のための批判の最たるものでしょう。(そんなモンで会社動かなくなるなら、そんな企業とっくにつぶれてる)
正直、今回に限らずアンチ孫氏の方々の氏への薄暗い情熱の燃やし方は見ててちょっと異常だと感じる。
氏の失敗・失言を捉えて嬉々としてコメントする姿―自分の薄暗い欲望に勃起してる姿はかなり醜悪だと感じるのは自分だけか。
もちろん事実誤認を指摘するのは全く構わない。
むしろ盛大にやるべきでしょう。
しかし氏は自分で成すことを成してから騒いでいる、実績を持った上で騒いでるわけです。
それに比するものを、この人たちは何か社会に還元できていますか?
(これは規模の大小を言うんじゃないですよ?)
だから批判という名で感情をぶつけるにしても、我が身を振り返って、そのあたりの恥じらいくらいは最低限持っていてほしい。
(けどその恥じらいすら自失してしまうほど心の中の暗い炎が燃えるわけでしょ、それはやはり異常)
この状況で不安を煽ることは本当に”罪”なのか?
その上で、今回の孫氏の一件はたしかに氏のインフルエンスを考えると、軽率のそしりは免れない面も多々あると思います。
ただ、今回の全ての状況において一つ留意しておかなければいけないのが
「本当に必要な情報が全て出ているのか」
という点に関して、ここまでの報道・政府のスタンスではその発表に安心感が全くないということ。
(これは実際に正しい情報が出ている出ていないとは別のこと)
そういう前提がある上で、放射能という場合によっては多くの人たちの命に関わる問題が、いままさに進行中の問題として発生している。
そういう状況に対してどういうスタンスで対応するのか?
―そういう危機管理の問題なわけで。
で、こういう場合に取れるスタンスは二つ。
・考えられる危機を最大限に見積もって、徐々に判明した実態へすり合わせてゆく
・判明している事実にしたがって対処を決め、徐々に判明した事実にあわせ対処を広げていく
両氏が主張しているスタンスは前者、政府・東電のやり方は後者。
でリスクマネージメントから考えれば、どちらが実質の損害少なくできるかは自明ですよね。
しかし今回両氏がけっこう叩かれているというのは、そういったジャッジをする際の前提となる「現時点での状況」の認識が大きく左右したと思う。
要するに皆の意識―特に直接被災していないが故にいちばん不安も大きかった首都圏―その人たちの意識がようやく「一段落しかけて(ようにみえる)タイミングだった」のが大きいように思う。つまり
「せっかく落ち着いてきたのに寝た子を起こすな」
といったところでしょうか。無意識レベルの話かもしれないけれど。
これ、現実がそのとおり落ち着いてきて、問題も終息に向かっているということならその通りなんだがあきらかにそうじゃないですよね。
事実IAEA(国際原子力機関)こういうのも出てきてる。
福島第1原発の北西約40キロにある避難区域外の福島県飯舘村の土壌からIAEAの避難基準を上回る値が検出されたとした放射性物質は、半減期の短いヨウ素131で、測定値は1平方メートル当たり約2000万ベクレルだったと修正した。
IAEA当局者は30日の記者会見で、約200万ベクレルとしていた
また以下はwikipediaの記載を抜粋してみたもの(正確なのはオリジナル確認してください)
こういう状況で、現地のことを考えて、両氏がある程度ヒートアップしていたというのは、ある種まっとうな感覚だと自分は思うのだが。
要は繰り返しになるが「危機意識」の違い―もっといえば「当事者意識」の違いといえるのではないか。
決して単純にありもしない不安を煽っているんじゃない、
「あり得るかもしれない」ことを想定してヒートアップしていると思うのだが。
この件で、比較的孫氏を評価されている相互フォロワーさんがいて、その人も今回に関しては不安を煽りすぎ、との意見だった。運よくTL上で意見交換できたんだけど、その人の場合、不安煽らず本業の通信のほうでがんばってほしい、ということの裏には、被災者の方たちにこのあと待っている風評被害、そしてそれにともなう経済的な激震を心配されていたようだ。不安を煽ることでそれが拡大されてしまわないか、と。
それはもの凄くわかる。
だからこの点むつかしい、すごくむつかしい。
ただそこでも出てくるのが、やはり「現時点がどういう状況か」という前提の違いだ。
そしてそれをなるべく多くの人で正確に共有しないと、皆で一致団結するにも、正しい方向性すらみえてこない。
で、ここで上杉氏の言っていることに戻るわけですよ
「今わかっている・もっているものは全て出すべきである」ということに。
自分的にはこの震災以前から薄々そうは思っていたけど、今回の一件でさらに確信。
やっぱりこの「報道」とか「ジャーナリズム」が機能していないことが、この国の多くの問題の原因。
皆の意識をつなぐはずの神経系が麻痺している。正常に動いていない。
だから逆に言うと、それをなんとかできれば、まだこの国はいろんな希望が残っている。
とまあ長々と書きながら、改めてそう思った次第。
ちょっと今回は長すぎたな。
自分でも反省。