戦争は絶対しちゃいかんし、するなら絶対負けちゃいかんのだ

標準

映画ダダ漏れモードとまらず!
ああ、なんて緊張感のないじぶん、しんでしまえ!! orz

数年前の古代史戦争ものブームの一作かと思いきや意外と見せる一本だった。

トロイ

標題どおりトロイア戦争をベースにした一作。

尺の関係で史実そのものでもなくアレンジされていると思うが、どちらの陣営が善か悪かといった単純な二元論に落とし込まなかったぶん、エンターテイメントでありつついろいろ考えさせられる一本だった。
(ただし西洋文化のベースともなっている有名な題材のせいか欧米では酷評の一本らしいw)

ブラピのアキレウスはちょっとイメージ違うんだが(笑)、それでもあのトレーニングされた身体はすごい。
(妙齢の婦女子の皆様がきゃあきゃあいいそうなキレイなお尻サービスカット満載w)

あとオーランドブルームが甘っちょろいぼんぼん王子をいい具合に演じててナイスw
最期まで徹底してとんちんかんなことをやっているのがイカスー!?(・・・・・)

(この世間知らずな美貌の王子というのは―本人不本意だろうが―はまり役だったと思う、史実(神話?)のとおりこのボンボンが和平交渉しにいっとるのに敵国の王様の美人の嫁と不倫して連れて帰ってきたのがすべての始まりなわけで、重要な役ではあるんだけど・・・)



で軍事大国のギリシャに対して小国だが不敗の城壁をもつことでこれまで独立を保ってきたトロイ。

一進一退の攻防の中で、登場人物たちそれぞれが一人、また一人と身近な人たちを失っていく。
そしてその喪失感は本来穏やかで平和を好む人たちの心に解きがたいわだかまりを積み上げてゆく。

ほんとうは誰も戦争なんてしたくない。

しかし些細なきっかけが政治に利用され、物語化されてゆく。
それは巻き込まれた誰もがなかなか引けなくなってくる巧妙な陥穽だ。

そして本作でも描写されていたが、戦争の一番の被害者は残された女子供だ。
しかしそれも戦う男たちのからすれば、自分たち側の女房子供を守るために―悲惨な目に遭わせたくないからこそ戦いに行っているというこの矛盾・・・・・。

やらなければ、やられる。
そのチキンレース。

そこで勇気をもって手綱を放せればよいのだが、多くの人に責任を持つものたち―施政者にとってはそんな勇気は実はなんの足しにもならない。

可能性が残されている以上、その可能性を取り除かなければならない。

そう、自分だけのはなしであるなら自分の責任において相手を信じて手綱を放せばよい。
しかし多くの人の命を預かれば預かるほど―そんな勇気は勇気でもなんでもないことに気づくのだ、
こちらが手綱を放して相手もそれに応じてくれる保障が必ずあるのか?と。

この場合の勇気はその”担保”や”保証”には残念ながらなり得ないからだ。

誠実に、自国の国民のことを考えれば考えるほど、この手綱はイージーに放せるものではなくなってくる。
残念ながらこの映画のように敵味方の主要人物たちのような相手への好意や尊敬というものを現実には担保にできないのだ。
(ましてや作中冷静な人物として描写されていたアキレウスでさえ、甥の死には相手を辱めずにはいられなかった)

そして象徴的なのはやはり負けた側はすべてを失う、ということ。

それは物語終盤で焦土と化すトロイの街を見ても明らかだ。
さらにいうなら、本作では具体的な描写はなかったが、ほんとうならあの炎の下では略奪・暴行・虐殺といったこの世の地獄が行われていたはずだ。

そういった心底救いようのない旧時代の戦争から人類が脱却への道をようやく歩み始めた近代戦ですらも、極限状態ではその本質的な悲惨さからは抜け出すのに程遠い。
(武器の発達という点からいうなら、ある局面では逆に地獄絵図が酷くなってしまってすらいる)

戦争は悲惨だ、だけどどう悲惨なのかは「戦争そのもの」を良く知らないとわからない。

そしてほんとうに戦争を知れば知るほど、戦争はやっちゃいかんと思う反面、
戦争をしないためにはいざとなれば戦争をする、という覚悟を持っていないといけない―

そのことが真摯に考えた人ならわかるはずだ。

そしてどれだけ回避の道を探っても、その甲斐虚しく一端始まってしまったのなら、そこでは絶対に負けてはいけない、ということもわかるはずだ。

戦後の日本は以前にも増して”悪い面”での「言霊の幸わう国」になってしまっているので、”戦争”に関する言葉を言揚げさえしなければ戦争がなくなるかのような錯覚が蔓延しているがそれは大きな間違いだ。

戦のための矛を持ちつつ、それを絶対に使わない決意―。

その状態を止揚することで初めて平和というものは訪れるのではないか。

究極的な常に安定して存在する平和なんて有り得ない。
いつこの均衡が崩れるか、いつこの支えなく立てた棒が倒れるか。

そういった良い意味での緊張の繰り返し。
そこにしか、その瞬間にしか―

”真の平和”というものは存在し得ないと思う。

そう、実はもの凄い大変なのよ、平和って。
持続的かつ能動的な弛まない努力、それを常に必要としているのよ、ほんとは。

せんそうはんたーい

そう唱えるだけで世の中から戦争がなくなりゃなあ。
そらそんなやすい話なら誰でも何万べんでもとなえるっちゅーの(苦笑)。

そういう意味ではこういった悲惨さと現実直視のシンボルにもなり得るカサンドラ王女が本作では出てこなかったというのは個人的には遺憾である。

(このひと前々からめちゃくちゃ不憫に思ってたのよね、悲惨な運命歩まされた挙句”不吉”とか”破局”の代名詞にまでされるなんてかわいそすぎる。なんか泣けてくるわ)

ただまあこれはエンターテイメント作品としての限界ゆえかもしれない。

と、偶然終戦の日に、(広い意味での)戦争映画をみていろいろと思ったわけで。






■追記・っちゅーかじぶんメモw

・このトロイ攻めに際してギリシャ側がトロイの城壁を突破するために使ったのが「トロイの木馬」
・その発案者がイタケ王・オデュッセウス
・そのオデュッセウスがトロイア戦争後、故郷のイタケまで帰る道のりの話が「オデュッセイア」
・なんでさっさと帰れなかったかというと、トロイア戦争は神々の代理戦争でもあったので
・神々はアカイア勢(ギリシャ側)とイーリオス勢(トロイ側)にそれぞれついていた、と
・んで結果的に敗北したイーリオス(トロイ)側についていた女神たちや海神ポセイドーンから恨みを買っちゃったw
・帰り船旅なのに海の神様のお怒り―そらオデュッセウス、なかなかおうちに帰れません(><)
・その長い旅路のなかで出てくるエピソードのひとつがセイレーン
・帰国直前にオデュッセウスが身一つで流れ着いたスケリア島で彼を助けたのが王女ナウシカア(ナウシカのモデル)
・彼に好意を持つナウシカアだが故郷に妻が待っていることを知り「国へ帰ってもいつか自分のことを思い出して欲しい」との言葉とともに彼を送り出す(泣)
・夫不在の中、数々の求婚者にもなびかず20年にも渡り彼を待っていた妻の名がペーネロペー
(ペネロペ・クルスってたぶんこっからの名前だわな・・・)

ふう、ギリシャ神話って登場人物多くておまけに昼の連ドラみたいにけっこうどろどろぐちゃぐちゃなので筋書きを整理するのが大変w

けどおかげでちょっとオデュッセイアについては整理できましたw

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