ヤマハ渋谷店最終日/下北でSTEPをみる

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渋谷の職場に通っていたころ、お昼休みの巡回コースでした。


昨日2010年12月26日日曜日を以って閉店。

大学生だったころにも行った記憶があるのでたぶんかなりの歴史のあったお店。
これも時の流れか。


(閉店を惜しむひとたちが閉店時刻の18:30頃には店の前でおもいおもいに集まっていた)

考えてみれば、道玄坂のこのヤマハに至るまでの店舗という店舗は、実は数年前からほとんどシャッターが閉まっていた。

一見華やかに見える渋谷の街でも少し視点をずらせば、今の世の中の縮図が見えるということか。


真向かいのケ○タッキーの窓越しに。
(ちょっと雪みたいに見えるがストロボの反射ですw)

席がないので3階の喫煙席へしかたなく座ったんだが、このケ○タッキーでも「3階は20:00以降ご利用できません」とあった。

客の入りと維持費のバランスがあわないんだろうか。
ひょっとするとこの日に限ったことだったのかもしれないが。

しかしひさびさに入ったファーストフードの単価を高く感じる自分がいる、貧乏はイヤじゃのう・・・。

前後するがハンズで椅子の修繕、というか改造できないかと探していた1/4インチ25mmのボルトネジとそれにあわせたプレートを購入。
(きょう合わせてみたが径はあってたが別の理由で使用不可、無念 orz)

その後、下北でオダニッチから声かけてもらっていたのでひさびさにSTEPをみる。


いやーここは毎回大人のクオリティ。安心して楽しめます。
DVカムも持っていってたんだが、狭いハコだったので廻せず。

CASIOのコンデジで一曲撮ってみるがメモリーカードの残量考えてなくてほどよく1曲だけ―それも途中ちょん切れな感じでw

まあおかげでひさしぶりにライブらしい感じで演奏自体を楽しませてもらいました。
終演後、ダニーとちょっと話して

「自分と自分の周りの人たちとなんとか楽しくやっていけるだけの稼ぎがあれば、いまの時代それはそれで幸せなことだよね」と。

ほんとそう思う。

世の中の一線の人たちをけなしたり、バカにしたりするつもりでいうのでもない。
お金の大切さや、いい意味での「欲」の大切さもわかっているつもり。

ただ、身体や心を壊してまで仕事にしがみつくのもやっぱりおかしいよね?

仕事も大切、稼ぐことも大切。
けど「仕事」だけが自己目的化したり、そこでしか人間関係がないとしたら―

それも貧しい話、ものすごく。

結局そういった場所でしか、多くの人が自分の居場所や関係性作れなくなっているんじゃなかろうか。

それってリスク分散の意味でも実はすごく危険なことなんだけどな。

かといって「職場」と「家庭」以外の自分の居場所をぱっと作れる人というのも、もの凄くすくないような気がする。ヘンに内輪指向の日本人、あぶないね。
(だから毎年3万人ほど自殺しとるんだろう―それを平気に思ってるのがもの凄く恐いが)

まあそんなこんなをつらつらと思いながら、このブログを書いていると、庭先で大家さんちから出発する火の用心の拍子木の音が聞こえる。

もう年の瀬・・・はやい、はやい。

確かにこの視点はなかった

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昨今の日本経済の先行きは政治・経済のあまりのダメッぷりにお先真っ暗な感じだが、ダメダメ言っててもそこで我々は生きていかんとならないわけで。

で、なにかヒントはないものかと探してたときに見つけた一冊。
amazonでみつけて買うタイミング計ってたんだけど偶然近所のbookoffで発見し即げっと。

日本文明・世界最強の秘密

表紙とタイトルだけ見るとネトウヨ御用達の日本マンセー本のように間違えかねないがさにあらず。

内容としては日本で奇跡的に発達した「大都市鉄道網のエネルギー効率の良さが日本経済の大きなアドバンテージになる」という鉄道・交通を主題とした都市論の一冊。

かなりの力作でないようぎっしり。
数ヶ月前に買っていたんだけど読みきるのにここまでかかった。

ポイントとしては日本は資源がないといわれ、事実その面があるが、国家としてのエネルギー効率というのはそれだけでは語れない―資源がないのでエネルギー効率をギリギリまで突き詰めている。さらにそれをより効果的にしているのが東京・大阪に発達した便利で正確な鉄道を中心とした交通網―その既存インフラが、エネルギー効率がますます求められるこの先の世の中にあって、日本文明がますます発展していく重要な”資源”となる、という論。

この主張を浮き彫りにするため、著者は欧米の非・効率的な鉄道網の実態や、その車社会の実態を支えているのが効率ではなく固定化された階級社会からくる心理的な側面にある、という指摘を展開。
(確かにこの視点はなかった)

またこれまでのマスコミの論調からは絶対黙殺されるであろう「エネルギー効率の悪い地方に鉄道や道路を整備するのは財政的にムダ」「大都市圏に人を集中させることのほうが実はいろんな問題の解決に役立つ」という指摘。

そしてこれまでの地方活性化などの一見「公平・平等」にみえる社会の論調が実は田中角栄の『日本改造論』から始まり、それが自然な形での都市の発展を歪めてしまったとも述べている。

山手線での「痛勤」(通勤)の苦痛を身をもって体験した自分としては「山の手線内の従業員五千人以上の企業には重加算税を!」ぐらいに思ってるんだけど(笑)、確かに本書にある大都市への集中のメリットというのは真剣に考えてみる必要があるな、と本書を読んで考えが変わった。

特にこれからどんどん過疎化し、縮小していく地方都市に対して、果たしてどこまで資本を注入して「生命維持」させるべきなのか?

こう書くと「地方切捨てだ!」といわれるかもしれないが、傾向として「朽ちて」いく方向にあるものに―得にそれが一時的な刺激(カンフル剤)で下落傾向の変わらないそれに―無理やり資本注入して「生命維持」するほうが自然に反するのではないか?

もちろん故郷や緑の杜に愛着があるのもわかるし、住み慣れた土地を離れ人ごみだらけの都市の生活には耐えられそうもない、もっと余裕のある人間らしい暮らしをしたい―そう思う人も多いだろうと思う。

それがかなえられれば良いと思うのだが、たぶんそれはこの先人口の減っていくのが確実なこの国にあっては「とても贅沢なこと」になっていくと思うのだ。

これまでの「贅沢」とはま逆に見えるかもしれないが「贅沢」は「贅沢」だ―そう、「贅沢」をするには「金」が要る。
いやな話だけど。

問題はそういった「贅沢」になってしまった田舎暮らしを「公平・平等」の美名の下に政治的な資本の投下で維持していくのか・いけるのか。

どうも昨今の日本経済の落ち込みっぷりからするとそれはやりたくてもできなくなっていくだろうし、そこをムリに続けていくとまさに「国敗れて山河あり」になりかねなりだろう。

故郷を失い、未来を得る―両方得るのは残念ながらありえない。

希望を与えてくれた本ではあるが、ちょっとその点は複雑ではあった。
まあそういうセンシティブなところを抜きにして読めば非常に刺激的な本ではある。

ただ著者が非常にテンションを持って書かれた一冊のようなのでところどころ暴走気味なところもある(笑)。
ただしその暴走も根拠のないものではなく、勢いあまって筆が滑ったというような感じか。
(確信犯のような気もするが:苦笑)

その点頭に入れて読むなら、今後の日本の方向性を考える上で非常に重要な示唆をたくさん与えてくれる良書だと思う。

興味のある方は是非。

こんなときだからこそ中国古典に学ぶ

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昨今、お隣中国との関係がかまびすしいですがそんなときこそ彼の国の古典を。
誰かがうまいこと言ってましたが「中国文化が日本の親なら中共は親の仇」と(笑)。

事実中国文化から日本はたくさんのものをもらってますし、彼の国の方々そのものには恨みもへったくれもないわけで。
(むしろちゃんとした教育を受けれていない人たち相手にヒートアップするのは恥ですよ)

ということでお勉強の息抜きにぽちぽちと。

中国皇帝列伝 (創業篇) (徳間文庫)


中国皇帝列伝 (守成篇) (徳間文庫)



しかしいまこのタイミングで読むとけっこう昔読んだころの純真な視点と違って正直複雑な面もw
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サンカ―”道々の者”の虚実

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先日神保町のキントト文庫で「ぐわ~!?」と悶絶してたのはこの手の本がけっこうあったから。
しかしぼちぼちなお値段だったのでそのときは手を出さず。

後日ヤフオクで格安に出てたのでぽちっとな。本日届きました。

マージナル vol.1―漂泊・闇・周辺をめぐる



”とてつもない距離を風のように一晩で走り、獣のように山で生き抜くあらゆることに熟達した幻の山人=サンカ”

隆慶一郎氏の小説でいうところの”道々の者”としてその存在を知り、その原型がどうもこの三角寛の”サンカ”小説に行き着くらしい、というところが分かったのがその数年後。

で、その肝心の”サンカ”小説を読む機会はなかなかなくて、それよりも先に幻の漂泊民・サンカ という”実際の”サンカについての力作を読んじゃって、ますます気にはなるもののいまだお目にかからず。

まるで本当に”道々の者”みたいに幻のようだ(苦笑)。
(というかお高いんですもの、ヤフオクでもw)

で、うすうすその”サンカ”小説というものがこのほぼこの三角寛ひとりに始まり三角寛ひとりに終わる、ということからこの三角寛、という人物が与えた影響―というかこの人物そのものがある意味”サンカ”小説そのものらしい、ということも、およそは見えていた、その傾向―というか性格も。

その三角寛の名が巻頭に出てりゃそりゃ気にもなりますわな。
なのでぽちっとなした次第。
(ワンコインでしたので)


まだ巻頭の三角寛の婿・娘ご両名のインタビュー部しか読んでないんだが、なんとなく見えてくるところはあり。

そう、幻の漂泊民・サンカ のほうが”実”のサンカ像だとすると、世間にはこちらのほうが広く流布しているだろうこの三角氏のサンカ像のほうが実は”虚”。

それが悪いというわけじゃない―むしろだから面白い、というか。

この本は他にも中上健次や五木寛之とかの名前が入った記事がどっさりなので、けっこういい買い物だったかもしれない。

こういう民俗学的なジャンルというのはそういった妄想の入り混じったロマンが実際の研究などの大きな原動力になり得るのは疑いのないところ。それ自体は悪いことじゃない。

ただその出口・・・というか出し方にはデリケートさ、というかまっとうさというのはまちがいなく必要不可欠であろう。

そのうえで。

こうなるとますます三角版のサンカ小説が読んでみたくなる。
たぶん読めばなんてことないと思うんだろうけれども。

まあしかし前述のようにそう簡単に読める機会もなさそう。


なのでその収まりどころのない気持ちを、隆氏の小説でも読んでしばしなぐさめますか・・・。


・個人的にはコレなんかおすすめ。ちょっとジュブナイル的な色もあっていい。

・一冊でまとまってるという意味ではサンカ色は薄いがこれなんかも大好きだなあ。

・あと未完+タイトルから想像するのと違ってめっちゃストイックなコレとかも。



普通が当たり前にある凄さ

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はやぶさのカプセルが見れるということでいってきました。
飛べ!100年の夢 空と宇宙展』@国立科学博物館

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