雨の中に本門寺を彷徨う

標準

お彼岸・・・ということで行ってみた。

うちの実家が宗派ここというのは、父方のばーさんが死んだとき初めて知った。
それまで仏壇すらない家だったので。

そして昨年父も鬼籍に入り、自分が喪主しーの。

なんか昨日のことのようでもあり、あまり実感なかったりアンビバレンツな。
それでも仏さんとしては新人(笑)になる父がお世話になってるということであれば、ご挨拶はしておかずばなるまい、ということで総本山にあたる本門寺を訪ねた。



平日・曇天から雨―。




ほとんど誰もいない境内。



けどそれに反して、なにか生々しいものをひりひりと感じたのは、今でも数ヶ月に及ぶ荒行を行うという教義のためか、はたまた御開祖のアクの強いキャラクターのせいか。

”活きている”宗派なんだな、と感じたのは、一つはこのきらびやかな伽藍が、小高い丘の上に卒塔婆に抱き囲まれて存在している、ということ。

それだけに、なにか生々しさを感じたのかもしれない。




小雨の中、本堂にお参りした後、そういった卒塔婆の中を行きつ戻りつして境内を見て回ると、なにかそのまま、小雨の中へ連れ去られるような気分だった。

そんなこんなを思いながら、細い茂みの中の道を歩くのは、なかなか趣深いものがあった。










※ここって、例の国宝?かなにかの仏様が盗まれたお寺だったのな。
 一部のお堂に張り紙があってそれを知る。

 ただ、この境内を見てある種納得。

 ”活きている”と書いたが、ある意味それが影響しているのではないか。
 言葉は悪いかもしれないが、ある種現世利益さえ望める、そんなパワーを感じる。
 そんな雰囲気を感じるのだ。

 ある意味日本らしくない―。
 良くも悪くも日本の寺社仏閣はもっと”枯れてる”。

 どちらかというと、日本以外の国の宗教施設のそれに、雰囲気は似ている。
 だからじゃないか―そんなことを思った。

 そう、盗んだ連中は、そういう感覚の持ち主であるんだろう。

 ただ面白かったのは、こういう生々しさを感じた場所は、これまでにもう一箇所あって。

 それって、九段に鎮座まします例の神社なんですよね(笑)。

 ある意味あそこも”活きてる”ってことかな。

 

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