前エントリより続きです。
通夜前後のあたりについて。
結局病院から帰ってきて父は丸1日自宅で過ごし、通夜の日の午後に会場まで移動させることに。
前日に続き、弔問に来てくださる方が次々と。
そうこうしているうちに葬儀社からの車が来て、家を出る時刻に。
自分と10歳になる甥の一人が同乗して、会場まで付いてゆく。
このとき父の仕事場の方が皆さん整列して送って下さり、なかなかかっこよかった。
たぶん父もニヤリとしていたのではないか(笑)。
車で10分とかからない会場に着き、親族の控え室へ父もまず一緒に入る。
ここで湯潅等を行ってもらい、通夜の読経の後もここへ戻って一晩過ごす形になる。
いや、この控え室が「どこのホテルじゃ!?」というような気のきいたつくり。
(前日一組予定が入っていたら無理というのもわかった―完全に一葬儀だけで施設全部まわすようになってるのだ)
洋室、和室とそれぞれ広く取ってあり、親族の多い家族でも十分に対応できる。
もちろん風呂トイレ台所完備である。考えてある。
そこで家から母や姉の家族の到着を待って、湯灌をしてもらう。
自分にとって意識してこれを見たのははじめてだったのだが、一応お式の流れの中に入っているものらしい。
親族が故人を洗い清め、死出の旅路へ装束を替える。
(三途の川の渡し賃の六文銭もここで懐に入れる、脚絆や手甲もここで付ける)
およそのところは係りの方がやってくださるのだが、ここのご担当の女性の方が非常に心栄えの良い方で、甥っ子が父にお湯を掛けてあげるのを見てか、涙ぐみながら身体を清めてくださったのは嬉しかった。
(ちなみに某下北系シューゲーザーバンドのベースのかたにちょっと似ていて、もっと恰幅よくした感じの人だったというのは、ここだけの秘密だw)
それを終えてなんやかやしていると、通夜の時刻が近づく。
喪服に着替えて、司会の方と父の経歴などを簡単に打ち合わせる。
(そう、なんと専門の司会の方が着くのですよ!?)
父のほうも祭壇のほうへ移動してもらう。
そうこうしていると時刻も近づき、弔問のお客様が徐々に来ていただける。
自分にとっても久しぶりに会う母方の叔父さんや叔母さんなど、お話したい方も多々いるのだが、散発的に司会の方や葬儀社の方との打ち合わせが入る。
なので、お客様のほう―特に父の仕事のほうの関係の方は、母や姉、現在の仕事場をお願いしている方にご挨拶をお願いする形に。
お寺様も来られたので家族でご挨拶する。ほんとばたばた。
そして通夜。
基本、家族葬―ということでの進行だったが、父は引退していたとはいえ、生前とても顔の広い人だったのでけっこうな方が参列してくださる。
仕事関係のかた、大学時代からのご友人、父にお世話になったといってくださる方、一部にしか回覧もまわしていなかったのにご町内の方も来てくださった。遠くから最後のほうでかかっていた整体の先生なども着てくださる。お花も一杯おくって頂いた。ありがたしありがたし。
司会進行に合わせて、お寺様にお経をあげていただき、自分たちの焼香のあとは、家族が祭壇の前で弔問の客様への挨拶。
(ちなみにご焼香の回数などもちゃんと司会の人がアナウンスしてた―ご当世の事情考えりゃ、そりゃそうだわな)
このときも自分は目の前の事こなすのに精一杯で、とくに悲しいとか云々のレベルではなかったのだが、やはり盛大に泣いてくださる方を見ると、なんかそれにもらい泣きっぽくじわっと、みたいな(苦笑)。
自分の知人友人はほぼ知らせていなかったが、同じ町内の友人には失礼になってはいけないと思い、彼だけには知らせていたら、わざわざ来てくれた。
また中学・高校時代の友人―姉同士も友人で、このお姉さんが父の仕事を手伝ってくださっていることもあって(今回も裏方でほんと文字通り大車輪で動いてくださった)―遠いところから来てくれた。
彼はどばーっと泣いてくれて、彼のお姉さんもその後どばーっと泣いてくれたので
「姉と弟で挙動一緒やがなw」
と、あとでこちらも姉と弟で笑いつつ、ありがたく思っていたのは秘密(笑)。
そして読経も終わり式終了。
しかしここで短く喪主挨拶。ここは短文でいいので、姉がアンチョコを作ってくれていたが緊張していてポケットから出すのを忘れアドリブで。
あーえー連呼の締まらない挨拶であった・・・orz
その後、会場に残ってくださっているお客様方にご挨拶し、帰られる方にはタクシー呼んだり、しばらく残られる方にはお振る舞いを召し上がって頂いたり。
ここで自分もお客様にご挨拶したり、久々に見る親類と話をしながらようやく夕食。
そして23時前後でお客様が帰られたところで、いったん皆控え室に戻る。
人に酔った自分は、人のいなくなった会場に座り、祭壇を見てひとりぼーっと。
(悲しい云々ではなくて、ここ数日常に回りに人がいる状態だったので、文字通り一人でボーっとしたかったという)
控え室に戻ると、ここまでずっと父の仕事場のスタッフの皆さんが詰めていてくださった。
基本的に人が多いところが好きな(寂しがり屋なところもあった)父なので、これは嬉しかっただろう。
このとき持って行っていたパソコンで、前のエントリに書いたアラスカから届いたDVDを流して父に見せる。
(納棺できればよかったのだが、最近は火葬場の規制が厳しくてNGだったのだ)
それはアラスカの四季が映っていて、旅行が好きだった父にはいい手向けだったと思う。
生きてりゃ「いやや、いまの季節はアラスカ寒い」とか言いそうだが(苦笑)。
結局、皆さんほとんど朝方まで付いていてくださり、おかげさまで自分と母は明日に備えてちょっと休ませてもらうことができた。(一時期父と一緒に働いていたことのある姉や、同業の義兄は皆さんと話しこんでいたようだ)
まあ、しかしほんとにこの仕事場の皆さんに愛されとったんだな、とうちゃん。
けっこう寝れたと思いきや、やはり目は早めに覚める―緊張はし続けてる、ということなんだろう。
朝6時前ごろに起きる。
明けて、告別式の日。
(まあ、ここまで書いたら最後まで書くわな・・・ということで続く)