父の帰宅(通夜前日)

標準

先月亡くなった父の通夜・葬儀についてをおぼえ書き的に。
さすがにすこし時間がたったのでうろおぼえ。
(前エントリからの続きです)





父が病院でなくなり、医師に最後の確認を取ってもらった。

いやな話だが、その直後にしなければならなかったのは葬儀社への電話。
ベッドはなるべく早くあけなければならない。

父が装束を直してもらっている間に、自分は姉へと電話を入れ、母が葬儀社へと電話を入れる。
家の近くに葬儀社の施設があって、生前父が

「もしもの時はここでやってくれればいい」

といっていたところにお願いする。
先方とはすぐ連絡がついたが、都合で朝4時ごろでないと伺えない、とのこと。
了承し、一旦電話を切る。

父は装束を直してもらい、非常に良い顔。
冗談ではなく、本当に寝ているような顔だった。

しかし我々―母と自分は準備があるので一度家に帰ることに。
父が帰ってきても大丈夫なように部屋を片づけたり、喪服などを用意する必要があった。
(このとき病室の周りの私物もすべて持って帰る―当然と言えばそれまでだが、せわしないのは事実)

葬儀社より連絡があり、1時間ほど早く着けるようになった、とのことで午前3時に再度病院へ。
10分も待たずに葬儀社の方が2名で来られる。
確かこの時に、死亡診断書も病院から受け取り「なるべく早く役所に提出して下さい」と言われる。

病院のエレベータを使い、葬儀社の車に父を移し、お世話になった看護士さんにお礼を言って自宅へ。

でここで大変だったのが、うちは自営という事もあって、自宅が二階にある。
なので担架に乗せているとはいえ、父を運び込むのがかなり大変だった。

それでも客間に父を運びこむと、葬儀社の方がてきぱきと祭壇を作ってくださる。
ここではじめてお線香。実感がない。

しかしものごとはどんどん進む。
まず通夜の日程の相談。

日にち的には友引などにもかからず、その日の夕方で出来なくもなかったが、父の言っていた自宅近くの葬儀社の設備が、その日はもうすでに予約が入って埋まっているとのこと。

そういったこともあって、一日自宅で過ごしてもらい、翌日通夜、翌々日葬儀、ということときまった。

葬儀社の方がいったん引き揚げてから、母にはいったん仮眠してもらい、こちらは線香番。
前後で姉からの折り返しの電話があったりで気がつくとあっという間に朝。

母が数時間もせずに起きてきて、二人で父の前でぼーっとする。

父の生前の意思で家族葬に近い形でやってくれ、香典もなし!と言っていたので、その方向で進めることを確認。
上にも書いたがうちは自営で、父は引退して稼業は父が見込んだ方に継いで頂いていたのだが、そちらのほうと親類のしかるべき所へ少しづつ連絡をいれる。

その連絡に沿って、徐々に弔問に来てくれる人たちが。
特に稼業のほうのスタッフの皆さんは、ほんとうに父の事を心から慕って下さる方ばかりだったので、次々と来て下さって皆さんぼろぼろ泣いて下さる。ありがたし。

ただしこっちは泣いている暇もなし。
弔問のお客様の応対は母に任せ、来て下さった葬儀社の方と葬儀の詳細について打ち合わせ。

すげえなあ、最近は葬式もパックコースかいな!?(汗)

とはいえ、決まったものがあった方が助かったのは事実。

これも父の意向で「全部驕らずフツーでやれ」と言われてたので、それに従う。
ただ母と相談し、さびしくないようにお花だけは奮発しようか、と。
下世話な話をすると、葬儀代は保険を父が掛けていたのでそれでまかなえるだろう、と。
(事実それでぴたーっときれいさっぱり収まった―そうでなく、自分が出さなければいけないケースだったら、お恥しながらいまの自分では、たちまちあっぷあっぷだった:恥)

他このタイミングで、決めなければならないかなり色々なことがあるのを伝えられるが、正直おぼえられん(苦笑)。

とりあえずやらなければいけない事をメモにとり、打ち合わせは終了。

で、この時に葬儀社の方で葬儀に必要な手続きを代行してくれるとのことで、病院の死亡診断書と認め印を預ける。
また火葬に必要な書類申請+代金などもたしかこの前後のタイミングで支払ったように記憶している。

そうこうしているうちにも弔問客はつづく。姉一家もようやく到着。
この間も散発的に電話が鳴り、弔電の電報なども届くので、ずっとばたつきっぱなし。
専門のところ(葬儀社)に頼んだおかげで比較的スムーズに進んだとは思うが、それでも終始混乱の中で進んでいくような感じだった。

このとき、駆けつけてくれていた(父より高齢の)近所で親しくお付き合いのあるおばさんが、「こういうときはそうしとくもんや」とおにぎりを大量に握ってくれていたので、皆がそれをぱくつきながらなんとか進める。

田舎のおばちゃんの知恵、恐るべし(笑)。

夕方頃に再度葬儀社の方が来て、遺体保護のためのドライアイスを代えてくれる。
そのあと
・遺影に使う写真を渡し、
・お寺さんへの依頼の確認・連絡をし(人数、お布施の詳細)、
・通夜の予想される参列者数の確認し、
・受付を頼む方へのお願いをし、
・葬儀の焼香順を記す名簿などの説明をうけ、
(なぜかくどいほど町内会の会長さんの席次を気をつけるようにと言われる)
・献花の注文書を受け取り(お花を供えて下さる方が出た場合用)、
・通夜の時の振舞い(食事)の手配の数を確認し、
・葬儀(告別式)の焼香順や留め焼香者の確認をし、
・同じく告別式後の精進開けの数を確認し、

などなどなどなど。

とりあえず日も暮れて、さすがにお客様もへった・・・かと思いきや、商売をなさってる方や、その時間にしかこれない方がやはり来られる。

たぶん夜の9時ごろまで散発的に弔問のお客様には来ていただいた。

その後家族でなんだかんだ相談事をしたり、自分は喪主を務めることになるので喪主挨拶を考えたり。

また、アラスカにいらっしゃる父の幼馴染が直近でどうしているのかと何度かメールをくれていたとのことで、母が返信をしといてくれ、というので代筆で返信をする。

そんなこんなで、あっというまに時間は過ぎていくが、さすがに昨日の夜からほとんど寝てないので、線香番の分担を決めて、先に寝させてもらう。
(起きてろ、と言われたら起きてられたとは思うが)

明け方に再度自分が交代するまでは、義兄と姉が順番で線香番をしてくれたようだ。
父も義兄の事が大好きだったので、きっと喜んでただろうとおもう。

で明け方、姉と線香番を交代し、線香見つつ喪主挨拶をノートパソコンで考える。

そのうち朝。

メールをチェックすると、昨日アラスカへ送信したメールより返信が来ている。
非常に残念で寂しいです、と心のこもったお返事と、ちょうどこのやり取りの前に、アラスカの景色を撮ったDVDを送ったので着くころだろうと思う、とのこと。

そしてこの送っていただいたDVDはその日、父が通夜会場へ移動する前に、ちゃんとはかったかのように届いたのだった・・・なんという奇遇。


とーちゃん、仕込みすぎやw

(たぶん・・・つづく)