残すは最終日・・・とか書いてたがまだあった、宇治が残ってたよ(苦笑)。
実家が関西圏にある、ということは歴史ある史跡、神社・仏閣回り放題とおもいきや、帰省をかねて帰ると、実家おとん・おかんによる突発オーダーがいつ入るやも知れず、意外とプランニングが難しい(笑)。
なので幾つか想定プランを立てておき、隙あらば!という感じで回るのがポイントか。
宇治市はそんな感じで、急に回ったんですが、それが功を奏してゆっくり回れた、想定外だったので(爆笑)。
きれいな町でした。
例によって以下、自己責任でお願いします。
■ 4日目・宇治市
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京都から奈良線快速で宇治まで。
地図で見るより、体感距離としてはすこしある感じ。
以前行った、伏見稲荷がある稲荷駅が近すぎるだけか(笑)。
駅を降りると、やはりお茶絡みの看板が多い。
目的は平等院だったんだけど、宇治上神社も回れそうだったので、川を渡ってぐるっと回るコースを選択。
宇治橋からみる宇治川のの景色は絶景で、源氏物語の宇治十帖の舞台になったというのもなんとなくわかる。
強烈な緑と、青い空に巨大な入道雲。そこに見える赤い橋の欄干―。
そのコントラストが素晴らしい。
川の周りはおかげで涼しくて、ほっとけばいつまでもぼーっと景色を眺めていたいような感じだった。
川を渡り、川沿いに歩いていくと、住宅地の中に小さなお寺や祠。
橋寺の放生院というところが入れそうなので入ってみる。
小さな境内で、コンパクトなお庭。
地蔵菩薩があり、子供のおもちゃが山のように供えられていた。
すごく正しいお供えのような気がした。
さらに進むが、暑いので水分補給。
ちょっと川のほうへ降りてみると、川の中にじっと動かない鳥の像が。
あー観光地だからそういうモンも作ってんのか・・・とおもいきや、動くよ!?本物だったよ!?
鷺に詐欺られるとはこれ如何に(違)。
さらに進んで宇治上神社。
知らなかったんだが、世界文化遺産登録されているらしい。
ああ、確かに見て納得。
古い茅葺の神社で、現存最古とされる平安時代後期の本殿とのこと。
こういう素朴さの中に、神々しさがあるのが神道独特のメンタリティだよなあ。
神社を出て坂を下り、先ほど宇治橋側から見た赤い欄干をわたり、平等院へ。
平等院は、このルートで回ると意外と入り口が見つけづらいので注意。
ちょっと行き過ぎてから気付いて、あわてて戻る。
入館料を払い、門をくぐるといちばん最初に見えてくるのがなんか近代的な建物。
「管理のしすぎちゃうんかー?」
とか思ってたら、なんのなんの。
実際の平等院はとんでもない古さだった。
もう、見て一発で「ふっるー!?」と声が出るぐらい(いい意味で)
よくこれが地震や風雨で壊れなかったこと。
内部拝観が有料と聞いていたので、入らずともいいか、と思ってたけどこれはそっこーで300円払って見学ですよ!?
(時間制・ガイドさんの解説付き/15分毎)
残念ながら、内部は撮影禁止。
しかし阿弥陀様は迫力あるし、周りを雲に乗ってかっ飛んでる、雲中供養菩薩象はそれぞれ楽器を持っているというのが、音楽好きの心をくすぐる。
拝観を終え、先ほどの近代的な建物(鳳翔館)の中へ。
一部重要なものを収蔵している美術館形式の施設だったようだ。
ここはここで、貴重な造型を間近に見られるのがよい。
意外、というかさもありなん、という発見だったのは、展示されている意匠の多くにどことなく見覚えがあること。
そうだ!『火の鳥』の鳳凰編だよ!!
ここを参考に描かれたんだな、”鳳凰堂”なだけに納得だ、なんかすごーくすっとした(笑)。
そして、その感動を経て、空腹を満たすべく外へ出るが、ここで店の選択を誤り、ババを引いたのは秘密(泣)。
門出てすぐの○左衛門という蕎麦屋は要注意な?
おそーい昼食を不機嫌に終える。
しかし他のお店はそんなにひどくなかった。
若い人が立っているおみせはどこもサービス精神ありそう。
ここでみやげを少し買ったんだが、わんこのいるお茶屋さんとかも丁寧だったな。
(”親しく”はないのが京都的ではあって、それはおもしろかったが)
で、抹茶ソフトを喰いたかったのだが、意外と店頭で乱暴に食えそうなところがなかったので、すごすごと駅前までもどる。
すると、駅そばのおみやげコーナーのようなところで喰えるじゃありませんか!
おまけに「よかったら、そこに腰掛けて召し上がってくださいねー」と。
要は”人”ということだよな。
そういう気遣いが出来るひとはできるし、出来ないひとは徹底してできない。
老いも若きも関係ないような気がする。
ということで、気分よく宇治を離れる。
なにげにもう夕方。
時間があれば、と思っていた伏見稲荷再訪は断念。
いや、あの日の暑さでさすがに再度登山できんしw
帰りは夕暮れに見事な入道雲。
こういうのをみると、必ずしも日本そのものは”狭い”土地ではない、ということを実感する。
ただ豊かで、コンパクトに集積されているだけだ、と。
つぎがほんとの最終日、帰路ですな。
いましばしお付き合いを―。