「ゆたかなしぜん」

標準



昼夜さかさま傾向が続いていて、なにかと効率が良くない。

父の日のプレゼントを贈っていなかった、ということもあり駅前まで出て、ついでに昼食。

普段ならこのあたりでこときれていたわけだが、上のような理由で「えいや!」と電車にとびのる。

どっちいくともきめず、とりあえず山のほうへ。
乗ってから路線図を見て、めぼしをつける。

某戟剣団ゆかりの古刹のある駅で降車。
駅前の不動産屋の値札を見る。安い。

古刹の境内へ行くと、紫陽花も名物だったらしい。

八十八ヵ所を模して回れるそうだが、足場の泥濘が予想以上だったので20箇所程度で断念。

この足元の泥の感覚、下草。鬱蒼と茂る森の湿度・薄暗さ。
人の手が入っている場所でこれ。

いかに普段の生活というものが「自然」と遠いか―。

繰り返しになるが、人間の好きな自然てほんとうの意味での「自然」ではない。

山を降りて、コンクリを踏んだときの安心感。
自分のやわさを痛感する。

おみくじを引くと実に数年ぶりにすがすがしいまでに直球の「凶」。(苦笑)

なんだよ、こんにゃろwと思い古刹の駅を後にする。
無料で参加できるという護摩壇シカトしたからか(泣)。

そこで素直に帰ればいいものを、なぜか乗継ができる、ということもあり北上。モノレール。

モノレールの上からみる武蔵野は広闊で「日本は島国で狭い」というのがある種の嘘だと改めて思う。

終戦のころ、戦車兵として満州で死に損なった司馬遼太郎が、新潟から群馬を経て引き揚げてきたとき、関東平野を見て、日本にもこんな広い平野があったのか、と思ったそうな。あるところにはあるのよ。

そんな連想から、以前からの疑問に到達する。
なぜ日本の住空間は、このスケール感に落ち着いたのか?

ものを考えず「豊かな自然」というとき連想される、諸外国の広大な土地。
確かに広い住空間。

そのときいつも思うのだ。
「これはほんとうに”独力”で”手に負える”規模」なのか?と。

貧しく・狭い(確かに有る視点にたてばこれはそのとおりだ)日本の自然・住空間。
それはほんとうに「貧しく」「狭い」のか?

素直に疑問。

広大、と呼ばれるその景色には実は、日本の、この、ときにはうっとおしくもある「湿度」が育てる、多種多様な生態系はない。

木立(こだち)が森を創り、森がつくる「影」に湿度があり、湿度が下草を育て、下草が多種多様な生き物たちの住処となる―。

そのどちらが正しい、などというつもりもないが、少なくとも広大さが豊かさとイコールではないのは確かだ。

むしろ往々にして広大さは貧しさにも通ずる。

今回の震災のことで思ったのは、自然には「豊かさ」「貧しさ」のほかに「激しさ」「穏やかさ」というパラメーターがあるのでは、ということ

「貧しい」←→「豊か」
   ↑\   /↑
   | \ / |
   | / \ |
   ↓/   \↓
「穏やか」←→「激しい」

この掛けあわせで、その土地の自然の「豊かさ」というのは決まるのではないか。

そして日本は実は「激しく」「豊か」で西欧は「穏やか」で「貧しい」。
これは最近の自分の仮説。

「貧しくて」(多様性がなくて)「穏やか」だったから、自然を征服し得たし、逆に言うとそれだからこそ「広大な空間」ぐらいしか、得るものがなかった。

逆に「豊か」だが「激しい」我が国では、その豊かさを享受しつつも、自然とは、突詰めると「人の手に負えるものではない」という悟りがあったのではないか。(注1)

台風や洪水という「豊か」な(けど「激しい」)自然の前には、広大な空間を膨大な労力を払って、広大な空間を「支配」することなぞ叶わない。

だから我々は自然を「征服」しようとするのではなく、「共生」しようとしてきた。そうではないか?

幕末から維新の前後を、東北を旅したバード女史の残した記録を例に挙げるまでもなく、当時我が国を訪れた人々の多くが、こういっている「森の中に都市があるようだ」と。

広大な、けれど人が住んでいない、住めない、その自然のどこが「豊か」なんだろう?
だまされとるよなあ、我々は。

そんなこんなをつらつらと。
考えてると乗換駅。

折り返して、都心方向へ向かう。
ここでも意外と、土地が平野であることがわかる。

車窓から、駅を眺めていると、独特の雰囲気のある駅があるのがわかる。
そのときは、たいがい古刹や霊園があったりする。あった、調べてみると墓地のようだ。

以前訪れた、千本鳥居の出張所のある、という駅で降りる。
某大学のサテライトキャンパスある模様。
若いお嬢さん方が目の保養、うう、若いっていいな(泣)。

駅から微妙に距離がある、小雨。
途中に畑があり、つぐみがわらわらと。

さきの紫陽花の山といい、この土手の上の畑といい、足元の、不安定な泥の感覚。湿度。
こういうのを感じてはじめて、昔の「足湯」や「湯」の文化というのが体感としてわかる。

泥ははねるし、湿度は蒸す。
だから足を洗う「足湯」がいるし、「茶屋」(昔の喫茶店、レストラン的なもの)は「湯」をあびれる設備があったわけか、と。納得。

お目当てのその支社に到着。なんか浮いている。
いろんな意味で。

「凶」がけったくそ悪かったのでここで再度おみくじを引きたかったのだが、境内には自分以外誰もおらず。

例の厄払いの「門(ゲート)」があったのでハムスターのようにくるくる。

ここまでの時点で、けっこうアタマおかしくなってた様で、最寄駅まで戻らず徒歩で南下することを決意。

蒸す。風呂はいりたい(泣笑)。
あ、よく考えたらきのうドライベントやってたんだよな。
放射性雨だブレードランナーだ。やっぱり凶じゃねえか(泣)。
お客さん二杯で十分ですよ、わかってくださいよ!?(謎)

途中でドナルドさんのところで休憩。
もう世界なんて滅びてもいいとおもったので「覇王の卵」くださいというも「当店では取り扱っておりません」といわれる。(違)

あ、けど自分の場合、捧げるモンないから、どっちにせよ無理だわw

ジンジャーエールとポテトくってたら、ようやく人間の領域まで意識が戻ってくる。
めずらしくソフトバンクのwi-fiスポット。
しかしパスワード入れてもはねられる。なんじゃそら。

くやしいが、人間に戻ってしまったので歩かねばならない。
そうだよ、人間は二本の脚で歩くんだよ!

歩いていれば、いつかたどり着くでしょ、どこかに。

しかし、意外だったのは、今日見たどの場所の花よりも、このバス通りというには狭いこの一本道の、路傍の花がなによりも美しかった、という事実。

わからんもんだなあ。

そんなことを考えつつ、歩く、歩く。

バスどおりと書いたようにバスが何本も来る。のりゃいいじゃん。
さっき食べたポテトとジンジャーエールより安いのよ?

いや、食い物と足代はまた価値が別!とかなんとかわけのわからん思考のうち、目的の駅にたどり着く。
ここでも街中に神社。けれど駅の名前になっている寺はみあたらず

お手水で清め、お参りしておく。
最近ようやくお手水の手順もおぼえたなあ。
けど電子センサーつきの手水っちゅーのもどうよ?(泣)

あとで図ったら4キロぐらいは歩いてたみたい。
そのわりには30分ほどだったな。あ、休憩前の距離いれてないからか。

そういや、はじめて東京にきたときに手続きした不動産屋はこの街の不動産屋だったなあ、などと忘れていたことを、ふと思い出す。

この街がナゼ人気があるのかもなんとなくわかる。
なんちゅーか東京の街らしくないのだ。

急いでない、カリカリしてない。
(それでも、地方都市のそれとは比べ物にならないだろうが)

そんなこんなを考えながら天井の高い、アーケードの商店街を抜ける。

そんなこんなで、各停の電車に。
座れて一安心。

隣に座った、小学生の男の子が、けっこうぎっちり文字の詰まった本を一心不乱に読んでいる。
なんとなくうれしい、というか非常にいい気分。

がんばれ青少年。
日本の未来は君の双肩にかかっておるぞよ?

最寄り駅のひとつまえの駅で降り、パンを買ってかえる。
下り坂の向こうにみえる夕方の空は小雨がやみ、空が見えはじめてた。

電線で区切られてはいるが、空そのものは広い。
往々にして、自分たちはそのことを忘れてしまっているが。

注1:この諦観については、震災後の日本人の静かさの原因のように言われたが、モノの本によると、被災直後はどんな人種でも有る程度は秩序だっている、という傾向はあるそうだ)

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