先月末、所用で実家の大阪のほうへもどっていたんだけども、最終日になってようやく体が空いたので
このままなーんもせずに戻るのもどうよ?ということで18きっぷで西進してみた。
せっかくなので以下にまとめておく。
実は当日になるまで、どっち方面へ行こうかというのは決めていなかったので、その日の天気まかせだなと思っていたら見事な快晴!
ならば行けるところまで行くしかないでしょう、ということでこれまで位置関係的になかなか行けてなかった西へ進むことに決定。
ただ遅めに出発(大阪を8時前)だったので、まっすぐいくなら広島辺りまでかな?というめどはたてて出発。
まずは新快速姫路行きにのる。
姫路城に行ってもよかったんだが以前行ったことあったし、まだ改装が終わっていないので天守おおわれたままだったので、予定通りまっすぐに西進。
(ちなみに姫路までの明石でも石垣と櫓らしいもの駅から見えたのでお城あるみたいね、今度行ってみようと記憶しておく)
出るとき朝食をとって無かったので、少し時間の余裕があった姫路での乗りかえ時間に構内のおにぎり専門店でおにぎり二つ買って、つぎの山陽本線の車内でもぐもぐ。
しかし西へ帰ってきて思うのは、おばはんどもの乗車マナーの悪さ。
これは常時ではなく、本数やらボックスシートであるということも関係しているんだとはおもうんだが、整列乗車で皆が並んでいても平気でしれっと割り込んでくる。
ここ最近はそれでも見なくなったよな、と思っていたがやはり都市部を離れるとこんなもんか。
ただそんなおばはんどものマナーの悪さを忘れるほど当日はすごく良い天気で。
山陽線って位置関係から勝手に海沿いを走るもんだと思ってばかりいたんだが、そんなに海際を走るわけでもないらしく、ずっと山際の平野部をゴトゴトと。
うららかな春の陽気でさくらもちらほら咲いていて、非常にのどかな「日本の田舎」な景色の中をどんぶらこと行くわけですよ。
そんな醜いものを見せられた後でもこの景色で一転和やかな気分に。気分って天気次第とはよくいったもんだなあ(苦笑)。
で、しばらくゆられ、乗り換えの岡山に到着。
ここからどうも出雲方面にも行けそうな感じではあるんだけれども、行っちゃうと確実に泊まりになるので、そこまでまだ午前中の段階で決めたくないな、ということで予定通り広島方面へ。
面白かったのは姫路からこのあたりまで、なんかけっこう街中で見かけるようなフツーのお嬢さん方が(それもそれぞれ一人旅らしいのが)ずーっとおなじ列車に乗ってたこと。
一人はカジュアルな雰囲気の子だったのでそうであってもおかしくないが、もうお一人は白いコートにスーツケースというどう考えても18きっぱーじゃないよな?という格好の方だった。
このルートは途中新幹線にも乗れるし、特急に相当する列車もありそうに思ったんだが、そのあたりどうだったんでしょうね。
岡山からもおなじく山ぎわのローカル線という景色を行くのだが、この景色を見ていて、これまでいろいろと鈍行にあっちこっちで乗ってみたからこそ気づく共通点にいくつか気づいた。
一つは、日本の―少なくとも関東あたりからこの中国地方ぐらいまでの―生活形態とか生活水準というのは、意外なほど差がないんだな、ということ。
もちろん細かなローカル色というのはあると思うんだが、東西にけっこうな距離移動しても基本的に見える景色のフォーマットが(人の手によるものだけでなく自然環境も含め)これだけ差異がないというのも、考えたらすごいことだな、と。こういう差異の少なさが日本の文化に意外と大きな影響を与えているのかもしれない。
(もちろんこれはいわゆる山とか農村の文化ということになるが―海ぎわになるとまたすこし別の形だろう)
もう一つはこういった山ぎわの路線ばかりを見てきたからかもしれないが、これらの生活圏というのが、実は人為的にではなくて山と川(河原)の位置関係によって自ずと決められていくのではないか?ということ。
つまりこれだけ山々があることで、結果、必然的にその間に雨が降り川が流れ森が育ち、人間の生活に必要な薪水といったものが自ずと供給される。だからその山と川の間に村落が出来、川の水の脅威を見極め・はかりながら生活圏が自然と決定されていったんじゃないか。
だからこそ、先ほど書いたように日本の東西において村落をぱっとみた時の概観というものには、大きな差異が見られないんだろう。
ある意味これは日本という国の国土が、いかに水と自然に恵まれているのか、ということの証明でもあるように思う。
やっぱり基本的に豊かな国なんですよ、日本て。
そんなこんなを考えていると、列車は坂の町で有名な尾道に。
ここでようやく切れ間から海が見える。漁港?なのか・・・ここだけ海が見えてまた山の中へと入るのだが、その短い間にたしかに一部坂が迫っている感じの一帯があって、おもしろそうな景色だった。
もっと小さな町なのかな?と思っていたんだがそれよりは大きかった。ここも次回以降、余裕があれば来てみたいと思った。
尾道から広島までは、これまでとおなじく山の中を行く景色が続くので、特筆するまでの景色は残念ながらあまりなし。
ただ、こういった山間部の路線でも時々思い出したように立派に舗装された大きな道路ときれいな駅前の、ほどほど大きな町がぽこっと出てくるのは、やはり日本ならではなのかなあ・・・。
そうこうしているうちに明らかに周りの景色が街中っぽくなってきて、広島に到着。
いろいろ調べてみると、この列車は岩国行き。お昼は13時を回っていてお腹すいてたんだが、そのまま乗ってると宮島への入り口に当たる宮島口へいけるようなので、ここでおりずにそのまま宮島口まで向かうことに。
広島から宮島口までは大体20分前後。
で、宮島口についたらやはり大きく海が見えるわけですよ!テンションダダ上がりでとりあえず宮島いく、そっから考える!な感じでさっくりフェリー乗り場まで。
ちなみにフェリーは10分間隔ぐらいの頻度で出ているので、すごく乗りやすい。JRともうひとつ別の船会社が運航している模様。じぶんはJRのヤツに乗った、340円。
乗っている時間は10分強ぐらいだが、これがほどよい長さで。あとやはり有名な観光地のせいか外国のお客さんが目立って多かったな。
そして船の上から見えてくるわけですよ、例の大鳥居が!
天気も予報に反して崩れなかったし、潮風は気持ちいし、あたりの港の景色は心地いいし、テンションダダ上がりですわ。
そして上陸、いきなり鹿イターw
港から厳島神社までは少しだけ歩く感じで、その時間も実は海を眺めながらなのでなかなかの風情がある。
ただ自分の場合は途中で参道がどっちかわからず、商店街の中を抜ける形になった。要はきちっとした表参道のようなものは途中までない。
で、その商店街が切れるあたりに石の鳥居があり、拝観料を払っていざ厳島神社へ。
もうこれが雰囲気あって最高の神社ですな。ひとりなんかニヤニヤしっぱなしw
そして歴史の古い神社の割には手入れがしっかりされているので、古すぎず新しすぎず。
能舞台はさすがに古錆びた感じだったけれども、潮の満ち引きに影響される場所に立っているからこそ定期的なメンテも行われ”活きた”場所になっているんだろう。
途中で修繕費の喜捨箱のようなものがあったので、少しだけ入れて名前書いておいた。
ご祭神は後で調べてみると三人の女神様なのね。宗像三女神と総称されるそうな。
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
田心姫命 (たごりひめのみこと)
湍津姫命 (たぎつひめのみこと)
実はここへ来て見たいな、と思ったきっかけは以前に東京の国立近代美術館でやっていた大神社展で、厳島神社蔵とされている展示物にものすごく心ひかれたから。
んー、なんというかね、小さくてかわいい・だけど品がある、という、ちょっと他の神社のものとは違った雰囲気があったんですよ。
今回はほんと勢いだけでいったので、そういった展示物の有無というのはあまり気にしなかったんだけど、その時に感じた”雰囲気”と同じものを今回も感じていたのかもしれない。
神社とか仏閣って、基本的に縁の有無、というのはあるような気がして。
今回はなんとなくウェルカムして頂いてたような感じで、なんのひっかかりもなくほんとつるっといけた感じでしたな。
なので干潮だったので歩いて行ける大鳥居をひととおり見た後、すぱっと満足して厳島神社をあとにする。
ここまででおそらく15時をおおきく回ってたのでさすがに腹が減りすぎて、商店街の中のお店でカキフライ御膳をいただく、ウマーw
で、フェリーを待つ間、スズメとさくらなどを撮りつつ(なにげにここはスズメ天国でもあったのだ!なんという俺得w)、フェリーに乗って退散。
ちなみにこのフェリー、面白いのはきっぷは宮島口側で往復買えるんだけれども、改札は行きも帰りも宮島側で行うということ。そう、宮島口側ではとくに回収しないんですよ。
そしてフェリーがつき宮島口に戻る。
行きはJRで直行したので、じゃあこんどは広電に乗って市内まで戻るか!ということで自動券売機へ。
しかしあとで調べると、広電では一日乗車券とか一日乗車+乗船券のような観光パスがあったみたい。このときはそんな余裕なくてお札で買っておつりじゃらーでいやーん、みたいな。
どうもそういう車内で使う電子パスのようなもので皆さん乗り降りしてたみたいだけど、なんか仕組みがよくわからんかった。
広電は小さな路面電車で、凄くいい感じ。
自分が以前乗ったのはたしか小学校かなんかの修学旅行の時だったので、その時と違って車両もいま風のしゃれたデザインで非常にきれいだった。
あとびっくりなのは決して台数のおおい編成じゃないのに車掌さんがいて、両替やら案内業務を行っていたこと。外国のお客さんが多いからという事もあるんだろうが、それにしても贅沢な話だよなあ、儲かってんのかなあ・・・。
実は帰り広電にしたのは、もうひとつの目的地・原爆ドームの最寄り駅が停留所としてあったから。
市内まであとちょっとという位置にあるので、電車必須だったわけですね。
そしてちょうど17時ごろに原爆ドーム前に到着。原爆ドームを右手に見ながら、原爆資料館に向かう。
ここに寄ってみたかったのは、修学旅行以来でおっさんになった自分の視点でみて、それがどう映るかというのを確かめたかったというのもあるが、やっぱり震災以降の放射線の問題を考えるときに、ここは改めてみておくべきだよなとはうっすらと思っていたので。
入館料50円を払って入館。18時までだからあまり時間がないので、概説的な個所は飛ばし気味にまわる。
以前来た時の記憶が上述のようなモンなので、記憶があいまいだったんだが、この資料館はエントランスのある建物がそういった序章というか概説的な展示で固めてあり、渡り廊下を渡ってからの本館が本番。
多くの外国のお客さんが来ていたが、やはりエントランス前後では余裕なのが、本館に入ると顔こわばりひきつってたな。涙をすする音も時折聞こえた。
自分も改めて見直してみて思ったのは「なぜここまでされなければいけなかったんだろう?」ということ。
熱線で焼かれ、地獄の苦しみを味わい、それが過ぎ去ったとしてもじりじりと放射能が身体の内側を食い破っていく。
この爆弾の被害にあわれた方たちというのは、それほどの罪を犯したのか?ならその罪を裁く正義というのはどんな正義なんだろう?
(この点はみなさん機会があればぜひこうの史代氏の『夕凪の街 桜の国』を読んでみてほしい―この連作のうち、夕凪の街のラストのセリフがこの時の自分の気持ちと凄く近い)
そんなことを感じながら、なにこう哀しさと理不尽さに対する静かな怒りのようなものを感じた。
あとここでひとつだけ指摘しておくと、この資料館は非常に冷静な記述を各展示に対してしていたように思う。
要はこの酷さ・凄まじさというのは、そういった恨みつらみを必要としない、そこにある事実を正確に提示するだけで、まともな神経を持った人間なら、なにがしらかの罪の意識を感じざるを得ないということだろう。
こういうのが”問答無用”という言葉の本当の意味なんだろうな。
その原爆資料館を出ると、ちょうど日が沈もうとしている。気分も沈み気味だが逆にちょうどいい感じ。
原爆ドーム前から原爆資料館までは、平和記念公園があってちょっと距離が離れている。行きはこの距離が「めんどうだな」と思ったんだが、こういう気分を考えてこの距離を設けてあるのかもね。
たくさんの人が散歩したり、子供たちが自転車に乗って走っていったり。かつてあった惨劇の場所は、いまやこういう幸福な日常の景色へと変わった。そのありがたさを感じる頃に、また原爆ドームを見る形となり、再度電車に乗る。
(ドーム自体は資料館と違って停留所の近くにある)
子供のころは恐ろしさというより気持ち悪さが先に立つ場所だったが、大人になってきてみるとすごく意味のある場所だった、行っておいて良かったと思う。
さて、そんな気分も広島の駅につくころはやや薄らいで、次のことを考えなければならない。
一泊するか・帰るか。
結論:さっさと帰りましょう
理由は簡単、なぜなら「まちがいなくもう一回ここには来るぞ」と思ったので。
実は一泊するのなら呉まで足を伸ばして大和ミュージアムとかも見ておこうと思ったんだけど、これはまちがいなくもう一回来る、その気満々w
なので、今回はがっつりいかなくてもいい、その時のために楽しみにとっておこう、そういう気持ちになった。
まあそれと一泊するお金と翌日の行動で発生するだろう金額、それと新幹線の代金考えたらどう考えても新幹線代のほうが安くついちゃうので(苦笑)。
ということで19時前の新幹線にのり、あなご飯弁当ウマーwしつつ、4時間ほどゆられて東京に帰ってまいりましたとさ。
各停乗るからわかること
新幹線ってほんとすばらしいよね?(爆笑)
ということで、18きっぷ・初の広島編はこれにて終了。