雑記

標準

あー、なんか書く気力起こらなくて今月ほとんど記事あげてねぇ~。
ということで、記事数稼ぐためにちょっぴり雑記。
たいした内容でないのでスルー推奨。

なんか全般的に書く気力落ちてるのは、暑いせいもあるとは思う。
けど先日あったフジロックのNINの中継とかはちょっとライブ感味わいたくてtwitterでだらだら「wishキターw」とかやってたわけですが(苦笑)。

ただ、一時的なものだとは思うんだけど、最近twitterなんか見てるとなーんかネガティブな感じになりやすいのよねえ。

なぜかというと、たいてい時事トピックだったり、議論系のツイート流れてくると、すんごいどや顔の批判ツイートか、ちくっと批判していい気分になってるツイート見ることが多くて。
これ、自分のフォローしている人の傾向がかたよってるとかならまだ救いがあるんだけど、けっこう著名な人だったり、自己発信できる立場の人がそういうことやってることも多くてなんか凄い萎える。

例の山口県?の村落で数人が殺された事件じゃないが、日本人てこんなに陰湿というか、こういう溜飲の下げ方しか出来ない人ばっかりなんかなあ、と。

で、自分でツイートして意見を異にする人と直接やりあってる人はまだ救いがあるんだけど、地味にいちばんたち悪いなと思うのが、自分の意を満たしてくれる批判ツイートをしれっと公式リツイートして溜飲下げてるとかね。
いや、自分もそういうことを全くしてないとかいうつもりはさらさらないんだけど、上述のようにある程度の社会的立場や、年齢の人、更に言うと著名人がそれやるとすんごい萎える。いわゆるこの社会のインテリゲンチャとはこの程度なのか、と。

この件に関してひとつ面白い発見があって。
自分は原発に関しては、徐々に脱原発していくべきだと思っていて、基本的には原発反対のスタンスなんだけど、少なくともそういったことに対する正確な知識や数値を把握できるだけの、時間や能力もないので、公の場での発言はしないようにしている。せいぜい「こういう風にはできないのかなあ」という問い掛け程度。
これは一つには、そういったことを自身で正確に把握した上で対案を出せない以上、所詮ちゃんとした”議論”にはならないから。

だから逆に言うと、原発推進派の人たちがどんどこあーだこーだいう際にそれらしい数字を出してくる方が多いが、これが本当にちゃんと自身で調べて裏とって述べてるなら凄い、と思う。

けど、現実的に考えると、推進・反対に関わらず、実は筋のいい議論をしている人って、あんまり相手に対して皮肉ったり、こき下ろしたりしないのよね。
なぜならこき下ろしたり、皮肉ったりすること自体が目的ではないということを自覚しているから。そんなところで溜飲を下げてる暇はない、ということなんだろうと思う。

で、上記のようにいわゆる著名人レベルでも、そういったところに引っかかってしまっている、というのは、なんだかんだいっても所詮あーだこーだ机上の空論を並べているだけで、”当事者”ではないからだろう。しかし自分は当事者ではない、という自覚も、謙虚さもない。

原発反対派は、初見からファナティックに見えてしまう人が多いので、そういった欺瞞性を逆に感じなくていいという皮肉さがあるんだが、原発推進派は、なまじそういったファナティックさを(外見上は)見せないので、そういった欺瞞がみえた際によけいに品下がって見える。

特に「皮肉ツイートを公式リツイート」でやり逃げみたいなスタイルがあるのか、けっこうな人がそれをやっている。
一人、原発推進派関連のそういった人たちにしょっちゅう好んでリツイートされるワンレンおばさんみたいなアイコンのアカウントあって、みてると萎えるが、面白い。

自分もこの方のツイートに対して、なにか論理的な反論を組み立てられないと、きちっと議論にはならんな、と思って一時期フォローしていたことがあったんだが、ある時期「あ、」と気付いてフォローをやめた。

このアカウントって基本的に数値上げてるので、一見正論のこと言ってるように見えるけど、皮肉ってくさしてるだけなのよね。
そして、そういうツイートに関してもの凄くリツイートされやすい。
要は、日ごろ鬱憤のたまっている原発推進派の人たちが、このくさすツイートをリツイートすることによって溜まったものを抜いてるわけだ。
自分でやれること(発信すること)をせずに代替物でガス抜きする・・・・・これって下品だけど要はこのおばさんって推進派の皆さんのカキタレっっちゅうことよね、満たせないものを代替物で抜いて満たしているワケだから(苦笑)。

個人的に「あーあ」と思うのが、それを上述のようにけっこうな著名人やマスコミ人がやってしまっている、ということ。
はっきりいって、それならおまえらのいる意味ないやん?
日ごろまともなこと言ってそうな方々も、時々そういうリツイートをしているということに気付いて、どっと萎えたなあ。
発信の場を持っている人間が、代替物に発信させて溜飲を下げるなんぞ、発信者としての自殺以外のなにものでもないと思うんだが。

これは反原発派でもそうだわな。
みてると反原発派の方々は、けっこう創作系というか映像・マンガなどの発信者の方が多いのだが、要所要所で必要なときにツイートするならともかく、その言いたいことを作品に乗せるために時間を取らずに、ツイートに時間費やしてる時点でそれどうよ、と。なんのためにあなた方はその才能を天から与えられてるんですか、と。

とまあ、どっちもどっち。そしてこんなモンを書いている自身がいちばんどーなのよ?という気もせんでもない。
そういう自戒、というか自身を振り返る視点を失ったら終わりだわな、とは思う。

ただ、基本、日本人てものすごーく減点主義、というかネガティブ思考なのよな、というのをひしひしと感じる。
先日、友人の吉兆さんと少しだべる機会があったが、そのときに

「べき論」(~するべき)は百害あって一利無しだよねえ、という話になった。

ほんとそう思う。自分もどちらかというと「~べき」で考えてしまい勝ちな人間なので、余計自戒をこめて言うのだが。

「~べき」なんかで人の心は動かない。

恐怖やネガティブな感情で人を煽っても、人は動かない。
たとえ動いたとしても、動かし続けるために煽り続けなければならない、延々と。

その非生産性にどれだけの人が気付いているんだろうか?

「情けは人のためならず」というが、そういう思考を出来る人が本当に少なくなった。
人のために情けをかけるんじゃない、かけた情けはいずれ巡り巡って自分に戻ってくる。

そういう一見迂遠に思えることを、”実感”として持てた経験のない人が増えたから、twitterなどでちょこっと皮肉ったりして、溜飲を下げているんだろうな。
うーん、ちいせえ、ちいせえなあ。

ここんところ気力がわかなかったのは、暑さのせいばかりでなく、この国の知的人口ってそういう人間ばかりなのか?
というのに、ちょっとうんざりしてたのかもしれない。

それにしても、こういうことすら開陳するのに、今の我が身の情けなさよ・・・。

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