根のないニンジン

標準

先日久しぶりにカレーを作った。

そのとき、切り残しで残っていたニンジンの切りくずから芽が生えた。

残っている部分のオレンジと芽のグリーンがとてもきれいで、小さなカップに水を入れてやるとすくすく伸びた。

自分はずぼらなので時々こういうことがある。

で、育ってくると情が移ってしまい、そのまま捨てるわけにもいかない。

伸びる芽のか細さ、それに反する勢い。

思い余って近所の公園にこっそり移してみた。

しかし一日おいて見にいってみると、あれほど活き活きと伸びていた芽はしおれて無残に倒れていた。

もう一度土をかぶせて、水気を与えてみた。

翌日見ると倒れて、周りの土とごっちゃになってわからなくなっていた。

切ない反面、土に戻れてよかったとも思ってみたり。

ただひしひしと思ったのは、やはり根は張らないと茎は伸びないし、花は咲かない―ということ。

いつも我々が頂いている野菜や果物は、その根や茎を張るための生命そのものなんだな。

だから我々の生命を養いうる。

根を張る、ということは信じて委ねることでもある。

信じて委ねないと、そこにはなんの花も咲かない。

もちろん「望む土」に根をはれるばかりではないだろうし

土が受け入れられないものであることも、しょっちゅうだろう。

けれど望まぬ土でも、吸収できるものは吸収して花を、実を結ばないと、

次に空を舞う種すら作れずに終わってしまう。

根の養分を使い果たすまで転がり続けるだけだ。

受け取るということは、受け入れるということ。

受け取るためには―根を張るためには、まとまった時間とエネルギーが要る。

ただそこを通り過ぎただけでは、根は張れない。

自分はこれまで受け入れるべきものを、ちゃんと受け入れてこれただろうか?

最近そのあたりのことをつくづく反省する。

根がはれてないなら、花が咲かぬも当然だ。

花実のない人生というのはやはり虚しい。